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五月雨を 集めて涼し 最上川

 

「五月雨を 集めて涼し 最上川」

元禄2年5月、最上川と始めて対面した芭蕉は、この土地の句会でこう発句したと言う。

しかしそれがなぜか「五月雨を 集めて早し 最上川」と今に伝えられている。

梅雨時の最上川は水量も多く、流れも早い事から、いつしかこんな風に変化してしまったのかも知れないが、その当たりの事情を私は知らない。

 

陸羽西線は、殆どの列車が酒田駅始発で、暫くは羽越本線を走り、内陸の余目駅を目指す。

そして、ここを基点にほぼ東に進路を取り、山形県の新庄に向かう。

最上川に沿って走ることから、その愛称を「奥の細道最上川ライン」と言う。

 

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乗り合わせた女子高生に「鳥海山は何処に見えるの?」と聞いてみた。

すると、「こっちに・・・・」と指を指し、教えてくれた。

しかし、その先には幾重にも重なり、低く垂れ込める灰色の重い雲が見えるだけだった。

それでもその方向に目を凝らしていると、列車が進むに連れ、雲の切れ目から美しい稜線らしい山容が見え隠れし、車窓を慰めてくれる。

運が無ければ、「出羽富士」と言われる端麗なその姿を見ることが出来たのに残念である。

 

 

おしん

 

そんな景色に気を取られている内に、いつの間にか最上川が近づいてきた。

「日本三大急流」の一つと言われる割に、流れは早くなく、緩やかに見える。

それでも水量は多く、悠然と流れるさまは、風格さえ感じられる。

 

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ふと、おしんが、船出したのはどの辺りだったのだろう、とテレビのワンシーンが浮かんだ。

NHKのテレビ小説「おしん」で、幼いおしんが船出した最上川のシーンは、視聴者の涙を誘った名場面として今も語り継がれている。

この川の何処であのドラマは収録されたのであろうか・・・などと考えているうちに、車窓は結露で曇り、川は見えなくなってしまった。

 

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内陸に入って、外気温が下がってきたのかも知れない。

列車は間もなく新庄駅に到着する。

 

新庄からは今晩の宿、秋田に向かう最終列車に乗りつぐが、到着は深夜に成る。

 

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みちのくの小京都 角館

 

「みちのくの小京都」なんとも心地よい響きである。

観光ポスターで見る角館は、桜の風景が美しい。

樹齢200年を越える老樹など400本余りのしだれ桜などが、華麗に咲き誇る様は、なんとも絢爛で感動すら覚える。

人びとを圧倒する美しさを誇っている。

こんな角館は、全国に数ある小京都の中でもどうしても行ってみたいと思っていた場所だ。

 

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白と黒を基調に、壁にピンクの桜の花びらをあしらった平屋の駅舎が如何にも角館らしい。

そんな駅を後に、緩やかに左にカーブする駅前通りを15分ほど歩くと、郵便局に突き当たる。

ここを右に曲がるとここら辺りが商人町、今でも通りには色々な店が犇いている。

 

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暫く歩くと役場の前で広い道が交差する。

「火除け」と言われる防火帯だ。

幅が25メートル程だと案内板には書いてある。

東の花場山、西の桧木内川に挟まれた、町で最も幅の狭い場所であり、ここを越えると、北側に武家屋敷の広がる武家町が有る。

昔は火事が出たときに、ここで防火線を張ったのであろうが、それは表向きで、どうやらここが武家と町人を区分する境界であったようだ。

 

 

武家屋敷通り

 

火除けを過ぎると小田野家、河原田家、岩橋家と武家屋敷が続く。

ここら辺りは東勝楽丁と言うらしい。

その先でカギ形に道路を曲がると、表町下丁の広々とした道路が先に抜けている。

この道の曲がり具合は、敵の侵入に備えた昔からのものらしい。

その曲がった先に、角館を代表する屋敷構えの青柳家や石黒家がある。

 

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道と言えば、ここ角館は今までに色々なところで見てきた武家屋敷通りとは少し様子が違う。

道幅が非常に広いのだ。

これも防火帯の意味を持っているのであろうか。

万が一の場合にも、向かいの屋敷への延焼を防いでいたのかも知れない。

 

