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山間の冬の夕暮れは早い。 いつの間にか山並みには薄灰色の微かなベールが掛かり、黒いシルエットに変わりつつある。 西を見れば陽は既に山陰に落ち、透けるような空の水色に、残照の淡い茜がグラデーションを見せている。 車窓は、少しずつ暗さを増し、室内の蛍光灯が線となって映り込む時刻となってきた。
信濃大町を出た列車は、市街地を抜け左に弧を描きながら進路を変える。 北大町を過ぎ、信濃木崎を出て国道148号線と併走するが、安曇野平はこの辺りで終わりだ。 これからは雪深い山間の地へと入り込み、車窓風景が一変すると、左手に穏やかな湖面が見えてくる。
まず見えてくるのが、周囲6.5q、最大水深29.5mの木崎湖(きざきこ)だ。 大町の市街地から近く、葛温泉から引湯した木崎湖温泉も有り、湖岸一帯の開発が一番進んでいるらしい。 通年営業のキャンプ場、湖ではウインドサーフィンや、ヨット、カヌー等水上アクティビティが充実している。 湖岸には、ペンションや民宿、旅館などの施設も多いらしい。
木崎湖では、一年を通してワカサギ釣りが楽しめ、釣った魚はその場で天ぷらにして食すのが人気とか。 冬の時期なら(4月初旬頃まで)、暖房を完備したドーム船でのワカサギ釣りが楽しめる。 専門のガイドが付き、エサ付けから釣り方まで教えてくれるプランもあると言う。
海ノ口駅を過ぎると木崎湖は遠退き、暫く国道と併走し、やがてスキー場でも知られる簗場駅に停車する。 駅前には周囲2.2q、水深13mという小さな中綱湖(なかつなこ)が見えてくる。 小さいながらも魚の種類も多く、中でもへらぶなは魚影も濃く、全国大会が開かれるほどだ。 冬には結氷するらしく、湖上でのワカサギの穴釣りも楽しめるらしい。
中綱湖に隣接して見えてくるのが、青木湖(あおきこ)である。 周囲は6.5q、水深58m、三湖の中では水深が一番深く、広さでも諏訪湖、野尻湖に次ぐ県三位の湖という。 ここに流れ込む川はなく、湖水は固定から湧き出す湧水らしく、県下でも有数の透明度を誇っている。 ここでは、ハート型をした湖面に、白馬連峰を写すさまが評判らしい。 西岸には、中綱湖にかけて「塩の道」も残されている。
青木湖が過ぎると白馬村に入り、西にカーブする辺りが佐野坂峠で、ここが信濃川水系と姫川水系の分水嶺だ。 分水嶺とは、降水の流れる方向の分れ道の事だ。 日本列島で言えば、太平洋側と日本海側を分ける境界線で、これを「中央分水嶺」と言う。 又太平洋と日本海への別れは「大分水嶺」、同じ海洋に流れる異なる河川境界は「中分水嶺」と言うらしい。
青木湖の水は南に下り中綱湖に流れ込み、さら農具川として流れる出る川は、南の木崎湖に繋がっている。 これら三つの湖を総称して、仁科三湖(にしなさんこ)と言う。 地勢的には、糸魚川・静岡構造線上の地溝上に出来た断層性の湖である。 大糸線は、山間に静かに佇むこれら三湖の畔に寄り添うように北に向かって進んでいく。
南神城を経て神城を過ぎる辺りから、右側には姫川水系の姫川の流れが寄り添ってくる。 川はここ白馬村の湿原の湧水を水源とする一級河川で、凡そ60q先、日本海の糸魚川に流れ下っている。 湧水が水源の性か水質は良く、何時も上位にランキングされるという。 この川の源流域は、「姫川源流域自然探勝園」という園地に成っていて、最寄りは南神城駅だ。
川の流れ方向を分ける分水嶺は、気候をも分ける境界線らしい。 信濃川水系と姫川水系を分ける佐野坂峠を境に、南側は中央高地式気候、北側が日本海側気候に分類される。 中央高地式気候は、周囲を高い山に囲まれた盆地の気候を言い、冬の気温は低く厳しいが、雪は比較的少ない。 それに対して日本海側気候では豪雪地帯が多くなると言う。
大糸線は稲尾駅や海ノ口駅では木崎湖を、更に簗場駅では中綱湖、青木湖を左手に見ながら北上してきた。 これまでの大町側でも寒さは厳しく積雪もあったが、ここからは一段と寒さも増す雪の多い白馬村である。 所謂多雪地帯、豪雪地帯などと呼ばれる地域に入ってきたようだ。
白馬村から小谷村にかけての車窓は、深い雪に覆われた白一色の世界が展開する。 廻りは比較的傾斜の緩い山並みが続き、広々としたスキー場を目にすることも多くなる。 特に白馬村は、夏は冷涼な避暑地として、冬はスノーリゾート地として人気だ。
白馬山麓のスキー場は、大正時代に始まったと言われている。 昭和27(1952)年には、日本で最初のスキー場リフトが架けられ、これにより爆発的な人気を得たという。 国内最大規模の八方尾根スキー場を初め、栂池高原や、白馬に代表される大きなスキー場等が目白押しだ。 広大なゲレンデやリフト等に混じり、リゾートホテル、旅館や民宿、ペンションなどの宿泊施設も多い。 車窓は暫し、そんな光景を楽しませてくれる。
東西の境界駅 南小谷
松本からは70q余り、標高513mに位置する南小谷駅には、辺りがすっかり暗くなった6時前に到着した。 小谷村の中心駅で、この小谷は「こたに」ではなく、「おたり」と読む難読駅でもある。 単式と島式ホームがあり、2面3線を持つ沿線では比較的大きく、東西の境界駅となっている。 大糸線はここまでがJR東日本の管轄で、電化され特急「あづさ」が乗り入れている。 これから先は、JR西日本の管轄で非電化区間となり、ますますローカル線の様相を呈してくる。
嘗ては気動車等により、境界線を越える列車の運行もされていた。 国鉄時代には、首都圏、中京圏や関西圏などから乗り換え無しでこの駅まで来られたと言う。 しかし、今日では全線を通して運行する列車の設定は全くない。
下り糸魚川方面の普通列車は、その殆どが松本始発で信濃大町までの運行だ。 それを越える便は一日二本程で、乗り継ぐ事となるがその先の本数は半減し、全ての列車がこの駅止まりだ。 その先は更に減り、2〜3時間に1本程度で、1日7本ほどしか運行されていない。
このように殆どが信濃大町と南小谷での乗り換えと成るが、上りも同じ状況である。 これらの駅での乗継ぎは、全てがスムーズにとは行かず、時には2時間程度の長時間待ちと成るケースもある。
豪雪地帯らしく、駅にはラッセル車が配備され、ホームにも雪かき用スコップや、小型雪搔機も置かれていた。 廻りは大雪が積もっているが、幸いホームの上屋が有るところは積雪の心配は無い。 それでも長いホームの端の方や、駅舎前などは雪搔きが必要で、冬は大変な労力を強いられているようだ。
村の中心駅である南小谷駅の駅舎は、平成22(2010)年の信州観光キャンペーンに合わせ改装された。 なまこ塀を模した蔵造りで、以前訪れた時とは随分と趣が異なっていた。 待合室も新しくなり、その一角は三畳程の畳み敷きの小部屋も有り、アットホームな雰囲気になっている。
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