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旧信越本線の廃線跡
横川の駅前から、旧国道18号線を行くJRバスに乗り、熊ノ平駐車場で降りる。 駐車場を抜け、国道を渡るとそこが「アプトの道」入口で、100段ほどの階段が山の急な斜面に造られている。 それを登り詰めると旧信越本線の熊ノ平駅跡である。 当時は旧碓氷線が単線のため、上り下りの列車の行き違いと、蒸気機関車への給水や石炭の積み込みが主の目的で造られた駅だ。 アプト式鉄道の廃止後は信号所扱いとなっているので、乗客の扱いはほぼなかったのであろう。 この駅の前後は崖に成った山肌が迫っていて、周辺には民家らしい建物も、その跡地らしいものも見当たらない。
ここには当時のものと思われる2面のホームの跡や、赤茶けて錆びた上り下り2本の線路、架線や、煤で黒く汚れた変電所の白い建物(昭和になって新設されたものらしい)などが残されている。 両線の間に有ったと思われる留置線は撤去されていて、そこが整地され遊歩道になっている。 駅の先では単線に絞られたレールが軽井沢方面に向かって残されているが、その先のトンネルの入口は封鎖されているので、その先を見通すことは出来ない。軽井沢側では、遊歩道の整備はされていないと言う。
構内には「碓日嶺(うすいみね)鉄道碑(アプト式開通の碑)」が建っている。 元々軽井沢駅前にあったが、関東大震災で倒壊しそのまま放置されていたものをこの地に移したものだと言う。 幾つかに割れたものをつなぎ合わせたように見えるのはその性のようだ。
旧熊ノ平駅構内の変電所を右に見て、旧線の踏切を渡るとその先には、「殉難の碑」が有る。 昭和25(1950)年6月8日の早朝に大規模な山崩れが起きた。 その復旧作業中に土砂崩れが発生し、この二次崩壊により職員とその官舎に住む家族数十名が一瞬にして埋め去られた。 これは死亡50名、重軽傷者23名にも上る大惨事となった。 押しつぶされた官舎からは、乳飲み子を抱きかかえた若い母親の遺体が発見され、救助隊員の涙を誘ったと言う。 それを悼んで建てられたのがこの霊堂と母子像である。
アプトの道
日本の近代化に向け大きな貢献をした、信越本線碓氷峠のアプト式鉄道(旧碓氷線)は、昭和38(1963)年9月碓氷新線の開通により、その70年余の歴史に幕を閉じた。 数々の難工事の末に生まれたその鉄道施設・線路跡は、上信国境に近い標高400〜950mの間に位置している。 周囲は自然が豊かな地であることから、当時の建設省の「ウォーキング・トレイル事業」(平成8年から始めた事業)により旧上り線は「アプトの道」として生まれ変わった。
「碓氷峠鉄道文化むら」の右側にある入口を起点として、途中変電所跡、峠の湯、碓氷湖、めがね橋などを経て、熊ノ平停車場跡に至る約6キロが遊歩道として整備されている。 これは鉄道が苦しんだ標高差300m、66.7パーミルの上り勾配を体験しながら約6キロのハイキングコースである。 終点の熊ノ平停車場跡で折り返せば、上り2時間、下り1.5時間と言ったところが標準的なコースタイムらしい。
旧熊ノ平駅跡からしばらく下ると最初のトンネル、第10トンネル(102.7m)の入口が見えてくる。 建築学的には煉瓦造りパラペット、笠石、帯石有り構造と言うらしいが、素人には何のことか解らない。 トンネルの入口は、アーチ状に煉瓦で坑門を構え、周りも煉瓦で固めた幾何学的な美しいフォルムを見せている。
その先で第9トンネル(120.3m)を抜け、それに接した第6橋梁(51.8m)を渡る。 この辺りでもまだ標高が高いのか、周りは豊かな自然に恵まれている。 ようやく紅葉が始まった様子で、風が揺らす葉音と、時折行き違うハイカーの足音だけの静謐な空間が続いている。 更に道を下ってその先で第8(91.5m)、第7(75.4m)と短いトンネルを抜けていく。
更にその先の第6トンネルに向かう。 やがて見えてくるのは、煉瓦造りのアーチを切石が支える、外国の城門のような姿をした切石造り坑門である。 今まで見てきた総煉瓦造りとは違って、どっしりとした重みと風格が感じられる。 中に入ると坑道は、今までと同じ煉瓦造りだが、全体が緩やかなS字型のカーブを描いていて、長さも同線では最長の550mも有り、出口の明かりは見ることが出来ない。途中には横坑幾つか設けられている。 今では明かり取りの役目を果たしているが、これは当時工期の短縮のため中央部からも掘り進めた名残だという。
どのトンネルも周りは草むし、上から蔓草が垂れ下がり、時の流れが感じられる。 中に入ると、ほのかな灯りが暖かく感じられるものの、気温は幾分下がっているのか、少しひんやりとした空気を感じる。 アプトの道は、このように鉄道が苦しんだ急な勾配と、幾つものトンネルを抜け多くの橋梁を渡る道であるが、それらの姿は様々で、そんな意匠の違いを見るのもこの道を歩く楽しみの一つである。
第6号トンネル(546m)を抜けると、急に人が多くなりこれまでに無く賑わっている。 道幅が広がり、その道の脇には休憩用のベンチも幾つか置かれ、何人かのボランティアスタッフも駐在している。 ここは、アプトの道のハイライトとも言える橋の上である。
眼下には旧国道18号線が通っていて、路肩に車を止めた多くの観光客が、カメラを向け、或は見上げている。 その国道からは、坂道と階段を300m程登る道が橋の上まで続いているので、上ってくる人も随分と多い。 橋からの眺めは雄大で、かつて吉永小百合をモデルにしたJR東日本のポスターや、映画「風たちぬ」の撮影に使われるなど、多くのドラマなどの舞台としても紹介されている。ここは、「国重要文化財・碓氷第3橋梁」、通称「めがね橋」と言う。
碓氷川に掛かるこの橋は、横川と軽井沢のほぼ中間に位置し、その長さが91m有り同線に架けられた橋の中では最長である。 橋の前後でおよそ6mの高低差がある傾斜した橋でもある。橋脚の高さは31.3mで、径間18.2mを4つ繰り返す国内でも最大クラスの4連アーチ橋だ。建造には10ヶ月ほどを要したらしく、およそ200万個もの煉瓦と、2,720樽のセメントが使われたという。
北に見える紅葉の始まった山の稜線は、刎石(はねいし)山の急坂を登り切った尾根道で、その底には旧中山道が通っている。 山の中腹には、複線電化で造られた新線の橋梁が見えるが、ここには今でも線路も架線の残されたままらしい。 北陸新幹線はその更に3q先を通っているというが、ここからは目にすることは出来ない。
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