運河の町・小樽
観光客らしい人々で賑わう小樽は乗り過ごし、列車を南小樽の駅で降りた。
駅前の通りを7分ほど歩くと、メルヘン交差点(堺町交差点)に出る事が出来る。
ここから堺町通りを観光しながら、小樽駅に向け戻る方が効率的だからだ。
メルヘン交差点は、思った以上に人が多かった。
道路沿いには、煉瓦造り、石造り、屋根にドームを乗せた建物など、多彩な建物が立ち並んでいて観光の中心地だ。
洒落た店構えのお土産屋、飲食店などが犇めいていて、そんなお店目当ての観光客で賑わっている。
交差点の石造りの灯台の近くには、オルゴール堂がある。
十数年以上も前の家族旅行で、カラフルで煌びやかなオルゴールに魅せられた子供達に、お土産を強請られた店だ。
その前に建つ蒸気時計も当時のままのようで、記念写真を撮った記憶がある。
しかし、その周辺は随分とお店も増え、モダンな感じで、賑わいも当時よりも増しているように見える。
チョコレートやチーズケーキで有名なルタオや六花亭の店先で、試食に誘われて店内を覗く。
有名なガラス店などで、人波に連れられ、冷やかし店内に入り込む。
更に、箸の専門店、ガラス細工の店、雑貨を扱う店等々、多彩に揃っていて、出たり入ったりも忙しい。
多くが魅力的なお店ばかりで、誘われるままに動いていると、時間がいくらあっても足りそうにないほどだ。
更に更に、小樽銘菓の店、人気のスイーツには手が伸びてしまう。
カフェや食事処などは、どこも魅力的で食欲をそそられる。
海鮮の店等は食べ歩きをと、店先で調理し匂いで誘い、道行く観光客に声をかけてくる。
その度に車の行き交う道路を、あっちに行ったり、こっちに来たりと忙しい。
食欲を抑え、時には通りの建物にも目を凝らして見る。
華やかに飾り付けた商店に混じり、石造りの重厚な歴史を感じる建物も所々でお目に掛かる。
そんな建物の一つ、岩永時計店の建物は一見の価値がある。
瓦葺き屋根の両側に一対の鯱を飾り、重厚な石造りの壁の窓などにも精密な細工が施されている。
小樽商人の心意気を示す貴重な建物らしく、市の歴史的建造物に指定されている。
小樽運河
途中「全国コロッケコンクール金賞受賞」の看板を見つけた。
コロッケには目がなく、その金賞コロッケを齧りながら足早にこの地区のハイライト、小樽運河に向かう。
小樽の運河は、大正時代の末期頃造成された
一般的な運河のように、内陸部を掘り上げたものではなく、海岸を埋め立てて造成したものらしい。
その為海岸の名残で、緩やかに湾曲しているのが特徴とされる。
運河の全長は1140mあると言い、その内の40m程が当時のまま残され、観光の中心になっている。
散策路には63基のガス灯が設置され、運河越しに臨む石造り倉庫群の眺めが、レトロ感溢れるとして人気だ。
その運河には、40分間の小樽運河クルーズが人気で、優雅なゴンドラが行き交っている。
小樽駅に向かう途中、近くにある運河プラザに立ち寄ってみる。
ここは、北海道初の営業倉庫を活用した施設で、重厚な石造りの建物は、市の歴史的建造物に指定されている。
内部には観光案内所や、お土産、喫茶コーナーなどが有る。
町中の廃線跡
駅に戻る途中に、旧手宮線の線路跡が残されていた。
北海道で最初の官営幌内鉄道として開通した旧手宮線は、南小樽と手宮を結ぶ2.8Kmの路線だ。
一時私鉄の炭鉱鉄道となり、海産物や石炭の輸送を担った路線で、その後国有化され1985年に廃止されている。
営業線ではないので、交差する道路を行きかう車に一旦停止の義務が無いらしく、みな素通りしている。
旧手宮線の廃線跡は、最近ではLRT(次世代路面電車)として復活を望む声も出始めているらしい。
小樽の町に路面電車が走り、観光地巡りが出来れば、またその魅力は増すことは、間違いない。
寿司屋通りや花園歓楽街まで足を延ばし、運河の全貌も見てみたいところだが、時間がなくなってきた。
JRの乗り潰し旅では、鉄道ダイアが中心で、有名と言えど、観光に充分な時間を割けないのが悩みの種だ。
早々に小樽駅に戻り、札幌行きの快速列車に乗り込んだ。
小樽からは札幌も近く、快速なら30分余り、普通列車でも1時間とかからない。
この間の函館本線は、人気の観光地と北海道第一の都市を結ぶ幹線らしい様相を見せている。
特急が走り、普通列車や快速が頻発し、どの列車も観光客らしき姿も有り、賑わっている。
札沼線(学園都市線)
札沼線は76.5Kmの路線で、「学園都市線」の愛称が付けられている。
元々は札幌の次の駅、桑園から新十津川を経てその先、留萌本線の石狩沼田とを結んでいた事が線名の由来だ。
しかし利用者の少ない新十津川と石狩沼田の間は、昭和31(1956)年に廃止されてしまった。
それでも「沼」の字は抜かれることなく、線名として残され現在に至っている。
全ての列車が始発駅は、桑園ではなく札幌である。
札幌から新十津川までの直通運転は無く、殆どは途中の石狩当別か、北海道医療大学が終点だ。
