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豪雪地帯と構造線上の姫川
元々姫川は、仁科三湖の一つ青木湖が水源であったが、地滑りにより流れが堰き止められ今の形になった。 その水源の一つは長野県白馬村にある親海湿原で、湧き出る水が川となり、糸魚川静岡構造線の上を流れ下る。 この湧き水は昭和60年に「日本の名水百選」に選ばれている。
その為か姫川は、水質ランキングでも何度も日本一に輝いた実績を持ち、水質の良い川として知られている。 上流域こそ白馬村や小谷村などが有るものの、中流域では地勢的にも人が住みにくい厳しい地となる。 為に、流域に大きな集落や工場も少なく、そこからの排水が少ないからである。
姫川は普段はその名の通りとても穏やかな流れだが、一度雨でも降ろう物ならとんだ暴れ川に変貌する。 降雨が直ぐに川に流れ込む地勢的な特徴も有って、地滑りや崩落が頻発し、過去に何度も大きな災害を起こしてきた。 平成に入り、大糸線が2年以上も不通と成り、運休した事は記憶に新しい。
途中の中土も北小谷もホームは雪に埋もれ、定刻に到着したものの乗客の乗り降りもなく、列車は直ぐに発車する。 北小谷を過ぎ、県境を越え新潟県に入ると過疎地域なのか、人家もまばらで心なし駅間も長く成ったように思える。
線路に沿う姫川は中流域から下流域に向かうが、益々白一色の世界で、姫川さえ凍り付いているように見える。 車窓から眺める雪景色は、旅の慰めとして申し分ないが、厳しい自然の仕打ちは時に大きな災難をもたらしてきた。 嘗ては大雪による長期間の運休や、雪崩の危険があるとして運休された事もしばしば発生している。
沿線は豪雪地帯と言われ、加えて中央地溝帯(フォッサマグナ)の谷間である。 車窓を見ると、堅固な両岸の護岸壁、砂防や水防の構造物が線路筋や国道148号線の至る所に施されているのが解る。 川には発電や水防の為のダムが幾重にも築かれ、長い雪よけのシェード(洞門)を目にすることも多くなった。 姫川のこの人口的な構造物のダイナミックな景観は、そんな自然と人との闘いの歴史を静かに物語っているようだ。
平岩駅は新潟県に入って最初の駅で、姫川温泉の最寄りで、徒歩なら10分ほどの距離と言う。 既に分水嶺を越え標高も264mと随分低くなってきたが、深い雪に覆われた駅には人影がない。 駅前には小さな集落も見えているし、姫川温泉まで行けば複数の温泉宿もあるらしい。
JR西日本の大糸線の営業係数は、非公式な試算ではあるが(同社は公表していない)850円余らしい。 これは、100円の運賃を稼ぐのに経費が850円かかる事で、一般に係数が100を越えると赤字と言われている。 ある資料によれば一日平均乗車人員は、沿線の頸城大野駅でようやく13名を数えるが、決して多い数字ではない。 南小谷以北の中土は1名、次の北小谷が3名、平岩が3名、小滝2名、根知3名と軒並み一桁台の前半だ。
これらの駅は全て無人駅で、かなり経費も切り詰めているように見受けられるが、それでも営業成績は大赤字だ。 その原因は、乗車人員の少なさに加え、冬期の除雪費用や、地勢的に災害が多く復旧費用等が嵩むからであろうか。 大雪や豪雨、地震等の災害復旧工事が行われる度に、バス代行とか、廃線の噂が度々流れている。 その根底にあるのは、周辺地域の過疎化もさることながら、矢張りこの営業成績の悪さである。
平岩を出ると次の小滝の間には、25‰と言う急坂下りも有る。 その小滝駅は、片側1面1線の単式ホームを持つ小さな無人駅で、秘境駅と言われている。 駅前には国道が通っているが、廻りに集落は無く、乗客もいず僅かな停車時間で乗り降りも無く直ぐに発車する。 昭和50年代には、乗客も80人以上いたと言われているが、その後の衰退振りは惨憺たるものだ。 ここには大糸北線が延伸された昭和10(1935)年の、開業当初の駅舎が残されている。
自動車で言えば、60〜70qぐらいのスピードであろうか、列車は速度を抑え、鉄輪を軋ませながら進む。 山と川しか見当たらない、南小谷以北の区間でのトンネルが占める割合は、ほぼ3割と言う。 右に左に小さなカーブを何度も繰り返し、大小幾つものトンネルを抜け、ゆっくりゆっくりと進む。
トンネルを抜け、まぶしい視界が戻ると、そこは抉られた谷底を流れる姫川である。 厳しい地形で殆ど人家の乏しい地で、自然が創り出した景観と、人口の構造物が相まった雪景色が展開する。 これは見応えが有り、飽くことも無く車窓を楽しませてくれ、これが大糸線の大きな魅力ともなっている。
その先の根地駅は、大糸北線が糸魚川から開通した当時の終着駅である。 こちらには小滝駅より1年早い、昭和9(1934)年開業当時の古い駅舎が残されている。 無人駅であるが、駅前には何軒かの人家が見えている。
嘗て鉄道全盛時代、単線であっても当時はどの駅も相対式、或は島式のホームを有していたらしい。 従って駅での列車交換が出来たようだが、利用客の減少や、貨物輸送が廃止された事等も有り淘汰されてしまった。 根地駅は南小谷以北では唯一、相対式ホーム2面2線を持っていて、ここでは朝夕2回の列車交換が行われている。
