豊後高田・昭和の町「新町通り商店街」
大分県北部に位置する豊後高田市は、周防灘に面した国東半島の西側に位置する町である。
昭和の時代まで海運の要衝として、又宇佐神宮の門前町として、町並が形成され商業が大いに発達した。
嘗ては宇佐神宮に向かう、大分交通の軽便鉄道・宇佐参宮線も乗り入れていた。
昭和40年に入ると、モータリゼーションにより鉄道が廃止され、町は衰退の道を歩むことになる。
あれほど繁昌した商店街は、何時しか犬や猫しか見ない、とまで言われるほどに衰退した。
幸いなことに、そんな町中には当時の町並や商店などが多く残されていた。
調べてみれば、商店街の凡7割は、昭和30年以前に建てられた店舗だった言う。
皆の思いのこもった商店街を、何とか残したいとの機運が高まるのは、四半世紀ほど前のことである。
その後、町の有志や商店主などを中心に、遺産を活用した「昭和の町」プロジェクトが活発化していく事になる。
古いことを逆手にとって、活気あるあの頃の町並を復活させようとする取り組みが始まった。
こうして駅前、新町、宮町、稲荷、中央通り等総延長550mの八商店街は、「一店一宝」を合い言葉に立上がった。
僅か7店舗からスタートした町も、今では40店舗以上に成り、年間40万人を迎え入れる商店街に甦った。
商店街には、懐かしい昭和の面影を見せる商店が軒を連ねている。
懐かしい学校給食を提供する店は、アルマイト製のトレイとお皿で料理が出て来る。
中程にある「であいの里」は、中央には鯉が泳ぐ小川があり、緑も豊かな飲食店などの複合施設である。
旧大分合同銀行の建物は、昭和の面影を残す町並の中核的な施設で、国の登録有形文化財である。
築100年という元呉服屋の建物は、「伯剌西爾(ブラジル)珈琲舎」という洒落た店に変身している。
当時のガソリンスタンドも再現されていて、表示されているのは、昭和37年当時のガソリン価格だという。
今では殆ど目にすることもなくなった給油機は、当時はどこのスタンドにもこれが置かれていた。
昔ながらの手作りのアイスキャンデーも懐かしい。
旗を立て、荷台に大きな箱をくくりつけ、チリンチリンと鈴をならし、自転車はやって来た。
すると、どこからともなく子供達が集まり、いつしかそれを取り囲む小さな輪が出来ていた。
豊後高田・昭和の町 「昭和ロマン蔵」
その中心的な施設の一つが、「昭和のテーマパーク 昭和ロマン蔵」である。
明治から昭和にかけて、大分県でも屈指の豪商として知られた、野村家の倉庫群を改造して開館した。
施設は、昭和10年頃建築された三つの大きな米蔵(旧高田農業倉庫)を中心に展開している。
北蔵には、当時の小学校や町屋の様子が、東蔵は駄菓子の博物館があり、南蔵にはレストランが併設されている。
南蔵のレストラン「旬彩南蔵」では、地元が生み出す旬の食材に拘った料理が提供されている。
大分県の郷土料理「とり天定食」「だんご汁定食」「豊後牛ステーキ丼」などが評判らしい。
「駄菓子の夢博物館」と「昭和の夢三丁目館」は、有料の見学施設となっている。
「駄菓子の夢博物館」では、6万点余りのおもちゃコレクションが展示されている。
「昭和の夢三丁目館」は、昭和30〜40年代の、当時の暮らしぶりや、学校の教室等を再現・展示している。
小銭を握りしめ買いに走った駄菓子も、ブリキのおもちゃも、ラジオやテレビのヒーロー達も懐かしい。
昭和を子供として過ごした者には、堪らないほどの世界で、当時の生活や友達を今に呼び戻してくれる。
昭和を知らない世代にも、映画で見聞きした世界を、ここではリアルに実感できる。
「昭和の町」は、あのバイタリティに溢れ、誰もが頑張ったあの頃を、その思い出を、見事に甦らせてくれる。
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