猿の出迎え

 

『今から400年程前、手が白い事で仲間外れにされ、飢え死にしそうになっていた猿を親切な夫婦が救った。

恩を感じた猿は、ある日、大やけどを負った夫婦の子供を温泉に入れ、傷を癒して助けてくれた』

 

これがこの温泉の始まりとされ、この地にはこんな開湯伝説が残されている。

その昔、三国山脈に源を発し利根川に注ぐ赤谷川の川縁には、山間に開けた古い湯治場が有った。

古くから栄えた湯治場は、「笹の湯」とか「湯島温泉」と呼ばれていた。

ところが赤谷川のこの地に、昭和33年にダムが建設され、湯治場は赤谷湖の湖底に沈むことに成った。

そのため温泉地は高台の現在の地に町ごと移転され、それを機に開湯伝説に因み「猿ヶ京温泉」と改称された。

 

水上温泉郷

水上温泉郷

水上温泉郷

 

水上温泉郷

水上温泉郷

水上温泉郷

 

水上温泉郷

水上温泉郷

水上温泉郷

 

水上温泉郷

水上温泉郷

水上温泉郷

 

 温泉に至る県道は、途中関越道を潜ると山深い山間地となり、瀬入沢の小さな渓流沿いの道となる。

幾つもカーブを重ねながらかなりの勾配で登り、途中トンネルでサミットを超える。

 

ここに至る少し前立ち寄った沿線のお店で、この道は「時に野猿の群れに遭遇する事も有る」と聞かされていた。

元々ここは昔から生息する猿が多いらしく、通り掛かると期待通り、何匹もの野猿が道路脇で出迎えてくれていた。

暫く彼らの行動を楽しませて貰い、そこから20分程走ると視界が開け、赤い鉄橋の架かる赤谷湖が見えて来る。

湖に沿って車を走らせると、やがて「猿ヶ京温泉」の中心地へと入り込んでいく。

 


 

猿ヶ京温泉

 

 猿ヶ京温泉は、赤谷湖に沈んだ旧湯治場を高台に移し、新たに名を変えて開かれた温泉地だ。

湖のほとりにはホテルや旅館、温泉民宿など40軒ほどの施設が存在する。

手白猿の開湯伝説、或は当地に遠征した上杉謙信の見た夢が、その名の由来などと言われる温泉地だ。

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

 この日の宿は、温泉街にある「仁田屋」だ。

僅か客室9部屋のこじんまりとした、リーズナブル宿ながら,源泉掛け流しの天然温泉が自慢の宿である。

50度を超す源泉に加温・加水無しの、無色透明なカルシウム・ナトリウム 硫酸塩・塩化物泉である。

入浴すれば高血圧、リウマチ性疾患、痛風、創傷などに効能がある。

又飲用すれば慢性便秘、胆石症、慢性消化器病などに薬効があるとされている。

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

 温泉街の中心地から少し外れたところに、日帰り入浴のできる「まんてん星の湯」がある。

目の前の赤谷湖を望ながら入浴できる、里の湯、七夕の湯と呼ばれる二つの温泉浴場がある。

昼間の露天風呂では自然を満喫し、夜になれば満点の星空を眺めながらの入浴が楽しめるのが売りである。

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

猿ヶ京温泉

 

又農業体験や里歩き、カヤックなどの体験も出来、食事処やBBQガーデンも併設されている。

近くにはオートキャンプ場も完備している。

天気が良ければ、赤谷湖からは谷川岳の雄大な姿を望むことが出来る。

湖ではヤマメ、ワカサギ等の釣り、カヤックやボート遊び等が楽しめ、湖畔には遊歩道も整備されている。

観光客は4月から5月にかけた新緑の芽吹くシーズンと、紅葉が期待できる10月が特に多いらしい。

 


 

良寛さんも通った関所

 

 江戸時代、整備された五街道に次ぐ重要な街道とされたのが、三国街道(佐渡街道)である。

江戸と佐渡とを結ぶこの道は、参勤交代や新潟奉行、佐渡奉行、島に送られる無宿人等の往来が多かった。

加えて佐渡産の金など、諸物資の輸送で重要な役割を果たしていた事から、当地に関所が設けられた。

それが、「猿ヶ京関所」で、全国に53か所設けられた関所の内の一つである。

 

 明治元年の廃止令により、関所の番小屋等の施設は取り壊された。

その後、江戸時代に建てられた役宅が復元され、関所資料館として公開されている。

ここには関所付近の絵図、関所備え付けの備具、当時の旅人の持ち物や、沢山の通行手形などが残されている。

 

猿ヶ京関所

猿ヶ京関所

猿ヶ京関所

 

猿ヶ京関所

猿ヶ京関所

猿ヶ京関所

 

猿ヶ京関所

猿ヶ京関所

猿ヶ京関所

 

通行手形と言うと、観光地の土産屋さんの、あの木製の将棋の駒化型のものを思い起こしてしまう。

しかし、当時の手形は基本的には紙に書かれた身分の保証書である。

土地の有力者等が通行する関所の役人に対し、「この者は間違いのない者です」と身分を保障した証文だ。

今で言うなら、パスポートのようなものである。

 

