青い森鉄道
青い森鉄道は、三セク化により発足した、目時から青森の間122qを運行する鉄道である。
東北新幹線の開業により、東北を貫いていた嘗ての基幹路線である東北本線が、JRから切り離され誕生した。
列車はほぼ青森湾に沿って、所々でその海を見通しながら進む。
青森を発った二両編成の列車は、シンボルカラーに塗り分けられている。
車体には、電車と樹木をモチーフにしたデザインのロゴマークが描かれている。
また、緑の森の中で生まれた青色の木のイメージキャラクター「モーリー」が愛嬌を振りまいている。
何れも公募による人気投票で決められたものだ。
無人駅が多いのか、ワンマン運転の車両に、洒落た制服に身を包んだ女性車掌が乗り込んでいる。
途中の浅虫温泉は、青森の奥座敷と言われる有名な温泉だ。
その開湯は古く平安時代まで遡り、江戸時代には津軽藩主も湯治に訪れたと言う、由緒ある温泉である。
込み合っていた車内は、ここら辺りまでで、乗り込んでいた車掌もここで降りて行った。
小湊を過ぎた辺りで、夏泊半島の付け根を横切ると、左手には海がより近くに見え始める。
夏泊半島は陸奥湾に突き出た小さな半島で、その西側は青森湾、東側をこの野辺地湾と呼び分けている。
青森名産のホタテ貝の養殖が初めて行われた地として知られている。
半島を一回りする県道9号線は、「夏泊ホタテライン」と呼ばれていて、海岸線ドライブが楽しめるらしい。
最古の鉄道防雪林 野辺地駅
清水川、狩場沢に停まり、やがて海岸から離れ、進路を内陸に向け暫く行くと野辺地に到着だ。
青い森鉄道と、JR東日本との共用駅で、JR大湊線の乗換駅である。
当地訪問の目的は、これからこの大湊線を乗り潰すことである。
嘗ての東北本線の主要駅らしく、単式1面、島式2面に5線を擁する大きな地上駅だ。
駅の構内の裏手に、見事な鉄道防雪林が見えるが、これはわが国では最初の鉄道防雪林らしい。
これは明治24年に開通した東北本線の冬季の雪害から守るために、その翌年植林されたものだそうだ。
この整然と手入れされた防雪林は、幅400m、奥行き60m、1,250本にも及ぶ杉の林である。
周りは公園のように整備されていて、幾つかの碑も建てられているようだ。
はまなすベイライン 大湊線
JR大湊線は、野辺地と大湊を結ぶ58.4Kmの路線である。
下北半島の付け根から、ほぼ陸奥湾に沿って北上する事から、「はまなすベイライン」の愛称が付けられている。
1番線に到着した列車は、珍しく2両編成である。
野辺地で多くの乗客が降りたので、大湊線に乗換える人も多いのかと思ったが、見込み違いであった。
殆どが改札を出て行き、新たに乗り込む乗客も少なく、車内は閑散としている。
大きくカーブしながら青い森鉄道線と離れると、市街地が広がる中、次の北野辺地に到着する。
ここら辺りから陸奥湾は、車窓の左側直ぐの所まで近づいてくる。
有戸までは、チラホラ車窓からも人家が認められたが、その先では左には人気もない海が広がるのみである。
右手は遥かに離れた丘陵地帯の山並みで、そこまでは原野が広がり、時々牧場や広大な農地が後ろに遠退いて行く。
集落も僅かばかり、駅間も随分と長くなったようで、線路は所々で防雪林に囲まれている。
吹越駅のある横浜町は、菜の花の栽培で知られた町らしい。
昔から菜種油を取るために栽培されていて、その作付面積は、東京ドーム25個分にも及ぶと言う。
この地は、陸奥湾から吹き付ける西風の強いところだ。
線路は防風(雪)林に囲まれているが、立ち木は所々が厳しい潮風に痛めつけられている。
立ち枯れでもしているのか、赤茶けた無残な姿をさらけ出している木々も目立ち、その厳しさが知れる。
車窓からは広大な大地に立つ、風力発電の大きな風車を何基も目にする。
羽根の回転も心なし速いようで、とにかくここは、風の強いところらしい。
沿線で少し活気のある町並みを見せる陸奥横浜では、列車の行き違いがある。
その昔は「陸の孤島・下北」と言う有り難くないニックネームを付けられた地域らしい。
しかし、この駅だけは人出も多く、積み出される魚の荷の盛況で賑わっていたと言う。
その名残か、線路を外された構内はやたらと広く、昔の栄華を物語っているようだ。
小さな待合所の建つ有畑、真新しいモダンな駅舎の近川、更に金谷沢に停車を重ねて来た。
過疎地を行くローカル線らしく、停車しても人の乗り降りは殆ど無く、ここまでは全てが無人駅であった。
それでも、鉄道利用者の物なのか、駅前の僅かな広場には、無造作に自転車が留め置かれていた。
赤川を過ぎると、やがて下北で、久しぶりに見る有人駅に到着する。
半島の観光拠点 下北
市街地が開けてくると、下北半島観光の拠点である下北の駅が近づいてくる。
「イタコ」で知られる恐山へは15q、マグロで知られる大間へは47qほどであり、駅前からはバスの便がある。
かつてこの駅からは、半島を北上する大畑線が分岐していた。
同線は更に大間まで北上し、そこから海岸に沿って南下し、奧戸に向かう大間線(25q)も計画されていた。
青函トンネル構想の東ルートとして検討された時期もあったようだが、海底の地質が不適切との事で却下された。
結局大畑から延伸される事はなく、大畑線も一時下北交通に転換されたが、平成13(2001)年には廃止されている。
下北を出た列車が田名部川橋梁を渡り、大きく西に進路を変えると前方に、白い半円の巨大なドームが見えて来る。
「しもきた克雪ドーム」と名付けられた施設で、雪深い当地の冬季の活動を活性するために造られたものらしい。
人工芝が敷き詰められ、テニスコートなら8面、野球やサッカーのグラウンドとしても使える広さを誇っている。
てつぺんの終着駅 大湊
『大湊要塞を中心とするこの辺りは、軍の機密保持の都合上から、日本の地図から除外された空白の部分といえた』
市街地に入り、少し南に下がり進むと終着駅の大湊だ。
水上勉は小説「飢餓海峡」の中で、日本海軍の軍港であった大湊をこのように書いている。
ミッドウェー作戦でも出撃した大湊海軍航空隊に代わって、今では海上自衛隊大湊地方総監部が置かれている。
日本最初の原子力船「むつ」の母港としても知られたところである。
JR東日本最北駅の地位を下北に譲り、「てっぺんの駅」を名乗る終着の大湊は、野辺地からは1時間程の距離だ。
「よく来たにし」と横断幕で迎えられ、列車を降り改札を出ると、どこからともなく良い匂いが漂ってくる。
どうやらその源は、この駅の中にあるらしいので、駅員に聞くと「ヒバの匂いです」と言う。
駅舎の天井にヒバ材が使われているのだ。
ヒバ(ヒノキアスナロ)は、ヒノキ科の針葉樹である。
抗菌・防虫・殺菌に効果があり、その香りはリラックス効果があるとされる。
湿気にも強いことから建築材としても優れていて、中尊寺の金色堂にも使われていると言う。
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