川の熊野古道

 

 湯の峰温泉で世界遺産の「つぼ湯」を楽しんだ後、奈良交通の「八木新宮線」に再び乗り、新宮に向かう。

9時15分八木駅前を出発した第一便が、予定の1434分から20分ほど遅れて到着した。

ここではかなりの乗客が降り、新たに10名ほどが乗り込んで、大半が入れ替わってバスが発車した。

 

 どれほど走ったのか、車窓の風景は山谷の深い姿が消え、山は遠のき、谷は穏やかに浅い底を見せている。

エメラルドグリーンの水を湛える熊野川(新宮川)も、その川幅は随分と広くなり、悠然と流れ下っている。

川岸には僅かながらも平地があり、そこには小さな集落を見ることが出来る。

 

そんな中に「瀞峡めぐりのさと 熊野川」と書かれた立て看板も車窓からは見ることが出来た。

ここからウオータージェット船で、熊野川の支流である北山川を遡り、瀞峡を巡る観光船の乗り場である。

 

川の熊野古道

川の熊野古道

川の熊野古道

 

川の熊野古道

川の熊野古道

川の熊野古道

 

川の熊野古道

川の熊野古道

川の熊野古道

 

身分の高い皇族貴族は、「熊野本宮大社」の参拝を終えると次は、新宮の「速玉神社」に向かうことになる。

多くの庶民は徒歩で向かうわけだが、高貴な人々は、ここから舟に乗り熊野川を流れ下ったと言われている。

それが世界遺産にも登録されている「川の熊野古道」で、その乗船場所が大斎原の船着場であった。

 

古くから本宮は熊野川をご神体と崇めてきたので、川も神聖な場所として信仰の対象とされていた。

だからこそ熊野詣では、庶民は歩き、貴人だけが舟運の恩恵に預かったのだ。

 

当時の小さな手漕ぎ舟では、難儀も多かったらしい。

その為、時に雨を避け、波を避け、休憩や宿泊で立ち寄る湊が幾つも用意されていたようだ。

川沿いに点在する小さな集落等は、昔はそんな役割を担っていたのでは・・・と思ってみたりもする。

 

川の熊野古道

川の熊野古道

川の熊野古道

 

川の熊野古道

川の熊野古道

川の熊野古道

 

川の熊野古道

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川の熊野古道

 

「日本一の路線バス」は、これまで左手に熊野川(新宮川)を見ながら、新宮を目指してきた。

そんな車内に、「このトンネルを抜けると、車窓の風景が一変します」との放送が流れた。

暫くして新越路トンネル(461m)を抜けると、一瞬目眩ましの陽光が燦めき、再び明るい車内が戻ってきた。

すると明るさに慣れた目に、賑やかな町並みが飛び込み、車内では、「オオーッ」と言う歓声が上がった。

 

車窓は、これまでの山と川ばかりの光景が去り、活気ある市街地の日常風景に一転した。

トンネル内でも少し下って来たようで、出れば標高は10m余りの新宮市街地である。

「日本一の路線バス」の旅も、いよいよ終着が近づいてきた。

 

 

門前の通り

 

国道168号を新宮高校のところで左折、国道42号所謂熊野街道に入り直進する。

更に、速玉大社前交差点を右折したところで、権現前に到着し、ここでバスを降りる。

この地に鎮座する熊野三山の一つである「熊野速玉神社」は、ここから歩いて五分ほどの距離である。

 

 国道を渡り、門前の道路を少し行くと「ユースホステル(YH) 早玉館」が建っていた。

若い頃、旅行で泊まると言えば、安く泊まれるYHばかりで、全国津々浦々、色々な施設でお世話になった。

安価が最大の魅力だが、夕食時やその後、ペアレントを中心とした、宿泊者同士の交流は楽しみであった。

何時も新鮮で、知らない者同士、同年代の出会いもあり、大きな楽しみと成っていた。

YHは廃ってしまったと思っていただけに、何だか懐かしくも有り、嬉しくも有り、暫し入口を眺めていた。

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

 「熊野速玉神社」の駐車場の近くに、「川原家横町」という商業施設がある。

嘗て熊野川水運が盛んな頃、河口近くの新宮川原には沢山の家が集まり、河原町と言う町並を形成していた。

その地に建てられたのが、「川原家」と呼ばれる特殊な家で、釘を一本も使わない組み立て式のものだそうだ。

多雨地域に有って、川の水害の恐れがあると建物を畳み高台に避難し、水が引けば再び元の場所に組み立てる。

今で言うプレハブ建物であるが、全て専門職に委ねることもなく、ごく普通の住人達で行っていたという。

 


 

熊野速玉神社

 

 「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」。

この三つの神社を総称して今では熊野三山と言うが、元々のルーツは、異なる神社で有ったと言う。

「本宮」は熊野川を、「那智」は那智の滝を、「速玉」は神倉山のごとびき岩を各々がご神体として崇めてきた。

そんな長い歴史が何時しか融合し熊野三山と称され、信仰対象として「熊野」は浄土と崇められるようになった。

やがて「蟻の熊野詣」と言われるほど、三社を巡る参拝の旅が持て囃される時代が来ることになる。

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

 参道を進み赤い欄干の小さな太鼓橋を渡り境内に入る。

常夜灯を見て進むと、その先の赤い鳥居の前に、文豪・佐藤春夫の歌碑が有る。

「空青し 山青し 海青し 日はかがやかに 南国の五月晴れこそ ゆたかなれ」

 

その先の手水舎を過ぎ、神門を潜ると正面に朱塗りの柱、白壁が鮮やかな拝殿が姿を現す。

さすがに世界遺産の熊野三山の一つである。

夕暮れが背後の神倉山の森を覆い始める時刻だと言うのに、団体や七五三詣でなど参拝者が多い。

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

熊野速玉神社

熊野速玉神社

熊野速玉神社

 

 境内右手に「熊野神宝館」があり、入り口前に武蔵坊弁慶の像が建っている。

何となく場違いにも感じるが、田辺の別当の倅と伝えられているので、ここ熊野とのゆかりも深いのであろう。

 

境内で一際目を引くのが、樹齢千年と言われる梛(ナギ)の大樹である。

高さが20m、幹回り6m、ナギとしては国内最大と言われている。

古来から参詣者や航海をするものの間では、道中安全・航海安全のお守りとしてこの木の葉が珍重されたと言う。

ナギが凪を連想させるかららしいが、現在では御神木として保護されている。

 



 

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