豊後竹田からは、玉来、豊後萩と停車を繰り返すが、乗り降りする乗客はいない。
玉来は扇森稲荷社の最寄り駅で、駅舎は社務所をイメージしているが、ホームからは裏側に成り良く解らない。
線路は阿蘇の外輪山を越えるとあって、右に左に小さなカーブと幾つかのトンネルを重ね、急坂登りに挑む。
殆どが切り通しの中に続く、曲がりくねった25‰程度の上り勾配で、車窓がめまぐるしく展開する。
時折車窓が開けると、既に阿蘇の山々は間近に迫り、厳しい様相を見せている。
豊後萩は沿線ではそこそこに大きな駅で、向かい合った2面のホームにそれぞれ1線を有している。
比較的大きな集落があるらしく、モダンな駅舎が建てられていて、地元の交流施設を兼ねているという。
高度が上がり冷え込んで来たのか、駅を出た県境を越える辺りで、白いものがチラチラと舞い降りて来た。
下界はまだ晩秋の頃というのに、山は足早に初冬を迎えようとしているようだ。
次の滝水には、昭和3(1928)年の開業当時の木造駅舎が残されている。
列車が停車しても、乗り降りもなくホームも駅舎も寂しげに静まりかえっていた。
相変わらず線路は右に左に幾つものカーブを繰返しながら高度を稼いでいく。
次の波野は、標高754メートル、九州内では一番高所に有る駅であるが、駅舎はなく小さな待合室があるだけだ。
波野駅を過ぎると、目の前を塞ぐ外輪山を2,283mの坂ノ上トンネルで駆け抜ける。
やがて車内に陽光が戻るとそこは、阿蘇大カルデラの中で、盆地のような高原が広がっている。
南北24キロ、東西18キロの大きさが有り、世界でも比類の無いスケールで、それを外輪山が取り囲んでいる。
ここで進路を南に変え、逆Ω状にカーブしながら、カルデラに開けた宮地に向かって一気に坂を駆け下りて行く。
阿蘇山は九州のほぼ中央に位置する活火山である。
中でも中岳の大噴火口は、今も噴煙を上げており、その火口をロープウエーから真直に見る事が出来る。
車窓からは、山頂が鋸の歯のような根子岳と並んで阿蘇の最高峰・高岳などが見える。
しかし残念ながら、山頂付近は雲の厚い日で、阿蘇五岳と言われる全ての山々を見通す事は出来ない。
宮地は「豊肥本線」の拠点駅で、ここには全ての列車が停車し、普通列車はここで折り返す。
歴史ある駅らしく、嘗て機関区が置かれていた構内には、SLなどの方向を変える転車台も残されている。
豊後竹田からは40分余り、「肥後の国の一宮・阿蘇神社」の門前駅宮地は、社を模した赤い屋根が印象的だ。
駅前から続く県道を15分ほど歩くと、「肥後の国の一宮・阿蘇神社」が有る。
仏閣様式・二層構造の重厚な山門は、「日本三大楼門」に数えられ、国の重要文化財に指定されている。
高さは70尺(およそ21m)、二階建ては珍しく、仏教の影響を受けたものらしい。
境内には銅板葺屋根・総欅造りの三棟の社殿が荘厳に立ち並び、十二の宮には十二柱の神が祀られている。
境内から続く玉砂利の道は、仲町通りと言う門前町、地元の人々に愛された商店街に続いている。
地元では、そこに観光客を呼び込もうと、十数年前から豊富な湧水を使った「水基」の整備を行った。
商店街のいたるところにある「水基(みずき)」とは、水が出る基と言う意味で、水飲み場の事らしい。
その数何と22か所有ると言い、水を管理する各店に因んだ名前が、それぞれに付けられている。
水は商店街を貫く通路の右と左では、硬水と軟水に分かれていて、その中でも味に微妙な違いが有るらしい。
宮地で30分後に接続する列車をやり過ごし、もう一列車迄の1時間半を利用し、慌ただしく町に出た。
とは言え、行ける場所は限定的で、阿蘇神社とその周辺の水基の町巡りのみである。
昼食代わりの、名物の馬ロッケとジャンボサイズの田舎いなり寿司を手に、再び駅に戻って来た。
南九州のJR路線乗り潰し旅もいよいよ終盤で、ここからは熊本を目指す。
列車の進行と共に、阿蘇の雄大な山並みが、刻々と位置を変えて行く。
そして車窓にはカルデラの草原が広がり、次第に阿蘇を取り巻く外輪山もより近く大きく見えるように成る。
5分ほどでいこいの村に停車し、更に5分と経たない内に黒塗りの瀟洒な阿蘇駅に到着した。
相対式2面2線を持つ観光の拠点駅らしく、ここには委託ながら職員も駐在する。
