お城とおくんち
唐津は、佐賀県の北西部、荒海で知られる玄界灘に面した、人口11.5万人ほどの町である。
市の中心駅は唐津駅で、筑肥線なら博多の中心街までは、1時間ほどで結ばれている。
観光名所も多く、唐津城、名護屋城址や、国の名勝指定を受けている虹ノ松原、七ツ釜など多彩だ。
温暖な気候と大自然に恵まれた地で、佐賀牛や呼子のイカ等のグルメは良く知られている。
中でも生け造りで提供されるイカは、新鮮でコリコリとした甘い歯ごたえが何とも言えない美味しさである。
付け合わせのイカシュウマイも珍しく、ゲソは希望により、塩焼きや天ぷらにして提供される。
唐津城は町中を流れる松浦川が、唐津湾にそそぐ河口近くの小高い満島山と呼ばれる山上に建っている。
ここはお城の北側に唐津湾が迫り、巨大な天然のお堀となっている要塞の地だ。
五層五階の天守閣は、昭和41年に観光施設として再建されたものだ。
お城へは時代を感じながら一歩一歩石段を歩いて登る事も出来る。
楽をしたい分には、舞鶴公園にある珍しい斜行エレベーターが面白い。
山の斜面に沿うように設置された籠室は、全長53mの斜面を1分ほどでスルスルと駆け上って行く。
天守の内部は博物館で、昔の資料や武具、焼き物などが展示され、その最上階は展望所に成っている。
展望台からの眺めは唐津の街並みが一望で、中々に秀逸である。
眼下には川と海に沿うように日本三大松原の「虹の松原」と、その反対側には西の浜松原の緑の帯が延びている。
天守を頭に見立て、丁度それが羽を広げた鶴のように見える事から、唐津城は舞鶴城の別名を持つようになった。
唐津くんち
「唐津くんち」は、毎年11月2、3、4日に開催される、市内に有る唐津神社の秋の大祭である。
「くんち」とは漢字で書くと「供日」と書き、収穫への感謝を供に祝う意味があるそうだ。
祭のクライマックスは、御旅所神幸と、それを守護する曳山が旧城下町を巡行する事が知られている。
祭り当日は各町内から出された14台が町内を練り歩き、最後に御旅所に曳き込みが行われるのだそうだ。
唐津神社の隣には、「曳山展示場」があり、14台の曳山が常設展示されている。
曳山は粘土や木型で原形を作り、それに和紙を張り重ね、更に漆を塗り、その上から金銀を施し形作ったものだ。
漆の一閑張りと呼ばれる技法で、多くは江戸時代に作られたものらしい。
武将の兜、獅子頭、龍や鯱など多彩なモチーフで作られ、重さ2トンにも達する曳山もあると言う。
曳山は刀町の「赤獅子」が1番曳山で、これは一本角の赤く塗った大きな獅子頭である。
2番曳山が中町の「青獅子」で、青く塗られていて、獅子舞の雌雄対をイメージして造られたとされている。
次の3番曳山が材木町の「亀と浦島太郎」で、以後14番曳山の江川町「七宝丸」まで「番」が決められている。
多くは獅子頭や武将の兜が用いられているが、5番曳山は魚町の「鯛」で、魚の代表として選ばれたそうだ。
焼き物の町・伊万里
筑肥線の終着駅・伊万里の駅名標示板は、12分割で焼かれた伊万里焼で出来ている。
そしてそこには、線路が繋がっていない松浦鉄道・西九州線の次の駅名が書かれている。
駅を出ると広い広場があり、その先に旧国鉄の松浦線を引き継いだ松浦鉄道の伊万里駅がある。
しかし両駅の間には幹線道路が突き抜け、道路を跨ぐ陸橋で結ばれているだけで、肝心の線路は繋がってはいない。
駅前から伸びる駅通り商店街を暫く歩くと古伊万里のからくり時計「幸せを呼ぶ万里音」がある。
古伊万里風に作られたからくり時計で、毎正時に、季節に合わせた鐘の音の曲が流される。
若い人の間では、ここで待ち合わせをすると幸せに成ると評判になっているそうだ。
そこを左に折れた辺りが観光の中心らしく、「陶器商家資料館」や、「海のシルクロード館」がある。
反対側のアーケード街の中ほどには、「黒沢明記念館」などもあり見所も多い。
叉伊万里川沿いの道は良く整備された遊歩道で、そこを行くと「伊万里神社」がある。
町中で、「名物伊万里焼饅頭本舗」と書かれた、大きな伊万里焼の看板を見つけた。
伊万里焼の里らしく、この他にも、川に架かる橋の欄干や、町中の道路脇にも、焼き物の造形物をよく見かける。
大きな伊万里焼の飾り物や磁器人形が飾られているので、そんな物を捜しながらの町歩きも楽しいものだ。
秘窯の里・大川内山
伊万里の町から数キロ離れた郊外に、かつて鍋島藩の御用窯が築かれた大川内山がある。
ここで造られる「鍋島」は、当時の日本の磁器の中では最も格調高く優れたものとされていた。
その為、将軍家への献上品や、諸大名への贈答品として用いられ、一般に販売される事はほぼ無かった。
文禄年間に、高麗より召し連れた焼物師を、この地に移したのが始まりとされている。
いわゆる藩御用達の、「御庭焼」と呼ばれる焼き物を造らせていた。
ここでは、陶工たちを厳しく管理する為に役所や番所を設け、その伝統や技法は門外不出で秘匿されていた。
ここは、背後に青螺山が迫り、伊万里川の流れる僅かばかり開けた狭い山間の地である。
今日では、連綿とその伝統を引き継ぐ、およそ30軒の窯元が窯を守り、直売店等を営んでいる。
こうした伝統の技は、各窯元の店頭や「伊万里鍋島焼会館」等で窺い知ることが出来る。
叉地域内には、かつての関所が復元され、近くには陶工たちの無縁墓も残されている。
石畳の狭い通りの両側に、白壁の塀や窯元の店が連なり、レンガ造りの煙突が林立する光景は陶器の里らしい。
町並の背後には、低く垂れ込めた白雲の掛る青螺山が、切り立った特異な山容を見せている。
その遠景は、さながら山水画を見るように美しく、この地が「秘窯の里」と呼ばれる事を実感する。
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