観光列車「いさぶろう号」の乗車

 

 八代から普通列車として人吉に到着した列車は、乗客を降ろすと車内清掃が行われる。

その後、1008分発吉松行きの「いさぶろう号」として再び入線し、観光客の乗車を待つ。

このように人吉〜吉松間は「いさぶろう」、吉松からは「しんぺい」と名を変えて再び人吉に戻って来る。

この間35qを駅々で停車時間を取りながら、1時間半も掛けてゆっくりと旅を楽しみながら進行する。

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

いさぶろう・しんぺい号

 

 ここからは、「いさぶろう号」と名を変えた観光列車に乗り、昨夜通り過ぎてきた吉松に向かう。

この列車は座席の殆どが指定席で、僅かながら自由席も有るが、予め指定券を購入して乗車するのが良い。

座席は木製の固定シート(指定席)で、車両の中央部分に天井まで窓を広げた展望スペースが有る。

実はこの部分だけが共用スペース(自由席)と成っていて、後は全てが指定席になっている。

乗務しない車掌に変って、沿線や駅施設の案内、車内販売などを女性の客室乗務員が対応する。

 

 

出世するなら大畑駅

 

人吉を出ると市街地を抜け、列車はいきなり25パーミルの山登りに挑み、幾つものトンネルを重ねる。

急坂で高度を稼ぎ、やがて500m余りの横平トンネルを抜けると、標高294mの大畑(おこば)駅に到着する。

駅の周りは一寸した平坦地ながら人家は無く、山の中にぽっんと佇む無人駅である。

ここで列車は観光のために暫く停車する。

 

大畑駅

大畑駅

大畑駅

 

大畑駅

大畑駅

大畑駅

 

大畑駅

大畑駅

大畑駅

 

大畑駅

大畑駅

大畑駅

 

大畑駅

大畑駅

大畑駅

 

 明治421909)年に開業した駅には、当時から残る石造りの給水塔やアサガオ型の噴水等が残されている。

当時人吉から厳しい勾配を上り詰めたSLは、この駅で給水し、機関士達も煤で汚れた顔を洗ったと言う。

古い駅舎の壁には、無数の名刺が貼られていて、この駅に名刺を残すと出世するらしい。

 

 

山を登るスイッチバックとループ線

 

いよいよ「肥薩線」最大の難所、矢岳越えのハイライト区間の始まりだ。

大畑をバックで発車した列車は、少し走ったのち一旦転向線で停車、今度は前進ですぐ上の線に入る。

所謂スイッチバックで少しだけ高度を稼ぐ。

するとそのまま左向きに今度は、半径300mの円を描きながらユックリと山を登る。

 

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

 

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

 

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

 

 丁度円を一回りした辺り、大畑の手前の横平トンネルの上部に当たる部分で列車は一旦停車する。

運行上必要があってのことかは良く解らないが、観光客向けのサービスでもあるらしい。

目の下に、先ほど停車した駅とスイッチバック線が遥かに小さく見える。

ここからは更に厳しい2530パーミルの急坂で、標高537メートル、最高地点に位置する矢岳駅を目指す。

 

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

 

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

 

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

スイッチバックとループ線

 

鉄道建設当時は、まだまだ機関車の牽引力は弱かった。

従って、鉄路の開通には、山岳地帯という難所を克服すると言う課題は何時も付きまとっていた。

ここ大畑と矢岳の間もそんな一カ所では、技術者の英知は、スイッチバックとトンネル、そしてループ線で克服した。

この高難度の連続技には、鉄道ファンならずとも、興奮せずにはいられない。

 

 

矢岳駅

 

 矢岳駅の標高は536.9m、「肥薩線」では、最もの高い地点に有る駅である。

人吉からの高低差は何と430m余り有り、急勾配の連続であった。

開業は明治421909)年、鹿児島本線のルート上の駅として大畑駅と共に開業した。

単式ホーム1面1線の無人駅であるが、嘗ての島式ホームや貨物線の名残は今も構内に残されている。

 

矢岳駅

矢岳駅

矢岳駅

 

矢岳駅

矢岳駅

矢岳駅

 

矢岳駅

矢岳駅

矢岳駅

 

矢岳駅

矢岳駅

矢岳駅

 

矢岳駅

矢岳駅

矢岳駅

 

矢岳駅

矢岳駅

矢岳駅

 

