羽越本線
「特急・いなほ」は、新潟の市街地を抜け、暫くすると阿賀野川を越え、そのまま海沿いの白新線を行く。
白新線は新潟から新発田まで27.3qの短い路線で、羽越本線よりも西側のより日本海に近い地を走っている。
途中の新発田からは羽越本線に入り、より日本海に近づき、それに沿って更に北上、秋田を目指す。
米坂線の接続駅坂町を過ぎると、「鮭と酒と人の情けの町」村上で、ここまでは1時間足らずの距離である。
第二馬下トンネル(2271m)を抜けた辺りから、左手に「笹川流れ」と言われる日本海の絶景が展開する。
海は何処までも碧く、白く打ちよせる波は今は穏やで、その遥か沖合に浮かぶ粟島が微かに霞んで見える。
笹川流れは、10q以上続く景勝な海岸線で、国の名勝・天然記念物に指定されている。
日本海の荒波の浸食により造られた奇岩や洞窟岩礁など、変化に富んだ豪壮な景観が楽しめるらしい。
沿線の桑川、今川、越後寒川の各駅が観光の拠点で、桑川からは観光船も運航されている。
あつみ温泉を過ぎた辺りから列車は、海を離れ米どころ庄内平野の穀倉地帯を走る。
流石に米ところと言われるだけに、黄金色に染まりかけた稲田が果てしなく何処までも続いている。
内陸部に入り途中の大きな駅が鶴岡で、ここは出羽三山の一つ、羽黒山への玄関駅である。
鶴岡を出て、陸羽西線の起点駅・余目を過ぎると最上川の河口に開けた港町・酒田に到着だ。
暫くそのまま内陸部を走り、吹浦を出た辺りで北に針路を向けると、車窓の左側に日本海が戻ってくる。
沿線の象潟は、かつては「東の松島、西の象潟」と言われ、風光明媚な多島美を誇ったところだ。
江戸時代に起きた象潟地震で付近の海底が隆起、陸地化して今の風景が現出した。
そんな陸地化した緑の島々の珍しい景観がこの駅の周辺に広がり、車窓からも見る事が出来る。
特に田一面に水を引いた田植え前のシーズンの景観は見物らしい。
まさに海に浮かぶ島々を見るようで、本家の松島と見まがうばかりの美しさだと言う。
この辺りでは、車窓右手に東北第二の高山、長い裾野を引いた2、236メートルの鳥海山も望む事が出来る。
その秀麗な容姿から「秋田富士」とも「出羽富士」とも呼ばれ親しまれている山だ。
羽後本荘辺りでは、車窓から風力発電用の風車を多く見かけることに成る。
秋田県には日本海に面した海岸線で強い風の吹く地域が多いらしく、風力発電の設備の数は日本でも有数だ。
近頃では、陸上のみならず洋上にも進出する計画が進んでいるらしい。
新潟から新発田まで27.3q、そこから秋田までは245.7qを、特急「いなほ」は3時間半余りで駆け抜けた。
お昼を少し過ぎた頃、秋田駅の3番ホームに滑り込んでいた。
奥羽本線、羽越本線が乗り入れ、秋田新幹線の終着駅でもある大きな駅で、この辺りの中心駅となっている。
新幹線の開業に合わせ駅舎も改築されたようで、駅ビルには商業施設なども入り賑わっている。
秋田市民市場
秋田駅から歩いて5分ほどのところに、60年の歴史を誇る「秋田市民市場」が有る。
町中に有る市場は、市民の台所と言うだけの事は有って、多くの買い物客や観光客で賑わっていた。
ここには、野菜、魚、お菓子、お酒、生花、日用雑貨など多彩なお店が80店余り犇めき合い、店舗を出している。
市場では、この地方で「ボダッコ」と呼ばれる汐鮭や紅鮭が売れ筋だとか。
地元の人達は、昔からボダッコや筋子やタラコを好んで食べるらしく、市場の中には塩干物を売る店がたくさんある。
八百屋さんの店先には、本場のリンゴやメロンなどの果物や新鮮野菜、それに漬物などが並べられている。
中でも面白いのは枝豆の量り売りで、幾らでも良いので購入すれば、その場で湯がいてくれるのが有りがたい。
構内には安くて美味しい、市場直営のお寿司屋やお食事処もある。
そのお食事処の一つ「市場 焼焼庵(ふうふうあん)」の一押しは、何と言っても刺身定食である。
舟型のお皿に、数種類のお刺身が盛られていて、800円はボリュームもありお値打ちだ。
その他にも塩サバ定食、ホッケ定食など人気の定食がどれも650円と言う低価格設定が嬉しい。
中でも一日20食限定、500円の市場のまかない丼は、本当にお値打ちですぐに売り切れてしまうと言う。
ねぶり流し館
「秋田市民俗芸能伝承館」では、「秋田の竿燈」の実演を間近で見る事が出来る。
「竿燈」は、仙台の七夕祭り、青森のねぶた祭りと並び、東北の三大祭りの一つと言われている。
秋田を代表する夏の風物詩で、250年の伝統を誇り、毎年8月の初めに行われている。
当館は、「ねぶり流し館」の愛称で親しまれている、有料の見学施設である。
一階の展示ホールでは、秋田を代表する祭り、竿灯や土崎神明社の曳山に関するものが常設展示されている。
館員による説明と実演が行われ、希望者には小型のもので体験することも出来る。
『その昔、この地方では先祖の霊が迷わぬようにと、家々では灯火を門前に高く掲げていた。
そして先祖の霊を弔い、豊作を願い身に着いた穢れや悪霊を川に流す為に、夜は提灯をかざして村々を練り歩いた。
また、眠っているうちに悪霊が取りつかぬようにと、眠気を払うため七回水浴びをする風習が有った。
これは、秋田地方に古くから伝わる七夕行事で、「ねぶり流し」と呼んでいた。』
『江戸時代に成って、灯籠を沢山つけた長い竹竿を掲げ、若者たちが力自慢を競った。
そこから発展して、掲げ持ちあげる事に色々と工夫を凝らし、その技を競うようになった。
その後明治に成って「ねぶり流し」は「竿燈」と呼ばれるようになった。』
竿灯の長さは、大若、中若、小若、幼若の四種類有り、町紋を描いた46個の米俵を模した提燈が付けられる。
8m程の本体に継竹を何本も足すと、その長さは何と10mを越え、その重量は数十キロにもなると言う。
竹のしなり具合や、風向きを考え、それを微妙なバランスで保ちながら、肩や手のひらで掲げたりする。
高度な技となると、少し前かがみに成って腰で掲げたり、額に乗せて掲げる差し手もいる。
中には、一本歯の下駄を履きながら技を披露する事もあるらしい。
二階の展示室は、秋田漫才や梵天祭り等、秋田に古くから伝わる行事や民俗芸能が紹介されている。
等身大の人形やパネルや人形で表現され、ここではこれらの行事の後継者育成なども行われているという。
江戸時代後期に質屋・古着商で財をなした旧金子家の住宅が併設されている。
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