乗り潰し 明海に沿って・長崎本線


 

 長崎本線は、鹿児島本線の鳥栖から長崎までの148.8キロの路線である。

西九州の主要な都市、佐賀や長崎、佐世保に向かう幹線らしく、博多からは頻繁に特急列車が出ている。

これらの列車は、佐世保本線の分岐駅である肥前山口で、分割或は併合され運行されている。

途中の久保田は、北部の唐津に向かう唐津線の起点駅だ。

 

本線を通して運行される普通列車は少なく、鳥栖と肥前山口の間では凡そ1時間に1本程度である。

その先の諫早までとなると更に少なく成り、普通列車の利便はローカル線そのものである。

 

長崎本線

長崎本線

長崎本線

 

長崎本線

長崎本線

長崎本線

 

 肥前山口で佐世保本線と別れ、その先の肥前鹿島を過ぎた辺りから、左手に有明海が見えてくる。

列車は海岸線を忠実になぞるように、小さなカーブを幾つも繰り返しながら進み、この線の絶景区間を迎える。

干満の差が最大6メートルにもなる遠浅の海が広がり、その先に雲仙を突出した島原半島が見え隠れする。

沿線の太良町は、有明海で獲れる竹崎カニ(ワタリカニ)で知られたところらしく、駅に大きな看板が立っていた。

 

 諫早は、佐世保方面に向かう大村線と島原鉄道の乗換駅である。

JRは2面2線、島原鉄道は1面1線を持つ、県内では長崎駅に次ぐ大きな駅である。

有明海沿いの沿線では少なかった普通列車も、ここから長崎に向けてはかなり多く運行されるようになる。

 

長崎本線

長崎本線

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長崎本線

長崎本線

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長崎本線

長崎本線

長崎本線

 

長崎本線

長崎本線

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 諫早の駅を出ると、これまで車窓左手に見えていた有明海とは分かれ、僅かな区間ながら大村湾が見えてくる。

やがて内陸部に入り、長崎電気軌道線と併走するように終着の長崎駅に向かう。

 

 長崎本線の鳥栖からは、普通列車なら3時間程、特急なら2時間足らずで終着駅・長崎に到着する。

初めての長崎は、今から半世紀程も前の事、それからも観光で一度、仕事で二三回訪れている。

 

その折、駅に降り立ち目にしたものは、広くてとても長い幾筋ものプラットホームであった。

目の前に広がる広大な構内には、夕方の出発を待つ何編成ものブルートレインが留置されている姿であった。

それは、丸い大きな時計を掲げた三角屋根の駅舎と共に、西の終着駅らしい旅情を掻立ててくれた。

 

長崎本線

長崎本線

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長崎本線

長崎本線

長崎

 

長崎本線

長崎

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長崎

長崎

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長崎

長崎

長崎

 

 凡30年振りの再訪であったが、矢張り長崎は懐かしく、思い出多い町だ。

すつかり陽も落ち暗くなってしまったが、久しぶりに市内電車に乗り、チェックイン前に少し市内を回ってみる。

何度も見ているが、夜暗くなってから訪れるのは初めてのことで、これも又一興であった。

 

長崎

長崎

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長崎

長崎

長崎

 

 この日も早朝から、JR営業路線の乗り潰しが待っている。

駅に向かったが、明るくなって改めて見るホームや構内からは、昔とは違った雰囲気しか感じられない。

改札脇に、アミュプラザ長崎と言うショッピングセンターが出来ていて、駅舎はそれに飲み込まれたように見える。

駅舎は、明るくて開放的な「かもめ広場」と名付けられた大きなドームを持つ、モダンな建物に建て替えられている。

 

だだっ広いヤードには、幾本ものブルートレインの勇姿の方がよく似合う。

矢張りあの三角屋根の駅舎は良かったし、西の終着駅は、この方が遙かにそれらしく趣がある。

 

 

雲仙、普賢岳

 