丁度ここら辺りまでが、札幌の近郊路線と言う雰囲気で、沿線にはマンションや住宅地が多くみられる。
しかしそこから先はローカル線らしくなり、特に浦臼から終点の新十津川まで行く列車は、日に3本しかない。
北海道医療大学から先は、「維持困難線区」とされ、今廃止の噂も飛び交っている。
新十津川と石狩沼田間の廃線に次ぐ、第二の廃線危機が間近に迫っている。
沿線途中の石狩当別は、島式1面、単式1面に3線を有する地上駅で、駅員も配置されている。
平成に入り橋上駅化された駅舎は立派で、札幌への通学・通勤圏なのか、利用客が結構多く見られる。
乗り換えの待ち時間を利用して駅前に出てみると、町の案内図が掲げられていた。
これまでに立寄った町は、北海道らしい整然と碁盤目に区画された案内図が多かったが、この町は様子が違う。
町は明治に入り開拓されたようだが、町中の道路は藩政の名残なのか、迷路のように入り組んでいる。
石狩当別で乗り込んだ1両のワンマン列車の乗客は、僅かに4人と言う寂しさだ。
札幌発の普通列車は、殆どが次の北海道医療大学まで運行していて、同線の利用者も殆どがここまでらしい。
従って、その先終点に向かう利用者は極めて少なくなるらしい。
石狩金沢や本中小屋の駅舎は、貨物車を改造した物のようだ。
その本中小屋の名所案内には、どんな眺望が待ち構えているものか・・・「林道からの展望」と書かれていた。
周辺は石狩川流域で、整然と区画された広大な農地が広がっているようで、機会があれば見てみたいものである。
石狩月形は島式1面2線の駅で、ここでは列車の交換が行われる。
この先で交換できる駅はなく、その為か、左程大きな駅ではないにも拘わらず、駅員が配置されている。
豊ヶ岡は単式の小さなホームだけの駅である。
少し離れた林道に小さな木造の待合所が作られていて、これが秘境感漂うと人気らしい。
札比内辺りでは、車窓からは北海道らしい広大な農地の広がりを楽しめる。
浦臼は、タイル張りの立派な駅舎が有り、町のふれあいステーションが併設されている。
この先は、鶴沼、於札内、南下徳富に停まり、レンガ造りの農業倉庫が見えてくると下徳富だ。
新十津川
これまで車窓の左手に見え隠れしていた、暑寒別道立公園の山々が次第に近づいてくる。
石狩当別からは凡1時間半、僅か2人の乗客を乗せた列車が終着駅・新十津川に到着した。
新十津川の開業は、昭和6(1931)年で、当初は中徳富(なかとっぷ)と呼んでいた。
今日の新十津川に代わるのは、それから12年後のことである。
この地の地名の由来には、壮絶な災害の歴史が秘められている。
明治22(1889)年、奈良県吉野郡十津川村を襲った水害は、未曾有の大災害をもたらした。
当地での復興を諦めた、600戸2,690人は、新生活を求め、この地のトック原野に入植、大量移住した。
開拓が行われ、今では辺りは農村地帯となり、お米と空知玉ねぎの産地として知られるまでになっている。
札沼線は、札幌から北に延びる石狩平野を西に向かい、途中大きくカーブを切りその西端進んできた。
右手に流れるのは石狩川で、この辺りはその上流域で、周辺には広大な農地が広がっている。
その石狩平野の東側には、函館本線がこの札沼線とほぼ並行するように走っている。
終点の新十津川迄来ると、函館本線との間は一番狭くなり、その滝川駅までは4qほどしか離れていない。
駅近くの町役場前からは、その滝川駅前に行くバスの便があり、15分ほどで、函館本線への乗り換えが出来る。
この便利なバスが、札沼線の廃線論を後押ししているように・・・と思えてならない。
札幌
札幌は、江戸時代、松前藩により開かれ、明治に入り碁盤目状の町並み造りで整備された歴史を持っている。
広大な面積に全国第四位の人口を擁し、今では北海道経済の中心地である。
官公庁や企業の出先も多く、又観光都市として世界的にも知られた北の大都会である。
北海道庁を目の前に望むホテルに宿を取った翌日、少し早起きをして早めに宿を出た。
折角なので、町中の代表的な観光地ぐらい目にしておこうと、大通り公園に向かった。
「赤れんが庁舎(旧北海道庁舎)」を遠目に見て、時計台に向かう。
半世紀近く前、高校生の折訪れて以来の再訪である。
当時、町中のビルに埋もれるように建っていた、時計台が思ったよりも小さかったのが意外で驚いたものだ。
あの時も内部を見ることが無かったが、今日も開場まではまだ時間があり、見学は出来そうにない。
さっぽろテレビ塔は、札幌のランドマークタワーとして、今も昔も変らぬ人気を誇っている。
初めて訪れた時は、確か「泉の像」だと記憶しているが、塔をバックに記念写真を撮ったことを覚えている。
今もあるのか、どこにあるのか、捜してみたかったが、時間に余裕が有るわけでは無い。
近くから写真だけを撮って、塔に背を向け、早々に札幌の駅に向かった。
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