根知駅を出る辺りで山は次第に遠退いて行った。 平野が広がり、辺りにも明るさが戻ったようで、心なし人家も増え賑わいも見受けられる。 頸城大野のホームにはまだかなりの雪が積もっていたが、目の前を通る国道に雪の影響は殆ど感じられない。 市街地が随分と近くなってきた。
姫川は、単式1面1線のホームを持つ駅だ。 人影も無いホームに雪はなく、手押しの雪搔機は出番もないのか、赤いシートカバーが掛けられている。 大糸線では最も新しい駅で、駅前に出来る大病院の利用を見据えて昭和61(1986)年に開業した。 しかし肝心の病院は僅か20年で経営破綻、閉院となり、以後この駅も一日平均乗車人員は極めて少なくなった。 病院が無くなってしまうと車中心の社会では、ここから鉄道で糸魚川まで出る、又ここへ来る理由はないらしい。
無人駅の前で、病院に代わって目立つのが、大規模な糸魚川温泉の建物である。 調べてみると、温度97℃、毎分1500リットル湧出の源泉が自慢の温泉宿らしい。 フォッサマグナから湧き出す1500万年前の化石海水で、日帰り利用も出来るが、鉄道を利用する客はいないらしい。
終着駅・糸魚川はヒスイの町
大糸線の旅もいよいよ終着駅が近づいてきた。 姫川を出て短いトンネルを抜けると、これまで連れ添ってきた姫川の流れは西に遠退き、視界からは消えていった。
右に少し進路を変えながら、前方の北陸自動車道の高架を潜ると、左手に大きな工場が見えてくる。 近隣で豊富に産出する、高品質な石灰石を原料として、セメントを製造する「明星セメント」糸魚川工場である。 やがて「えちごトキめき鉄道(日本海ひすいライン)」の線路が近づき、北陸新幹線の高架が見えそれを潜る。 暫くその線路に併走するとやがて終点の糸魚川に到着だ。
午前11時半に少し前の頃、大糸線の終点・糸魚川駅の4番ホームに到着した。 車内は頸城大野で多少の入れ替わりがあった程度で、南小谷からの乗客がほぼそのまま降り立った。 客は足早に、出口や乗換口に向け跨線橋の階段を上っていった。
糸魚川はJR西日本と、えちごトキめき鉄道、JR貨物の共用駅である。 北陸新幹線の金沢延伸に伴い、北陸本線が並行在来線としてJRから切り離され第三セクター化されたからだ。 新潟県内では唯一のJRが管理する有人駅となり、新幹線開業と同時に橋上駅舎に改装された。 以前訪れた時とは随分と異なり、綺麗で近代的な駅舎に変貌を遂げていた。 南北の自由通路を挟んで、北口が日本海口、南の新幹線側はアルプス口として一新されている。
糸魚川はヒスイと「世界ジオパークのまち」である。 日本海口を出るとその東の隣接地に、「ひすい王国館」という交流施設がある。 観光物産センターや飲食店、観光案内所などが入っている。
又、アルプス口には「糸魚川ジオステーション ジオパル」と言う施設もある。 ジオパーク関連の紹介や案内に加え、鉄道関連の保存展示が行われているらしいが、もう立ち寄る時間は無い。 いつの日かもう一度訪れる機会はないものかと思いつつ、ここからは北陸新幹線で、最後の金沢に向かう。
北陸新幹線の車窓
糸魚川は、大糸線の終着駅であると同時に、嘗ては北陸本線の途中駅であった。 しかし北陸新幹線の開業に伴い、北陸本線の市振と直江津間が新幹線との並行在来線として第三セクター化された。 「えちごトキめき鉄道」に業務移管され、同社と大糸線を管轄するJR西日本とが同居する駅となった。
因みに「えちごトキめき鉄道」は、現在二路線を運行している。 直江津と市振の間の「日本海ひすいライン」と、妙高高原と直江津の間の「妙高はねうまライン」である。
糸魚川から北陸新幹線「はくたか」に乗車、最後の目的地金沢に向かう。 各駅停車タイプの「はくたか」は、嘗ては北陸本線や北越急行線を走っていた特急である。 平成27年に高崎から長野を経由して金沢までの北陸新幹線が開業すると、同線では廃止され新幹線に引き継がれた。 最速タイプの「かがやき」は、全ての列車が当駅を通過する。
高架を走る北陸新幹線の車窓は素晴らしい。 右には鈍色に沈む広々とした日本海が、水平線をどこまでも見せている。 眼を左に転じれば、雪を頂いた幾つもの山々が後ろにあっという間に退いていく。
糸魚川を出て直ぐに、一際に目を引くのは町並の途切れる辺りから屹立する山塊、黒姫山(1221m)だ。 先程大糸線で目にしたセメント工場の原石採掘場は、この山の近くにあるらしい。
沿線は北陸地方の雪国である、平野部の積雪は少ないものの、流石に近隣の山々の雪は多い。 黒部川を渡る辺りで見えてくるのは、黒部立山連峰であろう、すっかり雪に覆われている。 能登半島の雨晴海岸から富山湾越しの眺めも素晴らしいが、この車窓からの眺めも負けず劣らず素晴らしい。
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