楼門が迎える温泉街・武雄温泉
武雄温泉は、JR武雄温泉駅から歩いて10分程の所に温泉街が広がる湯の町だ。
温泉の歴史は古く、およそ1300年前に書かれた「肥前風土記」に登場する歴史有る温泉である。
豊臣秀吉の時代、文禄・慶長の役では、名護屋城に集められた兵士達の慰労目的でこの温泉が利用されている。
また、江戸時代には長崎往来の宿場町としても大そう賑わったと言われている。
ここのシンボルは何と言っても大正3年に上棟された国の重要文化財の、まるで竜宮城のような楼門である。
これは天平式と呼ばれる門で、釘を使うこと無く組み上げられていて、国の重要文化財に指定されている。
楼門を潜ると、正面に木造入母屋造桟瓦葺、赤い柱と緑の庇が印象的な「武雄温泉新館」がある。
昭和48年まで共同浴場として使われたところで、国の重要文化財の指定を受けた建物だ。
館内は資料館や貸しホールなどに利用されている。
温泉に始めて訪れたのは、もうかれこれ半世紀も前の10代後半頃の事だ。
深夜にも拘わらず、まだ大勢の入浴客がいて、アルカリ性単純泉のさらっとしたお湯を楽しんでいた。
記憶に残るこの石張りの浴槽に、今は湯も無く、高い天井に響く人々の話し声も無く、ただ深閑としていた。
敷地内の左手には現在の共同浴場がある。
温泉施設としては、日本最古と言われ、レトロな風情を醸す「元湯」は、熱めと温めの二つの浴槽を持つ。
ジェットバスを設けたモダンな「蓬莱湯」、露天風呂とサウナを備えた「鷺乃湯」もある。
更には貸し切りの出来る「殿様湯」や「家老湯」があり、多彩の温泉入浴を楽しむ事が出来る。
美肌の湯・嬉野温泉
古くから湯治場として知られた嬉野温泉も、武雄温泉同様、佐賀を代表する温泉地である。
西九州の観光拠点でもある温泉で、市街地を流れる嬉野川の両岸に、老舗温泉旅館や公衆浴場などが並んでいる。
泉質は無色透明なナトリウムを多く含む「重曹泉」で、美肌の湯として知られている。
武雄温泉駅からは、バスで30分ほどの距離である。
嬉野温泉には凡そ17の源泉があり、90度前後の「美肌効果」のある温泉が湧き出ているという。
温泉街には無料の足湯もあり、大小40軒ほどある温泉旅館の多くでは、日帰り入浴も可能だ。
また温泉水を利用した商品開発も盛んで、特に「とろけるゆどうふ」がお勧めだという。
乗り潰し 唐津線・筑肥線
唐津線は長崎本線の久保田から、佐賀県を縦断するように西唐津まで行く42.5キロの路線である。
全線単線、唐津と西唐津間以外は非電化で、ほとんどの列車が佐賀を始発・着としている。
沿線の炭鉱で採掘された石炭を、唐津港まで輸送する目的で建設された路線で、前身は明治31(1898)年の開業だ。
古い路線図では、柚ノ木支線、相知炭鉱支線等の貨物用支線が確認できるが、昭和50年代後半には姿を消している。
60年代初めには貨物営業は全廃になり、今では1時間に1本程度のローカル線に成り下がっている。
沿線の多久は、高校生の折、二週間ほど滞在した懐かしい町だ。
駅近くの滞在先のすぐ裏が線路で、長い貨物を引いたSLが力強く走っていたことを今でも覚えている。
途中の山本は筑肥線との分岐駅で、この線は元々伊万里から、途中唐津、姪浜を経て博多を結ぶ路線であった。
ところが、博多と姪浜間が廃止され、更に東唐津と山本の間が廃線となってしまった。
そのため今では伊万里―山本間と、唐津―姪浜間に分かれ、列車の運行もこの間で行われている。
路線図では、唐津から山本の間は唐津線を共用し、山本から単独の路線で伊万里に向かっている事が良く分かる。
唐津線は松浦湾の海を目指し北上し、やがて高架線を暫く走り、唐津城の聳える唐津に到着する。
