穗高駅
松本駅を出た大糸線の列車・信濃大町行きは、暫くは篠ノ井線や国道19号線と併走する。
北松本を過ぎた辺りで、左にカーブしながら国道を潜り篠ノ井線と分かれる。
やがて長野自動車道を越え、上高地方面から流れ出てくる梓川を橋梁で渡ると梓橋駅に停車する。
駅名標の横には「是より北←安曇野」と手書きの看板が立てられていて、ここから安曇野に入る事を告げている。
この駅のホームには、リンゴの木が植えられているらしい。
地元の「梓橋りんご倶楽部」の手によるもので、「各種施設で頑張っている子供達にプレゼントする」のだと言う。
しかし残念なことに、実りの頃に成ると、収穫直前で盗難に遭うことがあるらしい。
松本から凡そ30分、列車が穂高駅に到着した。ここは特急の停車駅、安曇野観光の拠点駅でもある。
1面2線島式ホームを持つ地上駅で、地元客らしい人々に混じり、観光客と覚しきかなりの客が降り立った。
ホームには二千メートル級の北アルプス(飛騨山脈)の山々を写したパノラマ写真が飾られている。
ここから望まれる、常念岳(2857m)、大天井岳(2922m)、燕岳(2763m)、有明山(2268m)などの景色だ。
停車した電車を見送り、見通しの良くなったホームから望めば、写真と変わらぬ雄大な景色が旅人を出迎えている。
位置的には、あの山並みの向こうが焼岳や穗高岳、槍ヶ岳などが連なっているはずだ。
山並みを辿っていると、「ここからはみえないよっ・・・」と、一緒に降りた地元の人が教えてくれる。
残念ながらここからは目にすることが出来ないが、この二つの山脈に挟まれた狭間が有名な観光地上高地である。
駅に跨線橋はなく、ホーム端に設けられた踏切を渡る。
駅舎は黒瓦葺きの切妻大屋根の建物で、昭和15(1940)年に完成したものを、平成に入って改修したらしい。
一見すると、落ち着いた神社風の堂々とした造りとなっている。
これは駅名の由来とされる、駅前に鎮座する穂高神社の社殿を模したものだと言われている。
安曇野という地は、元々は安曇平と呼ばれていた。
長野県中部にある松本盆地の内、梓川や犀川の西岸から高瀬川の流域にかけた扇状地の一帯を指す地名である。
昭和49(1974)年、当地出身の小説家・臼井吉見が発表した大河小説「安曇野」により広く認知され有名になった。
幾つかの川により形成された扇状地という地勢から、この地では至る所から地下水が湧出している。
湧水を利用してリンゴやわさび、ニジマスなどが育てられ、それらの産地が観光名所の一つとなっている。
昭和60(1985)年には、当時の環境庁がこの地の湧水を「名水百選」に選定した。
また平成7(1995)年には、国土庁から「水の郷百選」に選ばれた、「水とロマンのあふれる安曇野」でもある。
この地には美術館や記念館、カフェ、そば処や飲食店なども多く、そんな観光の中心となるのがこの駅だ。
駅前には道祖神や、穗高神社の常夜灯が立つなど、様々なモニュメントや案内板が観光客を出迎えている。
目の前の緑地には、駅から1キロほど離れた所にある「碌山美術館」を案内する石碑もある。
またその直ぐ横には、「登頂」と名付けられたブロンズ像と共に石彫りの道祖神も立てられている。
萩原碌山は、この安曇野の農家の子として生まれ、後に日本近代彫刻界に多大な足跡を残した彫刻家である。
その作品の蒐集と保存を目的に建てられた、教会を思わせる美術館・碌山館は、観光写真などでもお馴染みだ。
この地のシンボル的な存在で、地域社会に貢献し優れた公共建築として「公共建築百選」に選ばれている。
駅前の観光案内所に立ち寄り、観光マップを頂き、安曇野を少し歩いてみる。
穂高駅から歩いて3分ほどの地に、穂高神社の本宮(里宮)が鎮座している。
JRの駅名の由来となった神社で、御祭神は海神系の穗高見命である。
上高地の明神池畔に奥宮が、奥穗高岳山頂(3190m)に嶺宮がある事から、「日本アルプスの総鎮守」と称される。
境内は、鬱そうとした緑濃い森に囲まれている。
正面の石鳥居を潜ると左手に参集殿と社務所があり、先の小さな川に架かる石橋を渡り、更にもう一つ鳥居を潜る。
そこが神域で正面に神楽殿が建ち、右に若宮社が有る。
それを廻りこんだところが拝殿で、その奥に巨木に囲まれてご本殿が配されている。
