伊香保温泉
「伊香保温泉」は標高700m、榛名山の中腹に広がる温泉である。
最寄りのJR渋川駅からは頻繁に温泉行のバスが出ていて、所要時間も20分ほどと近い。
東京方面からはJRの便や、道路の便も良く、直通する高速バス等も有り、関東の奥座敷として人気である。
温泉に向かう県道からも、山の傾斜地に犇めきあうホテルや旅館などの建物群を遠望することが出来る。
温泉の歴史は古く、万葉集にもその名が登場していると言う。
戦国時代には、戦争などで傷付いた兵士の療養所に充てられていたらしい。
その時代には、湯元より温泉を引き、石段を造って中央に湯桶を伏せ、現在の温泉街の原型が形成されている。
それは織田信長が活躍していた時代だと言うから驚かされる。
泉質は硫酸塩泉、メタ珪酸単純泉等で、含まれる鉄分により独特の茶褐色になる「黄金の湯」が知られていた。
最近では、新たに源泉が見つかった無色透明な「白銀の湯」の、二種類が楽しめる事を売りにしている。
温泉を利用した都市計画
伊香保温泉の石段は、400年以上も前に現在の原型になる整備が行われている。
石段の左右の地を整然と区画し、そこに屋敷を立て、各戸に引湯し浴場を作った。
やがてそこは温泉宿として宿泊・入浴が出来る施設になり、早くも現在の温泉街が形成されたわけである。
石段の整備から始まった屋敷の区画は、わが国では温泉を利用した都市計画の第一号と言われるものだそうだ。
その温泉街を構成する石段は、最近その段が増やされて365段になった。
今ではすっかり伊香保を代表する名物・名所となり、伊香保と言えば「石段の有る温泉・・・」と言われるほどだ。
この増段は、「一年365日、温泉街が賑わいますように・・・」との願いを込めて決められた数だそうだ。
温泉入口のバス停前に立つと、山の中腹に向かう石段を目にすることが出来る。
ここから始まる石段は、初めこそ幅は広く、ゆったりとして傾斜も緩やかで、開放感あふれている。
しかしそれは、上るほどにその幅が狭まり、一段一段の高さも心なしか高くなり、その傾斜もきつくなる。
山の斜面に開けた温泉地らしく、少しずつ登っていることを実感させられる。
温泉名物・石段街
伊香保を訪れる人々が、必ずと言って良いほどに散策するのが温泉名物の石段街である。
「一年365日、温泉街が賑わいますように・・・」との願い通り、訪れたこの日も大勢の人々で賑わっていた。
石段の両側には、旅館、遊技場、土産屋や食事処など、間口の狭い店舗が立ち並んでいる。
そんな店先を覗き、冷やかしながら大勢の観光客が、「しんどい、しんどい」と口にしながら上り下りしている。
石段ではあちこちでは客を呼ぶ声もかかり、疲れても一休みの場所には事欠かない。
石段の途中には、「なつかし横丁」と言う、裸電球の灯る店が有る。
まるで昭和の縁日にタイムスリップしたような場所で、大勢の大人が童心に帰り、射的や輪投げ等を楽しんでいる。
元祖温泉まんじゅうの店先や、こんにゃくを売る店先の縁台にも、嬉しそうに頬張る観光客の姿がある。
日帰り入浴や足湯で、疲れた身体や足を癒す人も多い。
温泉街を貫く石段の所々には、左右に細い路地が伸びている。
昔ながらの小さな旅館、雰囲気のある洒落た店などが並び、独特な景観が温泉街の雰囲気をより一層高めている。
メインの石段を逃れ、石畳の敷かれた狭い通りに入り込む観光客も少なくはない。
路地には浴衣姿がお似合いで、そんな姿でそぞろ歩きを楽しむ人が多いのも、いかにも人気の温泉地らしい。
石段には下からの段数が書かれたところや、与謝野晶子の「伊香保の街」と言う詩が刻まれた場所がある。
そんな石段を探しながら365段を登り切ると、そこには、パワースポットとして知られる伊香保神社が鎮座している。
そこはまるで、石段街を守り、温泉街の繁栄を優しく静かに見守っているようだ。
近くには伊香保温泉の源泉も有る。
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