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城下町・松本
長野県の松本は、旧信濃国に有って、譜代大名・戸田氏等が治めた6万石の城下町である。 幸い戦災を逃れた事で町並も嘗ての面影を伝え、町中には歴史的な建造物が多く残っているそうだ。 見物は何と言っても、日本最古の木造天守、国宝・松本城の五重六階の漆黒の天守であろう。 城下は本町、中町、東町に町割りされ、そこには二十四小路と呼ばれる小路が敷かれていたと言う。 町歩き観光もこれらの「縄手通り」「中町通り」などを巡るのが中心のようだ。
漆黒のお城は、雪化粧もよく似合い、四季折々異なった姿が楽しめるのもこのお城公園の特徴である。 また、近くにある日本で最も古い和洋折衷様式の建物とされる「旧開智小学校校舎」も見どころの一つだ。 郊外には、浅間温泉などの温泉郷や、アルプスが遠望できるアルプス公園なども有る。
大糸線
松本観光の中心松本駅は、国鉄の篠ノ井線、松本〜西条間の開通と時を同じくして開業した。 駅は4面8線を要する地上駅で、県下では長野駅に次ぐ一大ターミナルだ。 開業は明治35(1902)年で、近年市制100周年を記念して、駅舎や駅前広場の大改修が行われている。 橋上に駅舎があり、松本城への玄関口「お城口」、と北アルプスを望む「アルプス口」の二つの入口がある。 東西は自由通路で結ばれている。
リニューアルの一環で、お城口階段下に、旧駅舎に掲げられていた駅名標が飾られた。 説明によれば、駅舎の改築するさい、取り壊される駅舎に有ったもので、市民の要望によりここに掲出されたという。 元々は昭和22(1947)年に、当時の駅舎が落成したのを記念して掲げられた物だ。 安曇野に在住した篆刻家で俳人の曽山環翠(1881〜19763)が、揮毫し木彫りにより制作された表札だ。
駅前広場には、播上人の像も建てられている。 播驍ヘ江戸時代後期に越中の国に生まれた、修行の場を山岳に求めた浄土宗の僧侶である。 文政11(1828)7月43歳の折、待望の槍ヶ岳に初登頂し、山頂に仏像を安置する事に成功した。 それは、一度目は途中で断念し引き返したのに続き、二度目の挑戦での成果であったと言う。
像は、昭和61(1986)年に、彫刻家上条俊介により制作された。 松本は山岳都市で有り、北アルプスの玄関口でもあり、相応しい場所として駅前の広場に建立された。 その姿は、風に煽られる衣が厳しい自然に立ち向かう播驍フ姿を良く現している。
松本駅は、JR篠ノ井線の途中駅であり、大糸線の始発駅である。 と同時に、上高地の玄関・新島々とを結ぶアルピコ交通(旧松本電気鉄道)上高地線の始発駅でもある。
大糸線は松本市の松本駅から糸魚川市の糸魚川駅の間、105.4qを42の駅で結ぶJRの路線である。 線名は、元々が信濃大町と糸魚川を結ぶ路線として開業したことから、一文字ずつ取って名付けられた。 信濃鉄道の松本〜信濃大町と、国鉄の信濃大町〜糸魚川間の路線がその前身である。 戦後の昭和32(1957)年に、国鉄の買収により全線が開通し大糸線となった。
途中の南小谷までがJR東日本が管轄する電化区間で、関東方面からの特急も乗り入れている。 その先はJR西日本の管轄する非電化区間となり、普通列車のみの設定で、よりローカル色が強くなる路線でもある。 全線を通して運行する列車は無く、信濃大町や南小谷等で乗換えることになる。
路線はほぼ、日本を二分する中央地溝帯(フォッサマグナ)の谷間を走る。 初めは松本盆地を北上し、安曇野と呼ばれる日本の原風景とも言える長閑な地を駆け抜ける。 この辺りでは、北アルプス(飛騨山脈)の常念岳、鹿島槍ヶ岳等の山々の景観が素晴らしい。
途中の信濃大町を過ぎる辺りから盆地は途切れ、山岳地帯へと入り込み車窓風景はこれまでとは一変する。 その先の見どころは、車窓間近に見える木崎湖、中綱湖、青木湖の仁科三湖だ。 また周辺には、スキー場などでも知られる白馬岳の白馬三山などの雄大な風景が車窓を楽しませてくれる。
分水嶺を越えると日本海に注ぐ姫川に沿って北上する。 車窓風景は優しい川の名とは裏腹な、厳しい崖、岩ばかりの河原など、フォッサマグナの荒々しい地勢が展開する。 そこには、強固に作られた護岸壁や、砂防・水防のダムなど、人口の構造物がしばしば車窓に現われる。 鉄路はトンネルの連続で、その僅かな隙間から、こんな厳しい自然との闘いの歴史を伺い知ることが出来る。
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