黄金の信長像
東海道本線・岐阜の駅前には、金箔が三層に貼られた信長像が、黄金色に輝いて建っている。
台座(8m)の上に立つ信長の像は3mで、ビロードのマントを羽織り、火縄銃と西洋兜を手にしている。
この像は、岐阜市の市制120周年を記念して、2009年9月に除幕された。
広く市民から募金を集め、製作費の3,000万円を賄って建てた像らしい。
その遥か先に聳えるのが金華山、その山頂に岐阜市のシンボル岐阜城が建っている。
下剋上の戦国を生き抜いた信長は、美濃の盟主・斎藤道三亡き後の斎藤氏を退け、その城を占拠した。
そしてその地を岐阜と改め、これで尾張と美濃を領する大大名となった。
時を同じくして師の沢彦和尚から与えられた「天下布武」の印のもと、天下統一を本格的に目指したとされている。
そのルーツがこの岐阜の町で、この金華山に聳える岐阜城である。
高山本線
岐阜は東海道本線の途中駅と同時に、高山本線の起点駅でもある。
高山本線は全長225.8キロ、この間に45の駅が有る岐阜と富山を結ぶ路線だ。
出発は広大な濃尾平野で、暫くは岐阜市街の住宅地の中に金華山を望みながら、その北端を進む。
岐阜駅を出てすぐに名鉄名古屋本線を跨ぐと、左手下にJR駅とは300m程離れている名鉄岐阜の駅が見えてくる。
嘗ては岐阜、少し前までは新岐阜と呼んでいた、名鉄名古屋本線の西側の終着駅である。
名鉄の真っ赤なボディの特急「パノラマ・カー」は、思いで深い車輌だが、今では新型に置き換わり見なくなった。
この電車の魅力は、何と言っても先頭の展望車で、その中でも最前列のパノラマ席は憧れの席であった。
運転席が二階にあるので、前面に遮るものもなく、大きく開放的に広がった窓には180度の大パノラマが展開する。
線路上の疾走感は格別で、風景があっという間に左右に分かれ、飛び去るダイナミックな車窓は迫力があった。
高らかにミュージックホーンを鳴らしながら、ゆっくりとホームに滑り込む姿にもワクワクしたものだ。
一大観光地
高山線は、暫くは人家の密集地を、競合する名鉄の各務原線とほぼ併走する。
右手に航空自衛隊の基地が見えると各務原で、その先で木曾川が近づいてくると鵜沼だ。
駅の右手に見える名鉄の新鵜沼駅から、大きくカーブして高山本線に繋がれた連絡線跡が今も構内に残っている。
昭和40年代名鉄は、神宮前駅から犬山線を経由し、ここ鵜沼から当時の国鉄の高山本線に乗り入れていた。
ジーゼル気動車・準急「たかやま号」の運行を始め、その後急行に格上げ、更には「北アルプス」と名を変えた。
特急にまで上り詰め、名鉄新名古屋駅発着となったが、平成に入ってその運行は中止されている。
川の向こうは愛知県の犬山市である。
鵜沼を過ぎると「日本ライン」と呼ばれる木曽川に寄り添うように進むが、周辺は飛騨木曽川国定公園である。
「国宝犬山城」や「犬山城下町」の町歩きが楽しめ、又成田山、桃太郎伝説の桃太郎神社等が揃う一大観光地だ。
周辺には、「博物館・明治村」「リトルワールド」「日本モンキーパーク」なども立地している。
車窓の渓谷美
岐阜からは30分余りで美濃太田に到着する。
この駅から中央本線の多治見まで、17.8キロの太多線が分岐していて、岐阜始初や終着の普通列車が運行されている。
また旧国鉄時代には、越美南線と呼ばれた長良川鉄道が、72.1キロ先の北濃まで運行している。
北陸本線の越前花堂から九頭竜湖まで延びる越美北線と結ばれ、越美線となる計画は実現される事無く頓挫した。
一時この不通区間の九頭竜湖と北濃をJRバスが運行していたが、今はこの間を結ぶ交通機関は何もないようだ。
美濃大田を過ぎると木曽川の本流は東に外れ、やがて山岳部へと入りこむ。
ここからの線路は、飛騨山脈、所謂北アルプスの西側を、木曽川の支流の飛騨川に寄り添って北上する。
川部ダムのダム湖の上流、上麻生を過ぎると、豪快な岩塊が川幅を狭めた飛水峡の景観が車窓を楽しませてくれる。
そんな景色を車窓から楽しんでいると、やがて白川口だ。
これより飛騨路
