大正池から河童橋


 

 大正池から河童橋に向けて遊歩道が整備されている。梓川の流れに沿って、樹林を行く気持ちの良い道である。

前方を見れば亜高山地帯の樹林の間から、相変わらず穂高連峰がほとんどその姿を変えることもなく居座っている。

振り返ればそれと対峙するような焼岳の姿だ。

そんな景観を遠望する遊歩道には、落葉松が倒木となり朽ちた物なのか、緑のコケに覆われ、或いは引っ掻いたような木目を晒した無残な姿で何本も横たわっている。カラマツは乾燥した痩せ地でも良く育つらしく、河川の氾濫などにも強いそうだが、反面極端に湿って来ると次第に立ち枯れてしまうのだそうだ。

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

いつの間にか遊歩道は、1,500mの高さに達している。

周辺はシラカバやカラマツの樹林帯で、その根元をクマザサが丁度根占のように覆い尽くす道が続いている。

そんなクマザサの中に、何かの研究にでも使うのか、ソーラーパネルを持った「登山者カウンター」が設置してあった。

 

突然猿の鳴き声が響いた。

往路で利用したタクシーのドライバーからは、野生の猿がいるが、日光より大人しいと聞かされていた猿だ。

人の接近を仲間に伝えでもしたのか、数十メートルほど先の木立には、何匹かの猿の姿が認められる。

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

 相変わらず気持ちの良い遊歩道が続いている。

少しずつ高度が上がっているようにも感じられるが、目に見えるほどの勾配が有るわけでは無く歩きやすい道だ。

水の流れる爽やかな音が微かに聞こえてくる。

ここら辺りからは梓川の流れも間近になり、川岸に降りることが出来るようになる。

岸辺から流れに手を浸して見るが左程冷たく感じられないのは、まだ雪解け水ではないからであろうか。

清流と言う名に恥じない澄み切った梓川の流れは、川底の小石までを鮮明に見せてくれる。

その先で田代橋を渡ると河童橋に近づいているらしく、大型の観光ホテルを幾つか目にすることが出来る。

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

樹林が途切れると川越しの左岸に聳え立つ、岩肌がゴツゴツとした武骨な姿の霞沢岳と六百山が良く見える。

説明板によると、余り上る人もいない山だと言うが、登山道は整備されているらしい。

しばらく行くと、日本アルプスを広く世界に知らしめたウエストンの碑が有った。

登山の楽しさを日本に浸透させた人物らしいが、その碑はうっかりしていると見過ごしてしまいそうに目立たない。

 

 そう言えば松本の駅前には、「播隆上人」像が建っていた。

越中生まれの苦行僧で、修行中に望見した前人未踏の高峰槍ヶ岳を、辛苦を重ねた結果初めて上った人物として知られている。

今我々が気軽に山に出向くことが出来るのは、こう言った人々の弛まぬ努力の賜と思わずにはいられない。

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

 ここから1キロ程で上高地観光の中心河童橋だ。

バスターミナルからだと歩いて5分と言うから、近づくほどに観光客が多くなる。

周囲には大型のホテルやスイーツなどを売り物にするカフェ、飲食施設、土産屋なども多く、当然観光客の姿も多くなる。

この場所は五月の連休や、夏山のシーズン、秋の紅葉の時期などは、上高地銀座と呼ばれるほどの観光客で賑わうと言う。

 

この河童橋は明治の後半に吊り橋にかけ替えられたそうだが、なぜ河童橋と言うのかは定かではなくいまだに謎らしい。

この橋の上から眺める梓川の流れ、水面に移る岸辺の緑、前・西・奥等穂高の峰々の連なり、後方に構え微かな煙を上げる焼岳等、どれを取つてもその光景は見るものを魅了する。

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

 上高地では終日、マイカーの入山規制が行われているにも関わらず、年間120万人もの観光客が訪れると言う。

余りにも有名な観光地であると同時に、ここは穂高連峰や槍ヶ岳等の登山ルートへの取り付き基地でもある。

そんな知名度の高さ、観光地としての人気は、橋の名の持つ神秘性だけではなく、いつまで眺めていても飽くことのない、この超一級の景観が多くの人々の心を鷲掴みにしているからであろう。

 


 

 

