飛騨古川へ

 

 JR高山本線で、高山から岐阜県の最北端に位置する飛騨市の中心駅・飛騨古川へは20分ほどで到着する。

単式1面1線と島式1面2線のホームを持つ地上の有人駅で、特急「ワイドビューひだ」の停車駅でもある。

ホームの案内板には、起点の岐阜より151.3qの所に位置し、標高は海抜493mと書かれていた。

 

昭和9(1934)年、国鉄高山線として飛騨小坂と坂上間が開業した当時のらしい駅舎が建っている。

木造で、上の屋根の部分が洋風、下部は白壁土蔵を模した和洋折衷の造りが面白い。

駅を出ると正面には広いバスロータリーがあり、大きな松が一本だけ象徴のように立っている。

ここは、飛騨高山の奥座敷とも言われる古川町観光の玄関口である。

 

飛騨古川へ

飛騨古川へ

飛騨古川へ

 

飛騨古川へ

飛騨古川へ

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飛騨古川へ

飛騨古川へ

飛騨古川へ

 

 駅の隣(右手)に観光案内所が有るので立ち寄ってみる。

「何処から・・」と聞かれ、「岡山から・・」と答えると、「岡山には昔仕事で行った事が有る」と所員が言う。

倉敷の某企業の事を良く知っているという女性と、しばしおかやま談議に花が咲く。

 

「美味しいお蕎麦屋さんを、友達がやっているから、お昼に立ち寄って」と勧められた。

「飛騨古川散策マップ」に印を入れて貰い、それを手に、教えられた道を「飛騨古川まつり会館」に向かう。

この施設には入館割引の付いたパンフレットなども用意されているので頂いてから町めぐりに出かけるとよい。

 

 

町衆の心意気に触れる 「飛騨古川まつり会館」

 

 駅から歩いて5分ほどの処に、「飛騨古川まつり会館」はある。

広い公園のような一角の紫色の幟旗が目印の会館は、平屋の建物だ。

向かって左には売店やレストラン、右手が「起こし太鼓」「祭り屋台」等を紹介するコーナーとなっている。

その他にも飛騨市の伝統工芸品を展示販売し、観光の情報コーナーなども備えている。

 

 何と言ってもここの見どころは、400年以上の伝統を誇る、国指定重要無形文化財の「古川祭り」の展示だ。

祭当日繰り広げられる勇壮な「起し太鼓」と、その折町内を引きまわされる「祭り屋台」の様子が紹介されている。

館内のシアターではハイビジョンの立体映像で、当日の模様が流されている。

まず予備知識を得る為にも、館内の展示物を見る前にまず鑑賞するのがお勧めだ。

 

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

 

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

 

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

 

 「起こし太鼓」は、祭の始まりを告げる目覚まし、即ち起こす太鼓と言う意味があるらしい。

提灯行列が練り歩き、続いて裸の男達が担ぐ大太鼓を乗せた櫓が、激しくぶつかりながら町を駆け巡る。

行列は誰もが参加でき、町衆にとってもこの日は、「一年で一番大切な日」で有るらしい。

 

 「動」の「起こし太鼓」に対し、「祭り屋台」は「静」、この「動」と「静」の組合せが祭の最大の妙味という。 

祭りで引き回される9台の「祭り屋台」の内3台がこの館内で展示され、随時入れ替えられるという。

「祭り屋台」は、黒や朱に塗り分け、それを金色の金具や刺繍の織物などで飾り、眩いばかりの輝きを見せている。

更には飛騨の匠の伝統を生かした彫り物や飾り物もいたるところに施されていて、圧倒的な存在感を主張している。

中にはトリッキーな動きの『からくり人形』等も乗せられていて、その細工は匠の技だそうだ。

 

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

 

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

 

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

飛騨古川まつり会館

 

 その他にも「御神輿行列」の神輿や、その様子を現すミニチュアの展示なども有る。

また、からくり人形を操作したり、「起し太鼓」の前では、祭りの法被を着ての記念撮影も楽しめる。

当地で活躍する作家や伝統工芸士等の制作実演販売も行われていて、この日は「飛騨絵馬」の実演が行われていた。

 

 

起し太鼓の御旅所

 

会館の前には祭りの御旅所が有り、原寸大の「起し太鼓」が展示されている。

祭り当夜、裸衆に担がれた櫓の上に乗って、この大太鼓を打つ「太鼓打ち」は祭りの花形だ。

大太鼓を叩く男衆は、誰もが経験できない一生一度の大役で、それは特別の存在で、大変名誉ある役回りと言う。

役が決まると山に入り柳の木を切り出し、凡一ヶ月掛けて、自分のバチを自身で削りあげて造るのだそうだ。

 

起し太鼓の御旅所

起し太鼓の御旅所

起し太鼓の御旅所

 

起し太鼓の御旅所

起し太鼓の御旅所

起し太鼓の御旅所

 

起し太鼓の御旅所

起し太鼓の御旅所

起し太鼓の御旅所

 

