飛騨の小京都
「飛騨の小京都 高山」
高山市は岐阜県の北部にあり、西は石川県や福井県と、東は富山県や長野県と接した人口8.5万人余りの市である。
北部には北アルプスが聳え、中心部はそれに抱かれるように開けた盆地で、その面積は東京都とほぼ同じ位に広い。
町の中を宮川や江名子川が流れ、天領時代の町並も残り、その風情ある景観から「飛騨の小京都」と呼ばれている。
ミシュランにおいて3星を獲得し、国際会議観光都市の指定も受けた人気の観光都市でもある。
高山駅前の通りに出て左折、暫く歩き国分寺通りに出て右折し200m程行くと左手に「飛騨国分寺」が見えてくる。
天平18(746)年、聖武天皇の詔勅により諸国に建立されたのをうけ、行基菩薩によって創建されたという。
奈良朝時代当時の伽藍配置を知る礎石が、現本堂下等に残されているらしく、史跡の指定を受けている。
小ぶりな三重塔は、飛騨地方唯一の物らしく、鐘楼の先のイチョウは樹齢1250年と言われる古木である。
再び国分寺通りに出て、宮川に架かる鍛冶橋を渡る。この橋の欄干には、面白い像が設置されている。
出雲神話の登場人物で、高山祭の屋台「恵比須台」にも飾られている、「手長」と「足長」と呼ばれる像だ。
「手長」が女、「足長」は男で、この二人は夫婦らしく、ユーモラスな姿で観光客を迎えている。
古い町並み 上三之町
鍛冶橋を渡り安川通りに入ると、その先右側に「古い町並み」と書かれた標柱が有る。
それを見て右に折れると、そこら辺りが高山観光の中心的な場所で、伝統的建造物群保存地区である。
一之町、二之町、三之町と呼ばれる、三つの町筋からなる古い町並み「上三之町」が広がる一帯だ。
この「古い町並」の周辺には、酒蔵が7蔵も立地しているという。
通りを歩けば、造り酒屋の軒下に下がる、杉の葉を玉にした「酒ばやし」を目にすることが出来る。
他にも特産の民芸品等を扱う土産物屋、郷土料理の味わえる食事処、味噌蔵等多彩な商店が建ち並んでいる。
更に、飛騨牛やみたらし、五平餅、煎餅など食べ歩きの出来る店や、考古館、民芸館、記念館等も有る。
元々は城下町の中心的な場所で、多くの店舗が集まった商人町であったところだ。
余り広くはない通りの両側には、主に二階建て出格子の民家や商家が、軒下も不揃いにギッチリと建ち並んでいる。
軒下の道路との境には細い水路が流れ、屋根の雨水は雨樋を伝ってそのまま流れ落ちる構造に成っている。
藩政時代の商売は繁盛を極め、商人は富と財産を築くも、身分制度で豪華な町屋は造ることが出来なかったらしい。
それでも当時は、各家の屋根は道路の水路まで延びていて、その下が「ミセ先」で、綺麗に揃っていたと言う。
その後商売を止める家が出始めると、「ミセ先」を潰し正面に出格子を嵌める家が現われたのだそうだ。
それが、軒の低い質素で落ち着いた色調の住宅兼店舗の商家群となって今日に残る町並の特徴である。
高山陣屋
古い町並みを抜け、宮川に架かる赤い欄干の中橋を渡ると、高山名物の「みたらし」を売る屋台が建っている。
鍛冶橋の袂にある屋台と共に、この屋台も特に知られた有名店で、高山では観光客や地元の人々にも愛されている。
たっぷりと醤油だれを潜らせて火であぶるので、甘辛く風味もあってとても美味しい。
何よりも醤油の焦げる香ばしい匂いが食欲を誘う庶民的な味は、古い町並みにすっかり溶け込んでいる。
金森氏により続いた藩政から、幕府直轄の天領となった高山の、政務が行われたのが「高山陣屋」である。
天領は、飛騨地方の豊富な山林資源に目を付けた、幕府による政策の転換であったと言われている。
陣屋の中には復元された郡代の役宅、公式の会議が行われて大広間、事件を取り調べるお白州等が残されている。
このほかにも市内には、見どころ、拠り所が沢山点在している。
昭和30年代へのタイムスリップが出来るのは、「高山昭和館」である。
山下清の原画を展示する「高山本町美術館」なども有り、どこも大勢の観光客で賑わっている。
また、江名子川沿いの通りは、古い町並と違い人出も少なく、風情があってゆっくりと散策出来るのが言い。
周辺は嘗ての寺町であろうか、至る所に寺院の大きな甍を目にすることが出来る。
そんな川筋に沿って進むと、宮川に架かる弥生橋に出る。
ここから鍛冶橋に至る川沿いで毎日行われるのが、江戸時代から続く「宮川の朝市」だ。
高山陣屋の前にも朝市が立っていて、ここと合わせ二大朝市と呼ばれている。
明治の頃には近在の農家のお母さん達の手で毎日野菜、漬物、花、民芸品などが並べられ売られるようになった。
今でも白いテントを張り、おばちゃん達が元気な声で、地元の人のみならず、観光客に声を掛けている。
高山祭屋台会館
弥生橋を150m程上流に辿り、広い通りを右折すると櫻山八幡宮の表参道で、遙か先に大鳥居が見えてくる。
その門前町らしい通りの先には、鬱蒼とした森に囲まれた、創祀が仁徳天皇御代と言う櫻山八幡宮が鎮座している。
毎年10月に行われる秋の高山祭りは、この神社の祭礼で、国指定の重要無形文化財に指定されている。
春と秋の祭は、神社も氏子の地域も全く異なる行事で、春の祭は、日枝神社の物だという。
その境内の一画に、その際引き回される屋台を常設展示した「高山祭屋台会館」が建っている。
ここでは23台残る屋台の内、年に3回入れ替えをして、4台の屋台を常設展示している。
屋台の多くは、江戸時代後期の物らしく、絢爛豪華な飛騨の匠の本物の技を身近に目にすることが出来る。
中でも神輿は、重さが凡二トン半、何と80人の肩で担ぎ上げるそうで、「日本一の大神輿」を誇っている。
「高山祭屋台会館」に隣接して「桜山日光館」がある。
飛騨の匠の技を引き継ぐ33人の技術者により、15年の歳月を掛けて制作された、精巧な模型が展示されている。
陽明門を初め、本殿や拝殿、五重塔など、1/10スケールの日光東照宮が正確に再現されたものだ。
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