河童橋の周辺には大型の宿泊施設が幾つも立地し、それらは土産物店やレストラン、カフェを併設している。

ケーキや洋菓子、ジェラート等は、ホテルのシェフが手掛けているところも多く、それぞれが定番の人気商品を持っていて、それらが人を呼ぶ一因にもなっているらしく、最盛期には繁華街並みの人出でごった返すと言う。

 

 「五千尺ロッヂ」に併設された「カフェテリア・トワサンク」の一番の売りは、信州産の完熟ふじがまるまる6個入っている(20cm 1ホール)「信州完熟りんごのアップルパイ」だ。

行きに利用したタクシーのドライバーも頻りに勧めていた。

家人によると、「リンゴがシャキシャキしているのにジューシーで甘く、シナモンも効いていてすごく美味しい」のだそうだ。

 

大正池から河童橋

大正池から河童橋

大正池から河童橋

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

 河童橋を渡ると正面に立つのが「五千尺ホテル」だ。ここにも数々のケーキが評判の喫茶「5 HORUN」が有る。

くだんのタクシードライバーが、アップルパイと共に勧めていたのがここの「レアチーズケーキ」である。

濃厚なのに口に含むと、とろけるように消えていくムースに、酸味と甘みを抑えた特製のブルーベリーソースが美味く絡み、これなら和菓子派にも抵抗なく頂ける。

 

 このケーキも美味しかったが、季節限定の「小布施栗のモンブラン」が和菓子派にも気になる存在だ。

栗の産地として知られる小布施産の熟成完熟栗を使い、じっくりと砂糖と牛乳を加え蒸し焼きでペーストを作る。

それを裏ごしで素麺状に引き伸ばしたものがたっぷりとかけられていて、好みで大粒の天日塩をかけて食べる。

ペーストの甘さが抑えられている分、栗の渋味を若干感じるが、天日塩を振ればそれを和らげてくれるので本当に旨く、モンブラン好きにはたまらない。

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

帝国ホテルのカスタードプリンや他にもソフトクリーム、山賊焼き、山賊バーガー、おやき、信州牛も気になる存在だ。

この先も一軒一軒お店を覗いていると誘惑も多く欲しくなるので、お店が無い梓川の川岸に出る。

メインの通りからは少し入っただけなのに、そこには誘惑も喧噪も無い。

風が揺らす木々のざわめき、水音、時々鳴く鳥のさえずりだけで、足音だけが大きく響く。

時折後ろを振り返れば、雪の穂高は遠くにさがり、河童橋が細く小さくなっていく。

そんな秀逸な景観をしっかりと心に刻みつけながら、バスターミナルに向かう道を静かに歩いている。

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

上高地スイーツ

上高地スイーツ

上高地スイーツ

 

 

小布施町

 

 小布施町は半径2キロメートルの中に全ての集落が入る、長野県では一番小さな町である。

町名の由来は、町の中を流れる千曲川と松川が合流する地点にあることから、「逢う瀬」が転化して「おぶせ」に成ったと言われている。

江戸時代、北信濃の経済の中心地として栄え、小布施文化の花開いた町は、今では「栗と北斎と花の町」「歴史と文化の町」として知られた観光地でもある。歴史を感じる町並と小路、葛飾北斎が愛した町、福島正則の菩提寺・岩松院には、小林一茶が詠んだ句「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」が残されている。

 

小布施町

小布施町

小布施町

 

小布施町

小布施町

小布施町

 

小布施町

小布施町

小布施町

 

小布施町

小布施町

小布施町

 

上高地にある「五千尺ホテル」の喫茶「5 HORUN」で人気の季節限定「小布施栗のモンブラン」は、栗の産地として知られる小布施町産の熟成完熟栗が使われている。当地と栗の関わりの歴史は古く、室町時代から始まっていたとされている。

松川がもたらす酸性土壌が適しているらしく、栽培は600年余りも前から行われていて、江戸時代には将軍に献上されたほどだ。

 

 この土地は、寒暖の差が激しく雨が少ない気候で、昔からりんごやぶどうも盛んに栽培されていた。

「五千尺ロッヂ」に併設された「カフェテリア・トワサンク」の「信州完熟りんごのアップルパイ」がどこの町のリンゴなのかは定かではないが、この近辺でも至る所でリンゴ畑を目にすることが出来る。

 



 

| ホーム | 国内の旅行 | このページの先頭 |

 

(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system