大井川鐵道
大井川鐵道は昭和2年、金谷から横岡間で開通し、その後の延伸で千頭まで開通するのは、4年後の事である。
その始発駅はJR金谷駅に併設され、終点までの39.5Kmを、凡そ1時間に一本程度の普通列車が走っている。
また千頭から先は、急勾配を登る区間と成り、25.5Kmのトロッコ列車の旅を楽しむ事が出来る。
この路線は、元々は中部電力がダム建設のため開通させた専用軌道が前身である。
終点の井川の標高は686mで、途中には90‰と言う急勾配があり、その区間ではアプト式機関車が走行している。
始発の金谷では、天気が良ければ左側に富士山が見え、駅を離れるに付けそれは右側に移っていく。
周辺は一面の茶畑で、左手は有名な牧之原台地で、ここには旧東海道金谷の石畳道も残されている。
神尾駅の無人のホームでは、「神尾たぬき村」の信楽焼の狸達41体が出迎えてくれる。
秘境駅と呼ばれる駅で、一日の乗降客は沿線全駅の中でも最低で、狸より遙かに少ない数名しかいないそうだ。
当初のSL列車の車掌が、乗客からのチップを貯め、寂しい駅に賑わいを、と購入したのが始まりという。
家山や抜里の駅は、古い木造駅舎が知られている。
家山駅から歩いて10分程の国道の両側には、桜が500本ほど植えられているらしい。
春には見事な桜のトンネルになるらしく、桜の名所として知られている。
始発からこれまで大井川の西岸(右岸)を辿ってきた線路が、初めて鉄橋で東岸に渡ると川根温泉笹間渡だ。
ここは歩いて10分ほどの所にある、「川根温泉ふれあいの湯」の最寄り駅である。
温泉を中心に、道の駅、温水プール、食事処などの揃うリフレッシュゾーンである。
日本一短いトンネル
次の地名駅を過ぎると、うっかりしていると見過ごしてしまうほど小さなトンネル(?)を潜る。
長さ約11メートル、地元では日本一短いトンネルとして親しまれているらしい。
元々は線路上を横切っていた荷物運搬用索道の施設で、線路に物が落ちないよう保護目的で造られたものらしい。
ここら辺りは、大井川もかなり上流域に成るはずなのに、まだまだ川幅も広く滔々と流れている。
塩郷には、中部電力の塩郷ダムが造られていて、その少し下流の塩郷の大吊橋は、一名を「恋金橋」と言う。
大井川に掛かる吊り橋としては、最長の220mあり、風の抵抗を抑えるため、渡り板は極力細くスリルがある。
嘗て山口百恵・三浦友和主演の映画、「炎の舞」のロケ地として使われたことが知られている。
ここまで大井川の東岸を、蛇行に沿うように走ってきた線路は、青部を過ぎると第二橋梁で西岸に渡る。
その先で崎平を越えると、蛇行を突ききるように第三・第四橋梁を立て続けに越える。
やがて沿線に町並が戻ると、終点の千頭に到着する。
動く鉄道博物館
昔から、静岡県は林業の盛んな所として、栄えていた。
鉄道の無かった奥大井の人びとにとって、当時川筋はイカダや舟、陸路は馬に頼るしか交通手段が無かった。
こんな地に有って、豊かな木材の搬出や発電所の建設で、鉄道の必要性が強く叫ばれるように成った。
そんな背景から、やがて開通した客貨混合鉄道は、まさに文明開化そのもので、沿線住民の生活は一変した。
しかし時を経て、やがて林業は衰退し、ダム建設も一段落し、周辺の開発も激減した。
これにより鉄道は、ダム建設用の専用軌道から、旅客専用の一般鉄道への衣替えを決意する。
丁度この頃、全線の電化工事が完成したことも有り、当時の主流であった蒸気機関車は廃止される事になる。
そんな歴史のある大井川鐵道には、色々な車輌が今も使われていて、「動く鉄道博物館」と言われている。
始発の金谷駅から乗り込んだ車両は、昭和40年代以降、近鉄線を走っていた車両だ。
濃いオレンジ色のボディに、窓枠を濃い紺色で縁取っている。
車内のオレンジのチェックのカーテン、えんじ色のリクライニングシートにも、どこか懐かしい匂いがする。
川根温泉笹間渡から千頭まで乗った車両は、元京阪本線を走っていた特急車のクハ3507である。
この他にも、南海線で活躍した車両や、近鉄の名古屋本線の特急車などがまだ現役で働いている。