 ここには若き日の良寛が、母親の法要の為、故郷の出雲崎に向かう時に持参した通行手形が残されている。

当時良寛は、備中の国・玉島(現岡山県倉敷市玉島)の円通寺で修行の身であった。

その時代の記録は殆ど無いが、故郷へ帰郷する事も無かったと言うのが定説で、この発見で覆ったらしい。

 


 

峠下の秘湯

 

 猿ヶ京温泉から更に国道17号線を三国峠に向け登ると、県境の三国トンネル(1218m)がある。

くぐり抜ければ、新潟県の湯沢町だ。

その峠の少し手前で国道を外れ、旧道を行くとその先にひっそりと佇む温泉宿がある。

 

そこは赤谷川の支流・法師川(西川)の最上流部、三方を山に囲まれた標高800mの地である。

峠まではあと4キロほどと言う地点で、周りは山と川の他、この宿以外民家は一軒もないと言う。

一番近い民家が、1キロほど離れていると言うから全くの一軒家である。

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

JRでのアクセスの場合、最寄り駅は上越線の後閑や上毛高原駅等となる。

バスで「猿ヶ京温泉」まで行き、そこで町営バスに乗り換えるのだが、利便性は決して良いとは言えない。

このバス、朝2往復設定されているものの、その後となると、凡そ6時間後の夕方に2往復しか運行されない。

マイカーならともかく、公共交通機関では中々に難儀な地で、まさに秘湯中の秘湯と言っても良い温泉宿である。

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

この温泉は、今から1200年前の平安時代、巡錫中の弘法大師が発見したと伝えられている。

何時の頃からかここには、川を堰き止めた石囲いの浴槽があり、やがてそこに粗末ながら湯屋が造られた。

浴室が太古の昔の川底の上に立てられたため、ここでは川の方がこの建物を避け蛇行していると言う。

 

越と越後を結ぶ三国街道の峠下に位置し、昔から、知る人ぞ知る古湯である。

峠を目指す旅人は英気を養い、山を下った旅人は心身の疲れ癒す、そんな重宝な湯であったらしい。

人々はこれを「法師湯」と呼んでいた。

 


 

法師温泉・長寿館

 

 「法師温泉・長寿館」、それは創業140周年を誇る、国登録有形文化財の宿である。

全館木造で1875年に建てられた「本館」、その後増築された「別館」、法師湯のある「湯屋」がある。

そのほかにも、昭和に入って増築されたワンランク上の別館・薫山荘なども有る。

「日本秘湯を守る会」の会員旅館でもある。

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

 玄関前には、「御入浴客御定宿」、「湯本 長寿館」と書かれた古びた看板が掛けられ、その歴史を物語っている。

開業当時からのものらしく、江戸時代の旅籠の面影を良く残している。

長年の風雨にさらされ、板張りの壁は黒ずみ、木製のガラス戸と共にいい味を出している。

軒下にかかる「日本秘湯の会」の白い提灯と、その横に立つ赤い郵便丸ポストの対比も面白い。

 

「湯屋」は、イギリスの鉄道技師の設計により1895年に完成したものだ。

鹿鳴館様式のモダンな外観で、二重に重ねられた屋根は、星霜を重ね、緑に苔むしている。

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

玄関を入ると、そこは吹き抜けで、正面に大きな神棚が祀られている。

その下には、樹齢1300年の栃の木で作った大きな火鉢が置かれ、横には懐かしい囲炉裏が掘られている。

柱には大時計が架かり、梁からはランプが下がり、廊下の片隅には昔ながらの電話機も置かれている。

 

館内に入ると廊下は板張りで、それを軋ませながら進んだ先に、立ち寄り湯も出来る「法師の湯」がある。

廊下は、開け放たれた窓から差し込む光と、所々に灯された電球の淡いひかりが何とも優しくて暖かい。

どれもこれも歴史を感じるものばかりで、懐かしくさえある。

 

建物, 屋外, 人, ストリート が含まれている画像

自動的に生成された説明

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

法師温泉・長寿館

 

この温泉を有名にしたのは、旧国鉄のフルムーンキャンペーンの衝撃的なポスターである。

俳優の上原謙と高峰三枝子が、混浴の湯船につかっている絵柄のポスターが発表されたのは、1982年の事だ。

そのポスターは今でも館内に張られているが、当時はこれに触発され、訪れた客も多かったと聞いた。

 

浴槽は、総ヒノキで作られた大きなもので、田の字型に四つに区分けされているが、それらは微妙に温度が違う。

各々の浴槽の中央には、木枕と呼ばれる使い込まれた杉丸太が渡されている。

そんな浴槽の周りには、今は使われなくなった脱衣箱が、当時のそのままの形で残されている。

 

混浴の湯船はやや深めで、その底に敷き詰められた玉石の間から、ポコポコと源泉(43℃)が今も湧き出ている。

木枕に頭を預け、目を閉じて、体の力を抜いて思い切り四肢を伸ばし、ややぬるめの湯にドップリとつかる。

国登録有形文化財の湯殿に浸かる至福の時が、ここにはゆっくりと流れている。

 



 

| ホーム | 国内の旅行 | このページの先頭 |

 

(c)2010 Sudare-M, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system