九州の小京都・日田
大分県の北西部に位置する日田は、「九州の小京都」と言われる観光の町である。
古くから河川交通が発達し、他の地方と活発な交流が行われ、京や大坂や江戸の文化を積極的に取り入れていた。
三隅川での川魚漁や、山間部での林業を中心にした産業が盛んで、富を得た町人による文化が発達し町は繁栄した。
嘗ては豊臣家が直轄地として、江戸時代には幕府の天領となった地には、古き良き時代の面影が色濃く残されている。
観光の代表的なエリアは、白壁造りの町並が残る「豆田町」のそぞろ歩きだ。
江戸時代の建物も多く残され、それらに混じって資料館や土産屋、食事処が軒を連ねている。
また、市内を流れる三隈川では、400年の歴史を誇る夏の風物詩、鵜飼いも行われる。
日田は昔から良質な井戸水に恵まれたところだ。
町中には、薫長酒造、老松酒造、いいちこ、ビール等の酒造関連工場も多く立地し、中には見学できる施設も有る。
その一つ、花月川の川縁に有る蔵元・薫長酒造では、併設された資料館や酒蔵を見学する事が出来る。
工場にはレンガ造りの煙突が、シンボルのように聳え建っていて、それを取り巻く様に蔵が立てられている。
元禄時代に建てられた一番古い蔵もそのまま残り、他の四棟の酒蔵も建設された当時の姿をそのまま残している。
300年以上続く老舗の醸造元では、現在もそれらの施設を使って清酒や焼酎の製造を行っていると言う。
豆田町・雛御殿
「豆田町エリア」の通りの一角に、「雛御殿」と書かれた江戸時代のお駕籠を模した看板を掲げた店がある。
入口の脇には「醸造元 味噌醤油醸造元 創業天保十四年」とあり、味噌や醤油を売る店のようだ。
この店の奥が、古今のひな人形を見せる有料の施設に成っている。
朱塗りの煌びやかな門を潜ると、館内は畳敷きの広間に成っていて、その床や棚には一面緋毛氈が敷かれている。
その上には、3000体とも3500体とも言われる「おひなさま」が並べられている。
展示雛は、250年前の享保年間の内裏雛、洋装をした変わり雛、きせかえ雛から豪華な段飾り雛まで多彩だ。
加えてそれらに付属する雛道具、貝合わせ等も所狭しと並べられ、なかなかに壮観で見応えが有る。
これらはこのお醤油屋さんのコレクションらしが、こう言ったコレクションは他でも見ることが出来る。
「日本丸」と言う古い薬屋、日田の旧家・広瀬資料館、大分県の有形文化財に指定されている草野本家などだ。
当時、裕福な町屋では、高価な雛人形等を蒐集・保持し、飾り合い、その見栄えを競い合っていたと言う。
そのために文化の中心であった京や江戸から取り寄せたり、土産として持ち帰ったりしていたようだ。
そんな江戸から明治・大正にかけての古い雛が、旧家には伝えられ、今日の「日田おひなまつり」に引き継がれた。
毎年3月、豆田町や隅町の旧家や資料館などで、絢爛豪華な雛人形や雛道具等が一斉に公開される。
日田祇園山鉾会館
天領に成り、町に勢いが出て、町人文化が発達した日田には、もう一つ代表する祭りが生まれた。
今から500年も前、町衆が巨万の富を築き上げると、地元に氏神様を寄進し、山鉾を奉納するように成る。
山鉾の装飾は充実され、その後も追々に豪華さを増し、やがて町中を巡行、次第に祭りとしての形態を整えて行く。
豪華に飾り立てた山鉾は、文化・文政の頃、その高さは何と4〜6丈(12〜15m)にも及んだと言う。
明治に入ると町に電灯線が張り巡らされ、山鉾の高さが抑えられる時期も有ったようだ。
現在では国の重要無形民俗文化財に指定され、市内八町から高さ6〜11mの山鉾が引き廻される。
大松を輪切りにした四本の輪を土台にして、そこに四本柱を立て山鉾の台車を造る。
それらに、歌舞伎や浄瑠璃から題材を取った一場面を表す人形や、館、自然の情景等を賑やかに飾り付ける。
多くの装飾は手作りで、人形は地元の人形作家が造るそうだ。
しかし、日田の山鉾の特徴は、何と言っても「見送り」と呼ばれる豪華な緞帳(垂幕)である。
これは山鉾の背面を飾る垂れ幕の事で、古い物は天保年間のものも残っていると言う。
猩猩緋と言われるラシャ地に、著名な画家の描いた虎や龍の下絵を、金糸銀糸の刺繍、象牙、ギヤマン等で描く。
祭りでは、山鉾の周囲を飾る水引幕と対で付けられ、豪華に飾り立て、町中を誇り高く練り歩く。
錆びた鉄色の温泉・船小屋温泉
久大本線の終着駅・久留米からJRで南に4つ程下がると「築後船小屋」と言う駅が有る。
九州新幹線の開業で「筑後船小屋駅」が設けられ、その駅舎の前に在来線の新しい「船小屋駅」が造られた。
元々有った場所からは500m程離れていて、新幹線併設の乗換駅となり、「筑後船小屋駅」となった。
乗換駅とは言え、二つの駅舎は50m程離れていて、全く別の建物で、乗り換えは一旦改札を出る事になる。
駅前からバスで10分ほどの処に、矢部川を挟んで、10軒ほどの旅館がある小さな「船小屋温泉郷」がある。
ここには、こんな開湯伝説が残されている。
『昔この地から湧き出る水の上を、スズメが低く飛ぶと次々と墜死していたそうだ。
それを見た病に苦しむ老人が、いっそ死んでしまいたいと、その水を飲んだそうだ。
ところがその老人は、死ぬどころか、気分が良くなり、長年の病さえすっかり癒えてしまった』
中心部に、「船小屋鉱泉」と言う洒落たレトロ調の建物が有り、天然の高濃度含鉄炭酸水を飲む事が出来る。
硫黄臭のする飲泉は、錆びた鉄を舐めたような味で、決して美味しいとは言えない。
しかし効能は慢性の消化器系の疾病や貧血、痛風などに良いとされ、効果が期待されるらしい。
高濃度の含鉄炭酸泉の冷泉は、入浴すれば血行を良くし、疲労回復・関節痛・筋肉痛・リウマチなどに良いと言う。
旅館ホテルでも可能だが、近くに有る「すずめの湯」は、気軽に入れる立ち寄りの湯である。
男女別に分かれてはいるが、脱衣所は入口のすぐ横で狭いし、浴槽も畳み3畳ほどで、洗い場も広くは無い。
設備の整った浴場とはお世辞にも言い難いが、泉質は天然自噴の含鉄高濃度炭酸泉で申し分ない。
やや温め、タオルが染まるほどの特徴のある濁り湯だが、これはじっくりと浸りたい至福の湯である。
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