動態保存されたSL、G10やC11は客車を牽引する事もあり、他にも静態保存されている蒸気機関車も多い。
終点 千頭駅
金谷からは39.5q、大井川鐵道大井川本線の終点、千頭駅に到着した。
そこは土をむき出しにした、長い長いプラットホームで、昔はどこもこんなプラットホームであった。
2面4線の櫛形ホームを持つ駅で、周辺の広大なヤードで広がる車両基地には、様々な車輌が留置されている。
C11形、C10形や9600形のSLや、電気機関車などが見える。
ここは、井川線との乗換駅でもあり、一段と低くなった6番線が乗り場となっている。
ホームに入る少し手前には、明治三十年の英国製と言われる手回し式の転車台が有る。
まだ現役で使われているらしく、これは有形文化財として登録されている。
駅舎は鉄骨一部二階建ての、落ち着いた雰囲気の山小屋風の建物である。
構内には土産物屋、うどんを食べさす食事処があり、「SL資料館」が併設されている。
奥大井観光や、寸又峡温泉の玄関駅でも有り、駅前には温泉行きの路線バスの乗り場がある。
駅から少し離れた県道77号線沿いに、「道の駅 奥大井 音戯の郷」がある。
ここには、大井川鐵道のSLが「日本の音風景100選」に選ばれた事を記念して造られたミュージアムがある。
昔懐かしい音、心を癒やされる音、普段聞くこともない珍しい音、そんな音との戯れを体感する。
ここは、体験型の音に関するミュージアムである。
SL・かわね路号
全線の電化により、一旦は消滅した蒸気機関車が、観光路線のシンボル的存在として復活した。
昭和51年に「SLかわね路号」として運行が始まると、今では日に三往復運行され、観光客の人気を呼んでいる。
このC10型8号機は、旧国鉄が製造した近代型タンク機関車である。
バック運転が出来、小回りのきく都市近郊の、比較的小規模旅客向け列車用として設計されている。
C10型としては現存する唯一の機関車で、今ここに活路を見出し、文字通り大車輪の活躍をしている。
千頭駅のホームに、C10型8号機が濃いチョコレート色の長い客車を従えて、乗客の乗り込むのを待っている。
小回りがきいてバック運転も可能らしく、この日もバック運転で客車を牽引して行く。
閑散としていたホームも、発車間近には人が増え、次々にレトロな客車に乗り込んでいく。
大きなツアーの団体客が幾つも乗り込んだようで、家族連れなども加わり、車内は思いの外込み合っている。
「ボォーッ」汽笛一声、高らかに響き渡った。
定刻になると連結器の音を連鎖的に響かせながら、蒸気機関車はゆっくりと動き出し、ホームを離れていった。
これから終点の金谷まで、流れ下る大井川に沿って、懐かしい蒸気機関車の旅の始まりである。
車内に入ると、前時代的な対面式のボックスシート客車が懐かしい郷愁へと誘ってくれる。
座席の色も、ひじ掛けも、直角に立ち上がった背もたれの枠も、スチール製の土台も、昔のままだ。
ネット製の網棚も懐かしく、窓の下の腰壁も全て木製で、窓枠の下に付けられた灰皿も、昔のままだ。
油の染み込んだ木製床の柔らかさは、昭和レトロそのもので、懐かしさ満載の客車である。
乗客は物珍しさからか、時には窓から顔を出し、風を受け、煙の匂いを感じながら、汽車旅を楽しんでいる。
力強いドラフト音を楽しむかのようで、そんな乗客の要望に応えてか、所々で汽笛が響く。
殆どが窓を全開にし、トンネルでも煙が車内に流れ込むのもお構いなしだ。
列車が駅に停車するたびに、観光バスで送り込まれたツアーの人びとが一塊に成ぅて乗り込んでくる。
そして、二駅か三駅かの体験乗車が済むと慌ただしく降りて行く。
行く先々の駅前には、そんなツアー客を捌く観光バスが何台も待機している。
車内では、車内限定商品の販売が有る。
SLおばさん(SL専務車掌)のハーモニカ演奏のサービスには、思わず乗客も一緒に口ずさむ。
遠い日のセピア色の思い出を乗せたSLは、1時間半程かけて川根路を駆け抜けていく。
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