本殿は中央に中殿、その左右に左殿、右殿を配する三殿方式が特徴と言う。
神社の最も重要で最大の祭が、ご本殿を20年ごとに造り変える式年遷宮だ。
文明15(1483)年の記録が今も残されているらしく、500年以上もその歴史が続いていることになる。
現在でも、古式に則り厳かに行われる遷宮祭は、市の無形民俗文化財に指定されている。
厳かな気が漂う境内には、パワースポットと言われる場所も幾つかある。
その一つが樹齢500年を超えると言う、ご神木の大杉・孝養杉だ。
境内に聳え立つ杉は、大正時代に地元の女の子が母親の病気平癒を祈願した木である。
願いは叶えられ、母親は元気を取り戻した、との言い伝えが残されているという。
海の無い信州のこの神社では、毎年9月に「御船祭」が行われる。
舟形の大きな山車をぶつけ合う、豪壮で迫力のある祭らしい。
御祭神の祖である、北九州や朝鮮半島を拠点とする海族「安曇族」の戦死を弔い、追悼する祭として始まったらしい。
東光寺と等々力家
穗高神社を後に、2.5キロほど離れ、歩いて行けば40分程の処にある「わさび農場」を訪ねてみる。
「あづみの周遊バス」なら、一日数便(季節運行・要時刻確認)有り、10分ほどで運んでくれるところだ。
また駅前には、レンタサイクルを借りられる店もあるが、折角の安曇野である、のんびりと歩いて廻りたい。
駅から1キロほど離れたところに、曹洞宗の吉祥山東光寺と言うお寺がある。
信州七福神巡りの内、大黒天の札所としても知られた寺だそうだ。
二層の立派な山門の前に、朱色に塗り込められた大小三足の下駄が置かれているのが目についた。
説明書きによると「吉祥仁王様の下駄」で、願いを込めて一礼してから履くと、所願が成就されるという。
「脚下照顧(きやつかしようこ)」と、大きな文字で書かれている。
自分の足下をしっかり見つめ、一歩一歩着実に進む事、そうすれば事が成就すると言う、禅の教えだそうだ。
その前にある長屋門を構えた立派な屋敷が、当地域の有力者として知られる「等々力家」である。
江戸時代には、松本藩の藩主が狩猟の折に滞在する本陣としても使われたそうだ。
古くは目の前の東光寺(古名、東龍寺)の創建にも大きく関わっていると言う名家らしい。
江戸中期に作庭されたという石組みの庭は、安曇野観光の名所の一つとなっている。
又、NHKの連続テレビ小説「おひさま」の舞台としても知られている。
等々力集落の「等々力本陣」を後に、そこを真っ直ぐに抜ければ、そば打ちの体験が出来る「こねこねはうす」だ。
そこから右に取り、集落の中の曲がりくねった道を抜け、広々と広がる田圃の中の道を行く。
大きな通りに出て、それを左折すると大王わさび農場に向かう道に出る。
北アルプスの絶景
通りの所々から、素晴らしい北アルプスの山並みを眺める事が出来る。
透き通るような青い空に、所々に白い雲が、アクセントを添えるように湧き上がっている。
その下には雪を頂いた灰色の山並み、蝶ケ岳、常念岳、東天井岳、大天井岳等の山々が屏風のように連なっている。
雲は纏わり付くようにその頂を隠し、風の流れがその表情を変えるので、幾ら眺めていても見飽きることがない。
安曇野では至る所から、こんな絶景を堪能できるのは、歩き冥利に尽き、最大のプレゼントを頂いているようだ。
暫く進むと万水川に架かる橋を渡る手前に、NHKの連続テレビ小説「おひさま」の一場面に登場した場所がある。
安曇野を代表する場所として、撮影地に選ばれたらしい。
この橋から振り返ると、一本の真っ直ぐなアスファルト道が、田圃の中に緩やかに下りながら伸びている。
交通量も少ない、何も遮るもののないほぼ直線道で、その距離は凡そ700mあるらしい。
この橋を渡って右に折れる土手道は、せせらぎの小路と名付けられている。
その道を行くと「わんだぁえっぐ」がある。川下り体験等が出来る施設らしく、ここからもその賑わいが窺い知れる。
左に行けば、「水色の時道祖神」を経て「早春賦碑」のある方面に行けるらしい。
正面に進めば、あと400m程で「大王わさび農場」で、広大な駐車場が既に見えてきた。
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