谷瀬の大吊橋

 

バスは十津川と名を変えた川に沿いながら、新道の新しいトンネルを潜ることもなくひたすらに旧道を進む。

やがて上野地の集落に入り、ここで少し長めの20分、二度目の休憩を取る。

ここには日本有数の長さを誇る鉄線の吊り橋、「谷瀬(たにぜ)の大吊橋」がある。

 

戦後の復興が進む昭和29年に、総額800万円余りを投じてつくられた生活橋である。

周辺集落の住民が、一戸当たり2030万円と言う、当時としては破格の大金を協力しあって作り上げた橋だ。

上野地と対岸の谷瀬を結ぶその長さは、297.7m、川からの高さは54m、村道としては日本一だそうだ。

 

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

 

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

 

 入り口には番小屋が有り、一度に20名以上が橋に入らないようコントロールしている。

この日は小雨交じりの強風が横から吹き付ける生憎の日で、渡るのを一瞬躊躇したが、折角なのでと渡り始めた。

20分の休憩の間に橋を往復するには、のろのろと渡るわけにもいかず、殆ど駆け足に近い速歩である。

 

時折、橋を揺らす強風に、身体も煽られ、ネット際に押される事も度々で、その都度肝を冷やす。

おまけに足場の板は決して分厚いとは言えず、幅80センチほどに敷かれた四列の板しかない。

足を出す度に、ギシギシと不気味な音できしみ、強風もあり恐怖心を更に煽ってくる。

板が固定されていないのか、ブカブカと不安定で、重みでしなうようだから、心もとない事この上もない。

 

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

 

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

 

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

 

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

谷瀬(たにぜ)の大吊橋

 

不安になり途中で引き返そうか、と後悔もするが、癪なので、何が何でももう向こう岸まで行くしかない。

一緒に渡り始めた内の何人かは、途中で諦めたのか、橋の取っ掛かり辺りで写真を撮っている。

やっとの思いで、向こう岸にたどり着き周りを見れば、ここまで来たのは僅か三人程の寂しさである。

 

足元ばかりで、殆ど景色を見る余裕もないまま、それでも強風に逆らいながら何枚かの写真だけは確保した。

バスに同乗していた名古屋からと言う一人旅の男性は、途中で風が強いので引き返したと言う。

また横浜からと言う、これも一人旅の女性は、初めから怖くて渡れなかったと話してくれた。

ここまで来て、この橋のお陰で他の乗客とも、話しのきっかけが出来たようだ。

 

 

豪雨災害

 

 吊り橋の説明板よると、当時川には丸木橋が架かり、川原には集落やその田畑が有った。

ところが明治221889)年にこの地を襲った大水害で壊滅的な被害が出て、人々の生活を一変させた。

停滞した秋雨前線と、台風が重なっての記録的な大雨によるものだそうだ。

 

 急ぎ足で吊り橋を渡り、どうにか休憩時間の内にバスに戻ってきた。

乗客は相変わらず五名のままで、それを確認するドライバーの表情にも弛緩したゆとりが感じられる。

停車中に話を聞くと、国道沿線で頻繁にみられる土木工事は、バイパスや道路の改良工事だそうだ。

と同時に、災害復旧工事も急ピッチで進められ、それらが合わさって至る所で工事が行われているのだと言う。

 

十津川村

十津川村

十津川村

 

十津川村

十津川村

十津川村

 

十津川村

十津川村

十津川村

 

バスは、大和八木駅を出発して凡そ4時間、十津川村の中心的な地域に入り込んできた。

沿道にはそばなどの食事処や、村役場、警察署、道の駅・十津川郷などが有り、久しぶりに見る町並みだ。

そんな中、始発から数え107番目の停留所「十津川村役場」にもバスは停まることもなく通過する。

と賑やかだった僅かな賑わいもすぐに途切れ、再び川沿いの山道となった。

 

 

十津川の中心街

 

ここまで車窓からは、所々で完成したバイパスや、新しく掘られたトンネルを見てきた。

しかしバスは所々で、思い出したように新道を行くだけで、直ぐに戻り、殆どが旧道を走って来た。

そんな道沿いでは、日本全国どこでもお目にかかれるコンビニを見かけることもなかった。

五條バスセンターを出て、国道168号が山中に入り込んでからも当然見かけてはいない。

先ほどの町並みの中にも目にすることが無かったので、後で聞いてみると、村にコンビニは無いと言う。

 

十津川村

十津川村

十津川村

 

十津川村

十津川村

十津川村

 

十津川村

十津川村

十津川村

 

 始発から4時間以上も経過し、役場からも凡そ30分経ってバスは三回目の休憩地にやって来た。

この長丁場を15分ほどの遅れで、十津川温泉のバスセンターに到着したのだ。

路線バスとは言え、これまで停留所では乗客の乗り降りが無く、通過を重なるだけであった。

言わば特急バスのようなものだが、それでもこの長距離では定刻の運行は難しいようだ。

 

これまで乗ってきた五人の乗客の内、ここで四人が下りてしまった。

残るは横浜の女性だけで、聞けば彼女も今晩はこの先の「ホテル昴」に泊まり、翌日は玉置神社に行くと言う。

休憩を終えたバスは、新たな乗客を乗せることもなく出て行った。

この先のホテル昴停留所で彼女を下ろした後、乗客を乗せることもなく終点の新宮に向かうのであろうか。

些か心配しながら、出ていくバスを降りた全員で手を振り見送った。

 

 

新十津川村

 

ここ十津川村では、平成232011)年の台風23号でも、流域で大きな被害が出たらしい。

猛烈な豪雨で土石流が発生し、せき止められた川の水が溢れ住宅地を直撃、18名もの犠牲者が出たと言う。

山が深く急峻な為、一度大雨が降れば各所で山崩れが置き、土石流となって集落を襲う。

昔から何度も経験した、宿命でもあったようだ。

 

中でも明治の十津川大災害の折には、復興には三十年も要すと言われたそうだ。

その為、当地での生活再建をあきらめた多くの人々は、移住を決意してこの村を出て行った。

被災者600戸、2,691名が、北海道空知地方の中央部、徳富川流域に移住して新生活を求めている。

それが今日の北海道の新十津川町である。

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

北海道の新十津川町

 

この項の写真は、北海道を走るJR札沼線沿線と、終着駅・新十津川駅周辺の様子である。

札沼線は札幌の中心部・桑園と、十津川村の人々が移住した新十津川を結ぶ路線だ。

令和2(2020)年5月には、北海道医療大学前駅から先、新十津川駅までが廃止される予定である。

 



 

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