国道350号線に出て、途中両津の町外れで県道45号に入り、東の内海府と呼ばれる海岸線の道を北上する。
両津湾や内海府海岸の穏やかな海を右手に見ながら、一路佐渡北端の弾埼(はじきざき)を目指す。
両津からは30キロ余り、佐渡の最北端、弾野に到着した。
明媚な風光を生かした「はじき野フィールドパーク」があり、観光の一大拠点と成っている。
ここにはログハウスやオートキャンプ場、バーベキューハウスなどが整備されている。
見晴らし台への標識に導かれ、パークの奥の道を暫く歩くと、緑の木立の向こうに、白い灯台が見えてくる。
現在では無人で遠隔管理されている、佐渡島最北端に建つ八角形の弾崎灯台だ。
塔の高さは18.9mで、弾崎の上に建つ灯の高さは73.6m有り、遙か21.5海里まで灯りが届くという。
初めてここに灯台が出来たのは大正8年で、今の灯台は平成元年に建て替えられたものらしい。
その灯台を望む展望所に、一つの像が建っている。
佐田啓二と高峰秀子の演じる、灯台守夫婦の苦難の生きざまを描いた映画の撮影を記念して建てられた像だ。
近寄ると、懐かしい若山彰が歌う主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」が力強く聞こえて来る。
弾埼灯台を下り、桜並木の佐渡一周線(県道45号)を10分ほど走ると海の景観も一変する。
これまでの静かな内海と違って、ここからは外海府と呼ばれる奇岩怪石の荒々しい景色を随所で楽しむ事が出来る。
二つ亀は、二匹の亀が並んでうずくまる姿に見えることから名付けられた島だ。
潮が引けば陸とは砂の道で繋がり、夏はこの辺り一帯が海水浴場にもなる。
そこから5分ほど走ると又々特異な形をした島が見えてくる。
ただこれは島ではなく、丸い亀の甲羅のような岩で、大野亀と呼ばれる巨大な玄武岩の一枚岩だ。
まるで島のように見えるが、れっきとした岩で、日本でも最大級のものらしい。
先程の二つ亀と合わせ、外海府の代表的な景観と言われている。
海府大橋
二つ亀、大野亀の奇観や賽の河原を見て、更に南下すると途中で大ザレ川に架かる海府大橋渡る。
長さ100m、道幅は狭く、大型車が橋の途中ですれ違うのは間違いなく困難で、決して大きな橋ではない。
しかし、橋からの景観は何ともダイナミックで、スリリングで、広大な佐渡島の橋らしくスケールがでかい。
橋から見下ろすと、鋭く切り込まれた断崖絶壁が絞られたようにうねり、遥か下を一筋の細い川が流れている。
切り立った崖の足元に、僅かばかりの砂浜が有り、白く小さな波を受けているのが見える。
橋の出現は、島で暮らす人々の生活感を変えたばかりではなく、観光立島にも大きく寄与することとなった。
昭和44年に竣工する以前は、島をどちらから廻っても、道はここで分断されていた。
橋の完成は、相川方面から外海府北端の弾埼を廻り内海府に続く、島を一周する陸路の完成となった。
橋のスケールの大きさは、その規模よりも島の様式を変えてしまったことに大きな意義があったようだ。
尖閣湾揚島遊園
尖閣湾は、約3qの海岸に広がる5つの小さな湾の総称である。
そこは佐渡を代表する景勝地で、観光地でもあり、昭和9年には国の名勝に指定されている。
そんな湾を見下ろす高台に、「尖閣湾揚島遊園」はある。
レストハウスや展望台、水族資料館が建ち、海中景観が見られる海中透視船・グラスボートも運行されている。
園内の遊歩道の途中には、菊田一夫のヒット作「君の名は」の記念文学碑が有る。
昭和27年のNHKラジオドラマ「君の名は」は、女風呂を空にする程の大ヒットに成った。
翌年そのドラマが映画化され、ロケ地に選ばれたのがこの園で、尖閣湾は一躍全国的に知られるようになる。
ドラマの冒頭では、声優の来宮良子のナレーションで有名なフレーズが流れていた。
「忘却とは 忘れ去ること成り 忘れ得ずして 忘却を誓う心の悲しさよ」
園を抜け、やや小ぶりな白い大埼灯台を見ながら、緑の人工芝の敷かれた遊仙橋(まちこ橋)を渡る。
映画のロケでも使われた橋で、その先には隆起した岩々を縫う遊歩道があり「あげしま展望台」に通じている。
そこには海岸段丘が日本海の荒波に削られて生まれた、素晴らしい眺望が待っていた。
切り立った壁は海から凡そ20m、その粗削りな断崖は自然が造った見事なまでの造形だ。
丁度緑の帽子を被ったような岩塊が、静かな湾に聳え立つ姿は、人を寄せ付けない威圧感と荒々しさが感じられる。
七浦海岸 民宿たきもと
この日の宿は、相川大浦地区の高台に建つ、「民宿たきもと」である。
宿から歩いて下れば七浦海岸の景勝が展開する地に有り、磯釣りなどには最適である。
リーズナブルな料金(7350円)の割には、海の幸山の幸が多彩に並ぶ夕食が評判の宿でもある。
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