斗南藩の悲劇 大湊
大湊の駅前にはロータリーが広がり、その中央には、モダンなモニュメントが見える。
それを囲むようにバス停が有り、下北巡りの予約制観光バスもここから出るらしい。
駅の左手にも真新しいビジネスホテルホテルが建っている。
嘗て「陸の孤島」と言われた、下北の終着駅の寂しいイメージとは随分と違うことに驚かされる。
町には自衛隊の基地がある。足を延ばせば、シンボルツリーの一本杉が見物らしい。
ここは湧水が豊富な町で、湧水場所も町中に点在していると言う。
大正5年に建てられた旧海軍士官の社交場・北洋館、旧海軍の水源確保のために造られた水源地公園などもある。
折り返し列車までの1時間余りでは、これらを巡ることは叶わないが、駅周辺を少し歩いてみる。
駅前の通りを行きかう車は結構多く、そんな道路に沿って、古めかしい旅館の姿が見える。
また賑やかに看板を飾った商店も並んでいるが、その多くがシャッターを閉めたままに成っている。
近くの路地には何軒もの閉店した小さな飲み屋さんが、看板を上げたままドアを固く閉ざし残っている。
「小さな町ながら10軒以上もの旅館があり、飲み屋さんも多かった。昔は自衛隊さんや漁師さんで繁盛した・・・」
そんな歴史も有るらしいが、今はその勢いは失せているように見える。
駅前の通りを右に進み、駅を回り込むように15分ほど歩き、その裏手に出てみる。
途中行く先に見え隠れする山は、下北のシンボルと言われる釜臥山(970m)であろうか。
山頂のこぶが特徴的な山姿である。
海岸に出てみると、漁協のある大湊港の脇に名産のホタテを売る店が有った。
その前をさらに進むと、いい匂いを放つ濃いピンクの花に囲まれて碑が建っている。
碑には「斗南藩士 上陸の地」と書かれている。
ここは明治2年、新政府から斗南藩としての再興を許された、旧会津藩士とその家族が上陸した地である。
新潟港から仕立てた蒸気船で、海路を移動し、移住してきたのである。
新しい藩庁の置かれた田名部に、合わせて1,800名が上陸し、第一歩を記した記念すべき地であった。
見も知らぬ新天地に、活路を求め移住はしたものの、それは過酷を極めた苦難の歴史の始まりでもあった。
元々当地は、風雪の厳しい火山灰土の不毛の地、開墾は難渋を極め、飢えと寒さと貧困で病死者まで出る有り様だ。
新政府の仕打ちを恨むことも叶わず、その歴史は悲惨な運命にもてあそばれることになる。
碑の銘文は「ヒバの原木」の一枚板に刻まれている。
周囲には、むつ市の花「ハマナス」が植えられ、甘い香りに包まれている。
会津若松市の「アカマツ」が植えられ、会津鶴ヶ城の石垣の石を、飯盛山に見立て組み立てている。
旧藩士達の苦難の歴史を秘め、望郷の思いを込めて、碑は会津若松市を望む方向に向けて建てられている。
連絡船の町
夕方、みたび青森駅に戻ってきた。
ここは、本州の東側と西側を北上してきた、東北本線と奥羽本線が交わった先の終着駅だ。
今はその東北本線はなく、青い森鉄道との共用駅となっている。
嘗てここは青函連絡船に乗り継ぐ北海道の玄関口として、大いに賑わった駅である。
広い構内には島式ホームが3面も有り、引き込み線も多く、沢山の列車が停留されているのが見える。
そんな広大な敷地を跨ぎ、横切るように、南北に2本の長い跨線橋が架かっている。
もうかれこれ半世紀以上も前の事、北海道一周旅行の玄関口である青森駅を目指していた。
上野発の夜行列車が駅に近づくと、乗客は大きな荷物を抱え、ぞろぞろと車内を前に前にと移動を始めていた。
停まるのも待ちきれない人々は、列車がホームに滑り込みスピードが落ちると、先を争って飛び降りて行く。
連絡船内に良い席を占めようと、着岸桟橋を目指し駆け出す「桟橋マラソン」が日常的に繰り返されていたのだ。
長い長い跨線橋は、当時の名残でも有る。
そこからは駅を隔てる柵の向こうに、一艘の大きな船が係留されているのが見える。
かつて青函連絡航路で活躍し、今はメモリアルシップとして繋留されている八甲田丸である。
駅の構内を横切るように、青森ベイブリッジが架けられている。
線路で東西に分断された市街地を結ぶ県道の一部で、全長1,219mの優美な姿の斜張橋である。
この橋の北側にあるのが、メモリアルシップ・八甲田丸で、反対側に有るのが、ねぶたの家ワ・ラッセである。
これは文化観光交流施設で、ねぶたミュージアムや交流学習室、イベントホール、ショップ、カフェを備えている。