駅周辺には、昔から小さな集落はあったらしい。

鉄道開設の工事が行われた当時は、多くの官舎が出来、住民より多い工事関係者が暮らしていたという。

一時は木材の積み出しで賑わった時期もあったが、今では衰退し過疎化の進む静かな集落が残るだけとなった。

 

ここには駅に隣接して「SL展示館」があり、「肥薩線」で最後まで活躍したD51が保存展示されている。

観光列車「いさぶろ号」の停車駅で、その客を見越し、館内では地元の特産品も販売されている。

 

 

矢岳トンネルとスイッチバック 日本三大車窓

 

矢岳駅を後に、ここから列車は下りにかかり、「肥薩線」で最長2,096mの矢岳第一トンネルに向かう。

かつて最大の難所と言われたこのトンネル工事では多くの犠牲者を出した。

 

開通に当たり、トンネル両端口には二人の功労者の扁額が掲げられた。

人吉側には、当時の逓信大臣・山県伊三郎の厳しい難所を切り開いたという意味の「天険若夷」である。

吉松側には、鉄道院総裁・後藤新平の重い物を遠くに引いて行くと言う意味の「引重致遠」だ。

二人の名前は、この路線を走る観光列車名に引き継がれている。

 

スイッチバック

スイッチバック

スイッチバック

 

スイッチバック

スイッチバック

スイッチバック

 

スイッチバック

スイッチバック

スイッチバック

 

トンネルを抜けた辺りでは、日本三大車窓の一つと言われる「矢岳越え」の絶景区間が続く。

目の前には韓国岳や甑岳など霧島連山が連なり、遥か桜島や、条件が良ければ開聞岳も見えるらしい。

手前には、糸を引いたような川内川と、京町温泉郷の街並みが米粒のように見える。

雄大な絶景ではあるが、この日は生憎全体が霞かかり、薄ぼんやりとぼやけていた。

 

スイッチバック

スイッチバック

スイッチバック

 

スイッチバック

スイッチバック

スイッチバック

 

 嘗ての最大の難所「矢岳越え」は、ループ線やスイッチバック、トンネル開通等で技術で克復した。

中でもトンネルは難工事で、多くの犠牲者を出してしまったが、あの扁額はこれらの人々を悼むものでもある。

苦労の甲斐あって、今では三代車窓の一つと言われる沿線のハイライト区間に成り、列車もここでは徐行する。

 

 やがてジオラマのような真幸(まさき)駅が眼下に見えると、二つ目のスイッチバックが始まる。

列車は転向線で一旦停車した後、今度はユックリとバックで下の線に入り、そのままホームに滑り込んで行く。

 

 

真幸駅

 

 この沿線で唯一宮崎県に位置する駅の周辺にも人家は無く、無人駅である。

矢岳は熊本県に、ここが宮崎県で、次の吉松駅は鹿児島県に属すると言う、とても珍しい位置関係である。

駅そのものがスイッチバック構造で、山を下り上の線からバック運転のまま駅に入り、今度は前身で駅を出ていく。

ホームに降りると、目の前に山から下りてくる下り線が良く解る。

 

真幸駅

真幸駅

真幸駅

 

真幸駅

真幸駅

真幸駅

 

真幸駅

真幸駅

真幸駅

 

真幸駅

真幸駅

真幸駅

 

真幸駅

真幸駅

真幸駅

 

 駅近くには国道も通っているようだが、周辺は林に囲まれ民家は殆ど見られず、乗客も殆どいないそうだ。

真の幸せと書く駅名が、縁起が良いとして、ホームには鳴らすと幸せになると言われる「幸せの鐘」が有る。

木造の駅舎は当時のものが残されていて、その一画には、幸せを願う絵馬が一杯掛けられている。

土日祝と月曜日には、地元の人々が、野菜やこんにゃく、漬物など地元産の物品を販売する店が出るらしい。

 

吉松駅

吉松駅

吉松駅

 

吉松駅

吉松駅

吉松駅

 

吉松駅に「いさぶろう号」が到着すると、反対側のホームには特急「はやとの風」が待っていた。

慌ただしく乗り換える乗客と、案内の客室乗務員の声、ホームの放送にジーゼルエンジンの響きが混ざる喧噪だ。

売店は開店し、懐かしい駅弁売りの声が響き、昨夜の静まり返ったホームからは想像も出来ない賑わいである。

「肥薩線」の旅もこれからが後半で、特急「はやとの風」に乗り、終点の隼人を目指すこととなる。

 



 

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