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そんな広々とした通りを挟んだ両側には、黒っぽい重厚な塀を廻らした屋敷が建つ。

その上から負い被さるように深い木立が茂り、そこに新雪が積もり、まるで水墨画を見るように美しい。

朝が早いこともあり、観光客がぞろぞろと歩いていないのが尚良い。

 

 

青柳家と石黒家

 

道路で、雪かきをしていた男性と目が合った。

「雪かき、大変ですね」と話しかけると、「いつもの事だから、どうって事は無い」と笑った。

「やっぱりシーズンは春ですか」と聞くと「春は人が多すぎる。秋も良いんだけど、意外と知られていない」と雪かきの手を休めながら教えてくれた。

 

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開館にはまだ少し間があった。

角館を代表する武家屋敷、青柳家の薬医門の辺りでうろうろしていると、中から「よろしいですよ、どうぞーっ」と、声が掛った。

入村料500円を払って中に入る。

 

数百年の年輪を刻む巨木、大木の隙間を縫うように建てられた母屋から武器蔵、秋田郷土館などを見て回る。

それらは、武家屋敷の格調をそのまま今に伝えている貴重な建物だと言う。

一回りした出口付近にハイカラ館がある。

蓄音機やカメラ、時計などアンティーク・ミュージアムとして常設展示されているが、アメリカ製のオートバイ「インディアン号」が珍しく、面白い。

1階のコーヒーショップで冷えた身体を温める。

“南蛮茶”、当時はこう呼ばれていたらしいコーヒーは、この地で飲まれたのが日本での始まりらしい。

 

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その少し先に石黒家が有る。

堂々とした茅葺屋根の母屋が風格を感じさせる、1800年頃の築と言われている。

黒板塀に囲まれた屋敷内には、青柳家に負けず劣らず古樹が密生し、その歴史的風格を感じさせる。

 

 

新潮社記念文学館

 

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「青柳家」「石黒家」など角館を代表する武家屋敷などを見た後、桧木内川の土手に出た。

春には咲き誇る桜の並木も深い雪に埋もれて休眠中、あたりは静まり返っている。

明るい日差しに雪の反射がまぶしい。

道路は深い雪に覆われているが、余り寒さは感じない。

風も無く穏やかで雪見の散歩も悪くない。

 

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そのまましばらく土手道を歩く。

横町橋辺りで土手を下り、田町武家屋敷通り向かう。

 

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たてつ家や西富家などを見ながら、田町上丁に有る「新潮社記念文学館」を訪ねてみる。

ここは文芸ファンにはお勧めのスポットだ。

 

ここ角館は、新潮社の礎を築いた佐藤義亮の出身地とか。

綺麗で、明るく静かな館内では、明治以降の近代文学の歴史に触れることが出来る。

それにしても、メインの通りから少し外れているからか、他に入館者が一人もいないのが些か寂しい。

 

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盛岡へ

 

雪の角館も悪くは無かったが、やはり春の桜が咲き誇る季節にまた来てみたい。

そうそう、雪かきのおじさんが言っていた紅葉の頃も見てみたい。

そんな事を思いながら、角館1249分発のこまちで盛岡に向う。

 

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列車は暫く走ると奥羽山脈越えに備え、少しずつ登り始める。

この頃から、車窓は横殴りの雪で、景色は見えにくくなり、厳しい自然に晒される山岳地帯の様相を呈してきた。

 

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15分ほどで田沢湖駅に到着する。

水深が423.4mで日本一と言われる田沢湖への観光の玄関口だ。

また、鄙びた秘湯の風情が人気を呼んでいる乳頭温泉へはここからバスが出ているらしい。

 

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田沢湖を出て、やがてそのピークで山脈をトンネルで抜けると、今度は急坂を下る。

ここら辺りは本当に山の中と言う感じで、線路際に民家を見ることは殆ど無い。

普通列車さえ僅かしか走らない事情が良く解る。

列車のスピードも極端に遅くなり、凡そ新幹線とは思えないゆっくりとした走りと成る。

雫石、小岩井を過ぎ、少し開けた平地に市街地が広がれば、盛岡はもう近い。

 



 

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