廃止間近 江差線
「江差線」は、函館の北、五稜郭から木古内を経て江差までの間、80キロほどの路線である。
その内の木古内から江差の間は、典型的なローカル線で、現在一日の運行は朝夕を中心に6往復のみである。
木古内駅では現在北海道新幹線の工事中で、新駅の工事音が在来線のホームにも響いている。
開業すると五稜郭と木古内の間は、新幹線との並行在来線として、「道南いさりび鉄道」に移管される予定だ。
又そこから先、江差までの37.8キロは、既に廃止が決められている。
木古内発のキハ40系1両のワンマン運転列車に、カメラやバック抱えた観光客風の乗客が沢山乗り込んだ。
車内はほぼ満席で、聞けば廃止が発表されて以来、こういった乗客が随分増えたと言う。
廃止される前に乗っておこう、撮っておこう、見ておこうと言う事らしい。
木古内を出て、海峡線や工事中の新幹線高架線と別れると、右手に広々とした農村公園が見えてくる。
そこを過ぎると、右手に北海道開拓当初に建立されたと言う、曹洞宗・禅燈寺近づいてくる。
暫くすると江差線の列車は、踏切を越えていくが、その直ぐ前には寺の山門が聳えている。
ここは、全国的にも珍しい線路が境内を横切るスポットで、鉄道ファンには良く知られたところである。
列車は吉堀駅を過ぎると、次第に山に向かい松前半島の山越えを目指す様相となる。
そこには、25‰の登り勾配が待ち構えている。
エンジン音が高まるが、スピードは思ったほど上がらず、まるで遊園地のトロッコ列車かと思うほどだ。
ゆっくりと上り詰めると稲穂トンネル(828)でサミットを迎え、そこを抜けると下り転じ、暫くすると神明駅だ。
単式1面1線のホームに、小さな待合室が有るだけで駅舎の無い、寂寥感溢れる駅として人気のスポットでもある。
分水嶺を越え、車窓には日本海に向けて流れ下る天の川が見えてくる。
やがて、立派な山小屋風の駅舎を持つ、沿線では比較的大きな湯ノ岱駅に到着した。
ここでかなりの乗客が下りたが、これは駅から歩いて10分程のところにある、湯ノ岱温泉目当ての観光客らしい。
島式1面2線のホームを持ち、ここでは列車の行き違いが可能である。
ホームでは、珍しいタブレット(列車の通行証)の交換を見ることが出来る。
単線区間では、有る一定の区間の通行が出来るのは、このタブレットを有する列車のみである。
これにより、列車の安全運行が保たれているのである。
線路脇に小さな待合室しかないのは、無人駅の宮越である。
次の桂岡駅と、その次の中須田の駅舎は、どちらも旧車掌車を改装したものだ。
この三駅とも、単式1面1線の無人・地上駅で、如何にも乗車率の悪いローカル線らしい粗末な施設である。
嘗ては急行も停まったのが、上ノ国町の中心にある次の上ノ国駅である。
町は松前藩の祖・武田信広を祀る夷王神社、北海道最古の寺院・上国神社、花沢館跡等が有り史跡の宝庫らしい。
松前半島を横切って上ノ国の駅を出ると、ここからは海に沿ってやや北向きに進路を変える。
左手に日本海とその海辺が見えてきて、終点の江差までは、これを見ながら国道228号線と並走する。
海岸に「はまなす」が自生しているらしく、その甘い香りが車内にまで漂って来る。
終着駅・江差
「江差の五月は江戸にもない」
ニシン漁で繁栄を極め、その積み出しで賑わって駅は、ニシンの北上と共に寂れる町とは運命共同体であった。
嘗ては広い構内にニシンを満載した貨車が溢れていたであろうが、その面影を今はどこにも見ることが出来ない。
線路の先は突然に途絶え、留置線も無い、ここは一面一線、到着した列車が、ただ折り返すだけの終着駅で有る。
ホームも駅も、無人駅のように閑散としているが、営業時間内のみ駅員がいるらしい。
当時のヤードと思われる周辺には、真新しいマンションや、住宅が建て居並んでいて、これだけが救いのようだ。
そんな文化的な居住空間とは裏腹に、小さな終着駅には、寂寥感が溢れている。
かなりの乗客が降り立ったが、改札を抜けるとその姿は既になく、待合室には殆ど人影が消えていた。
人の引くのも早いが、それでも折り返しの木古内行きを利用する乗客か、二人、三人と集まって来る。
人気のない待合室の中央には、この時期でも使う事があるのか、ストーブ出されたままであった。
駅の構内には、観光案内所もコインロッカーも無い、列車で観光に訪れる客は極めて稀なのであろう。
嘗ては駅弁も扱っていたらしいが、弁当処か売店もお土産屋さんも、兎に角、回りにも何もない。
観光の中心は、ここから歩いて20分ほどの所に集まっている。
坂の町・江差
北海道の南西部に位置する江差は坂の町である。
東部に山岳が多く、それらが丘陵に成って海岸に迫っていて、その段丘上と海岸沿いを中心に町が開けている。
「えさし」と言う地名も、岬が海に突き出たところと言う意味があるらしい。
それが「江差は二階建ての町」とも言われる所以である。
駅は海を見下ろす高台に建っていて、国道228号が遥か下の方に見える。