 数百人の裸衆に担がれた櫓の上の大太鼓には、二人の選ばれた若者が跨がる。

「五穀豊穣」「国家安泰」を願いながら、葵紋の大太鼓打ち鳴らし、重厚な音を響かすのだそうだ。

大太鼓が動き始めると、各町内の「付け太鼓」と呼ばれる小太鼓がそれに従い動き出す。

「付け太鼓」は、大太鼓により近づくのが名誉とされ、先頭争いの激しい揉みあいが行われクライマックスとなる。

 

 

匠と町衆が息づく「飛騨の匠文化館」

 

 御旅所を出てしばらく歩くと、匠の技を受け継ぐ地元の大工達により建てられた「飛騨の匠文化館」が有る。

建物は地元の木材を使い、家組の重要部分はクギ・ボルトなどの金具類は一切使わず建てられている。

匠の伝統技である、組み木や継ぎ手の技法が駆使されていると言う。

 

 飛騨の匠の歴史は古く、大和朝廷の時代には、既に活躍が伝えられていると言う。

藤原京、平城京、平安京など当時の御所を初め、神社仏閣の造営に多くの匠が関わったらしい。

彼らの真面目で一途な仕事ぶりは、万葉集や日本書紀、源氏物語などでも描かれ広く紹介されている。

 

飛騨の匠文化館

飛騨の匠文化館

飛騨の匠文化館

 

飛騨の匠文化館

飛騨の匠文化館

飛騨の匠文化館

 

飛騨の匠文化館

飛騨の匠文化館

飛騨の匠文化館

 

 角材を縦横に組み合わせた、千鳥格子も飛騨の匠の技と言い、それらの構造物の模型も置かれている。

また木組みのパズルもあり、模型を手に取って、組み木を実際に組んでみる等、体感で楽しめる。

館内では、飛騨の匠の業績、手がけた民家・商家の紹介、大工道具の展示などがされている。

匠によって磨かれた技術は、家具や一刀彫り、春慶塗など様々な分野に波及し、飛騨を代表する品々になっている。

 

 

町のシンボル 瀬戸川

 

 駅からなら歩いて5分ほど、文化館の近くを流れるのが、町のシンボルとも言える瀬戸川である。

川と言っても川幅は広くはなく、用水のようで、その起源には幾つかの説があるらしい。

福全寺の住職が、増島城の堀の水を貰い受け流した、或は新田に水を導く為に造られた用水とか言われている。

また、この辺りは藩政時代には武家屋敷が建ち並んでいて、その防備のための堀であった等と諸説有るようだ。

 

瀬戸川

瀬戸川

瀬戸川

 

瀬戸川

瀬戸川

瀬戸川

 

瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

瀬戸川

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 今日ではその流れは、農業や防火の為の用水で、冬には雪を流す重要な役割もあるそうだ。

清流には凡そ1000匹の鯉が放され、町民にとっても殊の外大切に、親しみの有る川らしい。

雪深い冬に備え、川の鯉をお城の堀に移す「鯉の引っ越し」は、晩秋の風物詩となっていると言う。

 

石組みで掘られた瀬戸川に沿って、白壁や土蔵、出格子の家屋、寺の建ち並ぶ様も、風情がある。

木陰を作る木立や、草花の植栽も多く、これらが見せる四季折々の変化も見どころの一つらしい。

 

 江戸時代前期に建立された円光寺の本堂の妻には、「水呼びの亀」と言う彫刻が施されている。

本堂の建設の際、旅の老人が、「亀を彫っておけば、火災の難を逃れられる」と言い残し立ち去ったそうだ。

大工の棟梁は勧められるままに、亀を彫って妻に掲げたという。

明治に入り古川大火で、民家が悉く焼け落ちた際、本堂だけは、延焼を免れたという。

 

瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

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 町中では、古川祭で引き回される祭り屋台の収蔵庫を、何カ所も目にすることが出来る。

そんな出格子の商家が並ぶ一画に、明治初期に始めたという、造り酒屋がある。

また、「三嶋和ろうそく店」は、江戸時代から続く、昔ながらの手法で造り続ける老舗だという。

 

古川では飛騨牛も知られているが、そば処でも有り、有名なそば処も多数有るらしい。

飛騨牛たっぷりの「ひだコロッケ」や、醤油味の「みたらし団子」「五平餅」などは、食べ歩きも楽しめる。

その他にも、お土産屋さん、お食事処等も有り、そんな店先を冷やかしながらそぞろ歩くのも楽しい物だ。

 

瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

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瀬戸川

瀬戸川

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瀬戸川

瀬戸川

瀬戸川

 

飛騨古川は、戦国時代飛騨地方を統一した金森氏の城下町として開けた町である。

その後、飛騨の匠らによって脈々と町造りが受け継がれ、その伝統を生かした町並みが今に残されている。

碁盤の目のように区割りされた古い町並の佇まいには、白壁の土蔵が良くマッチする。

足元の小さな川の流れの、細やかな水音を聞きながら、ゆっくりと歩いて巡りたい町である。

 



 

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