駅に隣接して、レンタカーやレンタサイクルなどの営業所もあるらしく、さすがに乗降客が多い。
特に目立つのは、カラフルなウエアに身を包んだ女性達で、楽しげな後ろ姿を見せながら沢山降りて行った。
内牧、市ノ川に停車を重ねると、次は標高465mの高所にある赤水である。
周辺には牧場が目立ち車窓からも目にするが、阿蘇の地内でも比較的沢山観光施設が揃っている所らしい。
ここから先は、阿蘇外輪山抜けに挑むことになる。
阿蘇五岳の山容と、カルデラを取り巻く外輪山との僅かな隙間、狭間のような場所を列車は下りて行く。
そこは有明海に流れる白川によって削り取られた深い渓谷で、30パーミル以上の急坂下りが続く難所である。
赤水から下った列車は、すぐ下に山を下る線の見える標高306mの転向線で一旦停車する。
そこからはバックで目の下に見える下り線に入り、ユックリと標高277mの立野駅のホームへと入って行く。
ここで宮地行きの普通列車と行き違い、再び前進で標高170mの瀬田駅に向かうのである。
こうして標高差200m余りを上り下りする立野の三段式(Z型)スイッチバックは、日本でも最大級を誇っている。
立野からは旧国鉄の「宮地線支線」が、高森に向け延びていて、その後「高森線」に改称されている。
高千穂鉄道と接続し、宮崎の延岡までを結ぶ九州横断線の計画が有ったようだが、頓挫している。
高森線は三セク方式の「南阿蘇鉄道高森線」として生き残ったが、高千穂鉄道は災害により廃線に追い込まれた。
肥後大津からは電化区間となり、熊本の近郊路線に成るので2両編成の電車に格上げだ。
水前寺は、水前寺成趣園の最寄り駅で、半世紀も前に一度訪れたことが有る。
当時の様子の記憶は殆ど薄れているが、今日駅周辺は高層建築が目立ち、ベッドタウン、文教地区になっている。
やがて「鹿児島本線」と、「九州新幹線」の高架橋が近づいてくると終点の熊本に到着する。
駅の出口で、杵築の観光キャラバンが「楽市楽座・のぼり祭り」のパンフレットとお土産の饅頭を配っていた。
聞けば杵築は、大分県の国東半島の南部に位置する小京都、坂道の城下町と呼ばれる町らしい。
別府湾に面して建つお城を中心に、武家屋敷や江戸時代の風情が色濃く残る街並で、とても風情があるそうだ。
名産のミカンやお茶等の農産物、ちりめんや牡蠣等の海産物等、杵築の食が一同に集まるイベントらしい。
JR九州の営業路線乗り潰しの最後は、熊本県内を走る「三角線」である。
三角線は、島原湾に突き出た宇土半島の先端、港町の三角までの25.6qを9駅で結ぶ路線だ。
起点は熊本から少し南に下った「鹿児島本線」の宇土で、「あまくさみすみ線」の愛称で呼ばれている。
列車は大凡1時間に一本で、全ての列車が熊本を始発・着で運行されている。
4番線ホームを出た列車は、熊本の市街地を見ながら暫く「鹿児島本線」を走る。
宇土を出ると同線とは分かれ、進路を西に変え、宇土半島に入り込み、その北側を海に沿って進む。
緑川を過ぎ、住吉を出た辺りで車窓には、島原湾が開けその向こうに雲仙の普賢岳が見えてくる。
辺りは夕刻の色に溶け込み、山も海も薄灰色にかすみ始めている。
それでも、こんなにも近いのか・・と思うほどに、山頂の溶岩ドームの形までもがはっきりと見える。
波もない海は穏やかで、干潮の時刻なのか潮が引いているようで、所々に干潟が現われている。
次の網田には、熊本県内では最古の木造駅舎が残されているが、海に気を取られ、写真を取り損ねてしまった。
赤瀬を過ぎると列車は海から離れ、宇土半島を横切るように進み、トンネルを抜ける。
すると車窓風景は一変し、深い山の中にある石打ダムと言う駅に停まる。
ダムでも見えるのかと、目を凝らしたが駅からは随分と離れているらしく、ただの山の中の駅だった。
波多浦を出て、やがて左手に海が近付いてくると終点の三角に到着だ。
駅前には三角港フェリーターミナルがあり、巻貝のような三角錐をした建物が建っている。
その先には島原湾を隔てて、天草諸島や島原半島が静に横たわっていた。
これでJR九州の営業路線は全て乗り潰すことができた。
後は折り返しの便で再び熊本に戻り、新幹線に乗換え帰途に着くだけである。
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