その海岸縁に町並みが広がり、こちら側の高いところに開けた町と一体となっていることが良く解る。
その場所を、切石坂、北前坂、馬坂、奉行坂など、名うての急坂が結んでいる。
「最北の城下町」「北の小京都」と言われる江差は、紛れもなく坂の町である。
江差の町歩き
駅から暫く歩いて、何と無く懐かしい雰囲気のある「法華寺通り商店街」に入ってきた。
通りの中程に「寄来所(よっこらしょ)」と言う、無料のお休み処がある。
空き店舗が増え、過疎化が進む中、町の活性化や観光客誘致に向けた施設らしい。
池大雅作という八方睨みの竜で知られる法華寺の山門は、北海道最古の建築物の一つである。
寺は、凡500年ほど前に上ノ国で創建された、その後この地に移されたものらしい。
境内の大しだれ桜は、毎年ゴールデンウィーク前後に満開の花が楽しめるという。
坂を下って江差観光の中心的な場所、「いにしえ街道」に下りてきた。
景観に配慮した町並造りとして、電線が地中化され、広々とした歩道には、明るい色のタイルが敷かれている。
通りには、明治初期まで、ニシン漁で隆盛を極めた商家やその問屋蔵、町屋などが数多く残っている。
さらにお土産物屋、食事処、洒落たカフェなどが軒を連ねる人気の通りだ。
丘の上に見えるモダンな緑の建物は、旧郡役所で、いまは江差町郷土資料館になっている。
江差町会所開館は、旧町役場の本庁舎で、観光の拠点として一般に公開されている。
文政4(1447)年に草創されたのが、姥神大神宮で、一説には北海道最古と言われる古社である。
ニシン漁の始祖として、漁業関係者の篤い信仰を集めていると言う。
祇園囃子の流れをくむ調べにのって、豪華な山車が町内を練り歩く渡御祭は、北海道最古の夏祭りである。
かつて鰊御殿と言われた横山家は、200年以上の歴史を誇る廻船問屋だ。
現存する建物は160年ほど前に建てられた物で、粋で雅な京文化をこの地に伝えたことで知られている。
ここでは、江差名物の「ニシンそば」を頂くことが出来る。
又、海産物の仲買商を営んでいた「旧中村家住宅」は、町屋の代表格だ。
緩やかな傾斜地に面した角地に、越前石を積み上げた土台を築き建つ、切妻総ヒバ造りの大きな二階建て建築だ。
母屋、文庫倉、下ノ倉、ハネダシの4棟が一列に連なっていて、堂々たる風格を出している。
これは、典型的な問屋建築と言われるもので、国の重要文化財に指定されている。
山車会館と江差追分会館
国道に向けもう一段下りて行くと、町役場の横に「江差山車会館」と「江差追分会館」が有る。
「江差山車会館」では、毎年8月の9〜11日に行われる姥神大神宮渡御祭で引き回される山車を展示している。
370年の歴史を持つこの祭りは、ニシンで隆盛を極めた栄華を偲ばせる祭りと言われている。
館内では、13台の山車の中から、2台を1年交代で常設展示している。
「追分け」とは、街道の分れ道のことで、そこを行き交う馬子達によって唄われたのが「馬子唄」である。
これが「追分節」のルーツで、元々は、江戸時代から信州の中山道で唄われていたものらしい。
それが旅人などにより、全国に伝わり、この江差にはとうじ上方などと交流した北前船により運ばれたそうだ。
その後当地のものと融合し、独自の音調をもって誕生したのが「江差追分」である。
北国の厳しい自然環境に立ち向かい生活する人々への応援歌で有り、賛歌だと言われている。
「江差追分会館」には、「伝習演示室」、百畳の畳敷き会館があって、江差追分の実演を聞くことが出来る。
又館内では、唄を覚えたいという人向けに、実技の指導も行っているという。
「開陽丸」終焉之地
「開陽丸」は、オランダで建造された三本マスト・補助エンジン付きの船だ。
全長72.8m、幅13m、排水量2590トンで、大砲26門を備えた、幕府期待の海軍旗艦船であった。
慶応3(1867)年、オランダから引き渡され横浜港に着いた後、多くは大阪湾の警護を務めていた。
翌年、鳥羽・伏見で敗れた徳川慶喜と供に、大阪を脱出し品川に逃れた。
戊辰戦争で力を失い天皇が政治の実権を握るようになると、幕府の旧臣達は艦を奪い、北海道へ逃亡する。
その中心にいたのが、榎本武揚らであった。
北海道大浦湾の現森町辺りに上陸し、兵が函館に向けて進軍するなか、榎本は艦で函館に入港する。
五稜郭に入城し、さらに江差占拠の援軍として、艦を江差に差し向けた。
ところが沖合で停泊中、暴風雨の為に座礁し、その10日後には敢え無く沈没してしまった。
あの榎本武揚をして、「闇夜にともし火を失う如し」と嘆かせた、ここが開陽丸の終焉の地である。
江差追分会館の裏には海が広がり、その岸辺にひっそりと、「開陽丸終焉之地」の石碑が建っている。
今その開陽丸は、復元されかもめ島近くに係留されている。
| ホーム | 国内路旅行 | このページの先頭 |
(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.
|