 島原半島を巡ると、至る所で雲仙普賢岳の特徴のある溶岩ドームを目にすることに成る。

平成211月突然噴火した山は、平成85月までの凡そ6年間その活動を続け、付近に甚大な被害をもたらした。

この噴火活動で形成された異様な山塊は、普賢岳の山頂よりも高くなり、「平成新山」と名付けられた。

火山活動の終息を宣言されると、今や島原を代表的する景観となり、観光客の目を楽しませている。

 

島原の武家屋敷

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雲仙

 

雲仙

雲仙

雲仙

 

雲仙

雲仙

雲仙

 

雲仙が国立公園に指定されたのは昭和9年で、日本では一番古い指定だと言う。

その雲仙には、JRの諫早駅前や島原市内からバスが頻繁に出ている。

 

 キリシタン殉教の舞台となった雲仙地獄は、噴気孔から水蒸気が吹き上げり、あたりに硫黄の匂いを漂わせている。

雨のせいか立ち込める蒸気が異常に多く、衣服がしっとりと濡れるほどだ。

 

雲仙

雲仙

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雲仙

雲仙

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雲仙

雲仙

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雲仙

雲仙

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 その近くにある「レトロなおもちゃ博物館」が面白い。

映画のポスター、ブリキのおもちゃ、ビー玉、おはじき、メンコなど懐かしのグッズが店先に一杯だ。

まるで昭和の昔にタイムスリップしたようで、思わず手にしたくなるようなものが並んでいる。

 

 「雲仙ビードロ美術館」では、長崎ビードロと呼ばれた吹きガラス等のアンティークガラスの展示がある。

また館内では、ガラス作りや、トンボ玉、万華鏡等の製作体験メニューも多彩に用意されている。

 

雲仙

雲仙

雲仙

 

雲仙

雲仙

雲仙

 

 雲仙からバスで20分ほど西に下れば、橘湾を望む海辺に小浜温泉が有る。

30の源泉から、温度が100度を超える日本一熱量の多い温泉が豊富に湧き出ている、

源泉温度105度に因んで、長さ105mと言う、ここには日本一長い足湯がオープンし、新名所となっている。

隣接した「蒸し釜」では、季節の野菜や海産物を、蒸気で蒸して食べることが出来る。

 

 

島原城

 

 島原城は島原を代表する観光地だ。

天守閣は明治維新に解体され石垣を残すのみであったが、昭和39年に安土桃山様式を残す優美な姿で再建された。

黒瓦葺白壁総塗込の天守は高さが35mもあると言う堂々とした造りで、どっしりと均斉のとれた姿を構えている。

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原城

島原城

島原城

 

島原城

島原城

島原城

 

島原城

島原城

島原城

 

 ここでは鎧武者や忍者が、パフォーマンスで観光客を出迎えてくれる。

また観光客には無料でこれらの衣装が借りられるのでサムライや忍者に変身し、記念撮影することも出来る。

近代的な五層五階の城内は、切支丹や郷土・民芸資料等の資料館となっている。

 

 

島原の武家屋敷

 

 お城の西側に鉄砲町と言われる一帯があり、往時の武家屋敷が残されている。

屋敷は石を積み上げた塀で囲われていて、その前の通りの中央には水路が掘られ、清水が流れている。

ここから2qほど北にある「熊野神社」の湧水を水源としたものだ。

当時は貴重な生活用水、飲料水として使われ、水奉行を置いて厳重な管理が行われていたらしい。

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

この辺り一帯には、多くは70石取り以下の徒士組み屋敷が、碁盤の目状に、690戸あったとされている。

今で言うなら差し詰め下級武士の住宅団地である。

当時は隣家との境に塀が無く、鉄砲の筒を覗くように屋敷が見通せた事から、鉄砲町と呼ばれたそうだ。

ここでは今に残る、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒の屋敷が観光客に無料で公開されている。

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

島原の武家屋敷

 

 武家屋敷の休憩所では、島原名物の「寒ざらし」を味わう事が出来る。

もち米で作った団子を冷水で冷やし、ザラメ、黒砂糖と島原の湧水で作った特製の“みつ”を掛けたものである。

団子のもちもちを感じながら、黒蜜の甘さをからめて食べる。

 



 

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