津軽線・蟹田

 

 「蟹田」駅は、JR東日本に属する津軽線の駅である。

駅員の居る地上駅で、2面3線を持ち、他にも留置線が有り、同線内では比較的大きな駅だ。

ここから789系の電車特急「スーパー白鳥95号」に乗り、北海道入りを目指す。

 

津軽線は、津軽半島の東部を縦貫する路線で、起点駅は森、その終着駅は三厩である。

全長55.8qの全線が単線で、その間に駅の数は16駅(両端駅は含まず)である。

次の中小国の駅を過ぎると「海峡線」との分岐が有り、同線はJR東日本からJR北海道へ管轄が変る。

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

 このため「海峡線」の列車は、青森と蟹田の間はこの線を行くことになる。

中でも特急列車は、この蟹田が本州最後の停車駅となり、乗務員の交代もここで行われている。

 

次の中小国が「海峡線」の本来の分岐駅ではあるが、当駅は「津軽線」との実質的な分岐駅である。

当駅を境に列車の運行形態は大きく変わっている。

青森からはここを経由し北海道に向かう、本州との連絡線でもあり、特急の他、普通列車も多く設定されている。

しかし、三厩に向かう便は一日数本しかなく、過疎地を行くローカル線の様相で、勿論非電化区間となる。

 

 

津軽今別駅

 

「海峡線」を行き、大平・津軽の長いトンネルを抜け、新駅工事が進む「津軽今別」の駅をゆっくりと通過する。

駅は2面2線を持つ地上駅で、開業は比較的新しく昭和631988)年である。

元々は、青函トンネルの本州側の保守基地として設けられた駅と言う。

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

ここでは、北海道新幹線が開業すると「奥津軽いまべつ」となる駅舎が、既にその姿を現しつつあった。

新幹線が開業すれば、本州最北の停車駅となる予定だ。

これに伴って在来線の「津軽今別」は廃止され、代わって津軽線の「津軽二股」駅と連絡通路で結ばれることになる。

 

 

青函トンネル

 

その先で1,300m余りの大川平トンネルに入る。

早とちりをする乗客向けのサービスか、電光案内板には、「これは青函トンネルではない」との案内が流れている。

更に小さなトンネルを5つ程抜けると青函トンネルに入り、12パーミルの勾配で最深部に向かって下っていく。

と言っても、乗っていて実際に下っていることを実感するわけでは無い。

 

 暗闇の中に、突然明るい蛍光灯の帯が輝く、竜飛海底駅(平成26314日営業終了、以後「定点」)を通過する。

やがて車内が三本の緑色の蛍光灯に照らされると、転瞬、三本の青色の蛍光灯が瞬く間に後ろに流れていった。

トンネルの最深部を示すサインであるが、あっという間の出来事である。

この時列車は、海面下256.1m、海底から100mの地点を、時速140Kmで駆け抜けていた。

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

 水平部分の無い鉄路は、そこからすぐに12パーミルの上りに転じて行く。

その先で、吉岡海底駅(平成26314日廃止、以後「定点」)を通過すると、やがて長いトンネルを抜ける。

すると車窓が明るく開け、緑豊かな北海道の景色が目に飛び込んでくる。

出口付近には、新幹線の工事関係者の宿舎であろうか、青色の屋根をした無数の建物も見えている。

 

目を下に転じれば、三線式スラブ軌道方式と言われる、新幹線用の線路が敷かれているのが解る。

これは、在来線レールの片方を新幹線と共用し、もう一方の外側に新幹線レールを一本新たに敷設した物だ。

これによって、同じ線路上を在来線の列車(ここでは貨物列車)と、新幹線で共存する事が出来る。

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

青函トンネル

青函トンネル

青函トンネル

 

 それにしてもすごい技術である。全長53.85Kmは、海底トンネルとして世界一の長さを誇っている。

継ぎ目のないスーパーロングレールの長さは52.57Kmで、これも世界一だ。

使われた鋼材が東京タワーの57基分、セメントの量はその袋を積み重ねると富士山の850倍になると言う。

火薬に至っては、2000発上がる花火大会なら、数百年分に相当すると言うから驚かされる。

構想から半世紀、着工から24年もの歳月を費やして完成した青函トンネルは、我が国の宝、誇りである。

 

 

「鉄まち」 木古内

 

 北海道の玄関駅・木古内の在来線ホーム横には、新幹線の駅舎がコンクリートむき出しで立ち上がり始めていた。

ホームや駅舎内の彼方此方に、開業を待ち望む看板等が立てられている。

北海道新幹線の「木古内」駅が出来る町は、どうやら歓迎ムード一色の様子である。

 

そんな折、町は「鉄まち木古内」としても売り出しに躍起だ。

「鉄まち」と言うだけあって町中には、鉄道に関するスポットも多く、駅には町歩きマップも用意されている。

 

木古内

木古内

木古内

 

木古内

木古内

木古内

 

木古内

木古内

木古内

 

木古内

木古内

木古内

 

 ホームからは、『「新幹線木古内駅の工事現場」今でしか見られない駅舎工事の状況が分かります』

駅から歩いて5分ほどのところにある、町役場のロビーには「キーコ駅長室」がある。

山本寛斎デザインによる町のキャラクター「キーコ」が、早々と観光駅長に任命され駅長室で観光客を待っている。

『開業前なのに早くも駅長がいます』、と言うことで、ここには誰でも気軽に立ち寄ることが出来る。

 

 『町内の鉄道愛好家が撮影・収集した写真やグッズなどを展示する「鉄道ギャラリー」』は近くの公民館だ。

『かつて急行列車が走っていたころからの名店「駅前飯店 急行」』と言う食堂が駅前にある。

『キーコ駅長の公式グッズが手に入るのはここだけ「モーリー」』と言う文房具屋も駅近くにある。

 

 駅から少し離れれば、

『日本全国で探しても珍しい「新幹線・在来線の分岐ポイント』

『列車全景見れるビュースポット「青函トンネル出口記念撮影台」』などなど、話題には事欠かない。

 

木古内

木古内

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木古内

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木古内

木古内

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木古内

木古内

木古内

 

 駅前から真っ直ぐに延びる道を行くとみそぎ公園が有り、その先にはみそぎ浜が海に向かって広がっている。

そこは、毎年厳寒の1月に行われる「寒中みそぎ祭り」の会場である。

天保2(1831)から続く、佐女川神社の伝統行事だそうだ。

水垢離を終えた行修者がご神体を掲げ、豊作・豊漁・安産・安全を海に入り祈ると言う。

 

木古内

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木古内

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木古内

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木古内

木古内

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そんな町には、「ほたて炙り丼」と言う名物も有り、「のんびりぶらり旅してみよう」と呼びかけている。

木古内産のホタテは、津軽海峡で採れるらしく、荒海で育った貝は大ぶりでジューシーだという。

そこで新幹線開業を控え、町の名物にとして開発したのがこの「ほたて炙り丼」である。

 

 指定された食材を基本に、トッピングや味付けは各店が工夫して提供する。

町中にも、幾つかの有名店が有り、観光案内所でも紹介してくれる。

地図を頼りに訪ねて見たが生憎どこもお休みで、結局駅に戻り駅弁を手に入れ、江差線の列車に乗り込んだ。

 



 

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