そこから路線の終点、車両基地の有る西唐津までは電化区間で、3分ほどで到着する。
唐津から姪浜に至る筑肥線は、福岡市地下鉄の空港線と直通運転し、博多駅やその中心部に乗り入れている。
その為車両基地の有る西唐津から唐津を経て姪浜までは電化区間で、途中の筑前前原から先は複線となっている。
博多の中心部に向けた通勤・通学路線でもあるらしく、乗客は多い。
乗り潰し 海の中道・香椎線
博多から香椎までは、鹿児島本線で10分ほどと近い。
その香椎を中心に、博多湾に面した西戸崎と宇美を結ぶ、25.4キロ、両端が行止まり駅の路線が香椎線である。
元々は、宇美周辺に点在していた炭鉱で採掘された石炭を、西戸崎港に運ぶ目的で開設された鉄道だ。
西戸崎と香椎の間は、「海の中道」を通ることから、この間には「海の中道線」の愛称が付けられている。
西戸崎と宇美駅間での全線直通運行も設定されているが、多くは香椎を中心に系統を分けた運行がされている。
今では沿線各地がベットタウンで、福岡市への通勤・通学の足として利用される路線でもある。
途中の長者原駅は、篠栗線(福北ゆたか線)との交差駅である。
博多の町へ出るにはここで乗り換えた方が早いようで、さすがに乗降客が多い。
酒殿の周辺には、嘗ての炭鉱のボタ山も残されているらしいが、車窓からはどれがそれなのかは良く分からない。
終点の宇美は、ここから歩いて10分程のところにある「宇美八幡宮」の門前駅だ。
それにあやかって、鳥居をイメージした駅舎は、柱が朱色に塗られている。
1面1線と1線の側線を備えた駅終着駅である。
駅の出札窓口に、「辛子めんたい風味 めんべい」成るものが置かれていた。
駅員に「美味しいですよっ・・・」と勧められ、一袋買って折り返しの車内で食べてみる。
めんたい味のピリ辛、パリパリ煎餅で、これならビールも進みそうで意外にも美味しかった。
香椎から終点の西戸崎までは「海の中道線」の愛称が付けられていて、列車は海に突き出た砂州の上を行く。
歴史上に名高い「金印」が発見された志賀の島は、この沿線の先で、志賀島橋により結ばれている。
本線を跨ぎ九産大を過ぎ、福岡マラソンの折り返し地点として知られた雁の巣辺りからは両側に海が近づいてくる。
左手に博多湾の海が広がり、右手にも海が近づいているが、防砂板に阻まれ余り見られないのが残念だ。
海ノ中道駅は、広大な「海ノ中道海浜公園」の玄関駅で、その敷地が尽きる辺りが終着駅の西戸崎である。
乗り潰し かつての花形路線
明治の中頃、筑豊炭田で産出される石炭を、若松港まで輸送する為に直方から若松まで鉄道が開設された。
その後鉄路は、鹿児島本線に接続する原田まで伸延され、66.1キロの筑豊本線となった。
嘗て石炭産業を支えた花形路線も、今はその面影は全く無い。
若松と折尾間は「若松線」、折尾と桂川間は「福北ゆたか線」、桂川と原田間は「原田線」といなっている。
このように本線は三つに分断され、愛称で呼ばれていて、当然のようにそこを通して運行される列車は無い。
この路線に有って一番に変身を遂げたのが、折尾と桂川の間である。
この路線は、博多の北、鹿児島本線の吉塚から桂川に至る篠栗線と合わせて「福北ゆたか線」と呼ばれている。
通勤・通学用の近郊型路線と成り、多くの列車が博多と折尾の間で運行されている
また、一部の列車は折尾から鹿児島本線に入り、黒崎や小倉、門司港まで直通運行されている。
電化された「福北ゆたか線」に比べると、桂川と原田の間の「原田線」は取り残され感が強い。
ローカル線のような扱いで、非電化区間に運行される列車は、朝夕を中心に8往復のみで日中は殆ど走らない。
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