陸奥湾を控えた青森市内には、駅の近辺にも市場がある。
また新鮮な魚介類を食べさせる食事処も多く、中でも人気は名産のホタテを扱う店のようだ。
駅前には、観光客向けと思われる、ホタテ釣りの楽しめる居酒屋もある。
ホタテは、鍋でも焼いてもフライでも美味しいという。
とは言え、何と言っても生で食べる刺身が一番で、まず最初は何も付けずに食べるのがお勧めらしい。
味噌出汁に、ホタテを入れ、卵とじで煮込んだ、郷土料理の「貝焼き味噌」も掛け値無しで美味しかった。
「のっけ丼」と新鮮市場
駅から歩いて5分程のところに、昭和40年代から市民の台所として賑わってきた古川市場が有る。
ここの名物は何と言っても「のっけ丼」だ。
まず食事券(100円が5枚の500円券と10枚の1000円券がある)を購入する。
次にどんぶりご飯(普通盛り100円、大盛り200円)を購入する。
後は市場内の色々の店を回って、自分の好きな具材を選んでどんぶり飯に乗せるだけである。
しかし、訪ねたこの日は生憎の定休日で殆どの店が閉めていた。
折角来たのに・・と、落胆していると、地元の人がすぐ近くの「アウガに行ってみろ」と勧めてくれた。
ここは、青森駅前の再開発により2001年にオープンした施設である。
ファッションの店舗を中心に、カフェ・レストランや小物雑貨、100円ショップなどが入る複合施設だ。
しかしその地下は、「新鮮市場」と言う、80店舗余りも集う市場となっている。
海鮮・干物から野菜・果物、お菓子、お酒まで、いろいろな店が揃い、食事処も何軒かある。
津軽三味線を聞きながら津軽の郷土料理が食べられるお店もある。
ホタテ丼やうに丼、三色丼、マグロ丼などが格安で食べられる食事処などがある。
昨夜駅前のお店で食べた刺し身のホタテも、郷土料理「貝焼き味噌」に添えられていたホタテも美味かった。
楽しみにしていた「のっけ丼」は幻に終わってしまったが、「新鮮市場」で食べた三色丼も良かった。
さすが本場の名産は、どこで食べても評判通りのうまさで、しかも安い、外れなしの大ヒットである。
グランクラス
新青森からの帰途、一生に一度の思い出に、東北新幹線の「グランクラス」を利用した。
これは飛行機で言えば、ファーストクラスに相当するサービスを提供する座席である。
東北新幹線に新型車輌が運行されたのを機に導入され、従来のグリーン車よりも上位に位置するものだ。
導入当社は評判で、予約が取りにくいと聞いたこともあったが、この出発の10日程前であったが簡単に取れた。
JRの謳い文句は、「静寂と上質で洗練された安らぎの空間」である。
電動リクライニング本革表地シートは、従来のグリーン車と比べると、幅もピッチも長く、座席としては最大級だ。
一両の定員は18名で、1列は、一人掛け用と2人掛け用の3席で、それが6列有る。
それぞれがバックシェル構造になっているので、最大45度まで倒しても、後席を気にする必要が無い。
車内サービスも至れり尽くせりで、専任のアテンダントが乗務し、手元の釦を押せば直ぐに対応してくれる。
新聞・雑誌が用意され、備え付けの毛布が有り、スリッパ、アイマスク、靴べらは記念に持ち帰りも可能である。
沿線の食材を使用した弁当(軽食)や茶菓、ソフトドリンクやアルコール類は無料で提供される。
途中の盛岡で、暫く停車するとのアナウンスが流れる。
乗務しているグランクラスアテンダントが、「列車の連結をご覧になりませんか」と、声を掛けてくれた。
先着した「はやぶさ」が、ここで秋田新幹線の「こまち」を待ち、併結をして後、終着駅に向かうのである。
急いでカメラを片手にホームに降りると、カメラやスマホを構えて大勢の人がこのイベントを待ち構えていた。
既に「はやぶさ」の先端はカバーが開き、普段は見ることの出来ない連結器が剥き出しになっている。
そこに赤いボディの「こまち」が、先端のカバーを両側に開けながら、ゆっくりと入線し、押し込むように連結する。
サンライズ瀬戸・出雲も岡山駅では、分割・併結作業が行われ、これまでにも何度も間近で見ている。
大井川鐵道では、珍しいアプト式機関車とディーゼル機関車の連結も目にしている。
それでも、何度見ていても、こうした作業からは目が離せないのは、根は電車が好きだからか。
これで北海道、東北の地方のJR営業路線の乗り潰しは完遂した。
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