白川口からは、更にその先に中山七里と呼ばれる景観が続く。
川の流れによって出来た飛水峡甌穴群は国の天然記念物に指定され、流域は飛騨木曽川国定公園にも指定されている。
車窓からは、そんな景観に混じって、ダムや水力発電の施設を良く眼にするようになる。
飛騨金山駅には、改札口脇に美濃路と飛騨路を分ける看板が掲げられている。
ここは国境で、美濃路はここで終わり、「これより飛騨路」となり、いよいよ飛騨路に入ることを実感する。
単式と島式各1面、2面3線のホームを持つ地上駅で、特急「ワイドビューひだ」の一部が停車する。
温泉の玄関駅・下呂
飛騨金山の次は、焼石に停まり、次の下呂に向かう。
この辺りでは、飛騨川の流れの蛇行は更に大きくなり、線路は何度もそれを橋梁で超えて行く。
それでも大きな蛇行区間では、それに沿うのを諦め、トンネルで抜けるので、矢鱈トンネルが多くなる。
やがて町並が次第に開け、車窓からも大きなホテルや旅館の建物を目にし出すと、ようやくにして下呂に到着だ。
ここ下呂は、草津、有馬と並び「日本三名泉」の一つに数えられる有名な下呂温泉の玄関駅である。
温泉の中心街へは1qほど離れていて、駅を出て線路を潜り、飛騨川に架かる下呂大橋を渡ることになる。
飛騨の小京都
岐阜から136.4q離れた標高573mの地にある高山は、国際的な観光都市である。
飛騨山脈など豊かな自然に囲まれた、江戸時代の面影を残す古い町並は、「飛騨の小京都」とも言われている。
周辺には奥飛騨温泉郷と言われる、源泉を持つ温泉エリアが幾つも点在している。
飛騨古川は、観光の町飛騨市を代表する駅である。
単式と島式と各1面、2面3線を有する地上駅で、観光駅らしく駅員が配置されている。
この駅が一年で一番賑わうのが、勇壮な「起し太鼓」で知られる「古川祭り」の日である。
町中には祭を紹介する「飛騨古川・まつり会館」や、飛騨の匠伝統の技を紹介する「飛騨の匠文化館」が有る。
又、1000匹もの鯉が泳ぐ瀬戸川沿いの散策路は、白壁土蔵造りが連なる町並だ。
途中下車をして、しっとりとして落ち着いた町並の散策も、殊の外楽しいかもしれない。
越中国
高山線は、飛騨古川を出ると幾つかの駅に停車しながら杉原駅の先で県境を越え、富山県に入る。
その最初の駅が猪谷で、JR東海とJR西日本の線路境界駅となっている。
この駅からは嘗て岐阜県側の奥飛騨温泉駅まで、国鉄神岡線が出ていたが、その後三セクの神岡鉄道となった。
それも2006年に廃止され、現在では、旧奥飛騨温泉駅と旧神岡鉱山前駅の間の残されたレールだけが活用されている。
そのレールの上を特殊な自転車を使って走る、「レールマウンテンバイク」の体験ツアーが人気を呼んでいるらしい。
猪谷の駅前を流れる川は、何時しか神通川とその名を変えている。
この先にある神通川第一ダムのダム湖で、車窓からも深緑色の水を満々と湛えた景観を望むことが出来る。
併走する国道も、360号線から41号線に変わり、心なし道幅が広くなったように感じられる。
途中の笹津辺りでダムが尽き、少し平地が開き始め、車窓にも町並が戻り始める。
神通川を橋梁で超えると東八尾で、ここで川は北方に離れ、西進する鉄道は越中八尾に到着する。
2面3線を有する地上駅で、全ての特急「ワイドビューはだ」が停車する。
この町では、毎年二百十日の秋の頃に開催される「おわら風の盆」が知られている。
優美で幻想的な踊りと共に、哀調を帯びた胡弓の調べなど人気だ。
大きな化学工場が隣接する速星駅を過ぎると市街地が近づき、その先で北陸自動車道を潜る。
西富山を過ぎ大きく右に進路を変える頃、前方に北陸新幹線で有ろうか、工事中の高架橋が見えてくる。
それに添う様に曲がり終え、新幹線の高架に沿って神通川の鉄橋を渡るとビル群が見えてくる。
賑やかな駅前が車窓に現われれば、高山線225.8qの終着駅・富山で、行き止まりホームに到着する。
| ホーム | 国内の旅行 | このページの先頭 |
(c)2010
Sudare-M, All Rights Reserved.
|