お接待
第7番札所・十楽寺を打ち終えて、8番札所に向かう途中で一台の車がハザードランプを点け路肩に寄り停止した。
車の窓が開き、こちらに何か話しかけているが、すぐ横を走り抜ける車の音にかき消されよく聞き取れない。
近づくと窓から顔を出した少年が、「納め札下さい!」と話しかけてきた。
最初は何の事か解らず、一瞬ポカーンとしたが、すぐに気づき「これですか?」と一枚の白い札を差し出した。
「ありがとうございます」白い納め札を手にした少年の顔が笑顔に綻んだ。
運転する父親、同乗する助手席の母親も丁寧な会釈を返し、車を発進させていった。
遍路道では、無償で飲食物などの提供を受ける「お接待」と言われる施しを受けることがある。
8番札所・熊谷寺へ向う途中で、「四国霊場巡拝のお遍路さんにお接待します お立ち寄り下さい」と書かれた看板を見つけた。
一旦はその前を通り過ぎたが、これが「お接待」かと思い、初めての遭遇に恐る恐る戸を開け訪ねてみた。
室内に入ると人懐こい老婦人が笑顔で迎い入れてくれ、椅子を勧めながら早々とお茶を煎れてくれる。
熱いお茶を啜り、お菓子を勧められるまま頬張り、これから8番に向かい今日は10番まで廻ることなど、しばし話に花が咲く。
今晩の宿を告げると、それはうちの子が営む宿だと言う。不思議な巡り合わせ、これも何かの縁なのか?
このように、全くの見返を求めない行為が「お四国のお接待」の特徴であり、魅力の一つだと言われている。
遍路の道中のこう言った機会は結構有るらしく、中には歩き遍路に対して宿泊場所を提供したり、お金を渡したりするお接待も有るとか聞いた。このようなお接待は「断ってはならない」とされ、お礼に納め札を差し出すのが良いとされる。
納め札は遍路の回数により色が変わるらしい。
1回〜4回は白、5〜7回までが緑、以後、8〜24回までは赤、25〜49回までは銀、50〜99回までは金となる。
さらに百回を越えると錦の札となる。
夫婦遍路、無念のリタイア
「実は・・・妻が足を痛めてしまって、重い荷物が堪えたようで、これ以上歩けそうに無いので・・」と夫が話す。
その傍らで妻が顔をしかめながら痛そうに足を擦っている。
遍路に備え、毎日夫婦で近所を歩いてトレーニングを十分に重ね、歩くことに自信も付いたので遍路に出たらしい。
聞けば23番までの予定と言うから、十日から二週間程の日程らしく、大層な荷物だ。
「大変な荷物ですね」「これでも少し送り返し、減らしたンです」夫婦の背負うザックは、はち切れそうな位になっている。
更にしっかりと膨らんだ手提げ袋もあり、金剛杖を持てば両手は塞がり、これで歩くのが大変だろう事は想像に難くない。
熊谷寺の周辺で予定していた昼食を食いそびれ、途中食べ物屋を見付けられないまま、9番・法輪寺までやってきた。
すると山門の前に、時代劇のセットのような素朴な茶店がポッンと一軒建っていた。
早速店に入り、食いそびれてしまった昼食に名物たらいうどんを注文する。
店内で関東方面から来たと言う夫婦連れの遍路と知り合った。
うどんを食べ終わった頃、夫が無念そうに「一晩泊って、明日帰ろうか・・・」と、口惜しそうに心情を吐露する。
今晩の宿が決まっていない夫婦に、我々の泊る宿を紹介する。あの接待をしてくれた老婦人の息子さんが経営する宿だ。
素泊まりの宿で、食事と入浴は近くの「天然温泉 御所の里」まで車で送迎してくれる。
考えてみればいかに事前にトレーニングを積んだとはいえ、実際の遍路道は全てが平坦で歩きやすい道ばかりとは限らない。
その上重い荷物を背負って歩けば、当然足腰にかかる負担は計り知れない。
空身で平坦なアスファルト道を歩くトレーニングとは自ずと訳が違い、そんなところに誤算があったのかもしれない。
「荷物を纏めていたら気持ちの整理が付いた。もう一度来たい」
明日には帰る決意が付いたようで、サバサバと言う夫は、宿で食事のあと時刻表を開き調べ物をしていた。
早々のリタイアは、無念極まりなく、その思いは想像に余りある。
四国八十八カ所を「打つ」
四国八十八カ所を1番札所から88番までを、一気に廻ることを「通し打ち」といい、徳島、高知、愛媛、香川を辿る道は、総延長1,400qを越え、凡そ40日間程度を要するらしいから、一日平均35qを歩く計算だ。
ただ実際に歩くとなると、道中には山の上り下りや、悪路・難路もあり、一日に歩ける距離も大きく変動する。
しかも長期間に渡って歩く事から体力的な差が如実に影響し、理想的には間で何日かの休養日(全日或は半日程度)を設けるなどすると良いらしく、そのことから一般的にはその人の年齢の数と同じ日数を予定するのが無難とされている。
一方、何回かに分けて廻ることを「区切り打ち」と言うが、これには明確な定義はなく、四国四県を一県ずつに分けて廻るとか、1週間或は10日間などと日数を限って廻るとか、色々な廻り方がある。
どこで区切るかは、発着点へのアクセスの問題(鉄道やバスの便の有無)、居住地から発着点までの行き帰りに必要な時間や、その交通費などの負担なども考慮すると、余り細かく区切るのも考えもので、これら様々な要因を考慮して検討する必要がある。
1番札所から、2番、3番・・・と順に辿ることを「順打ち」と言う。
その逆の88番からスタートをして87番、86番・・・と辿るのを「逆打ち」というが、これは、お大師様は今でも四国を順打ちで回られているとの言い伝えが有り、逆に回ればどこかで出会うことが叶うとの考え方によるものらしい。
因みにこの「打つ」との言い方は、昔は参拝の証である納め札等を、絵馬堂などに打ち付けていた名残らしい。
一日の歩行距離30q前後まで、一回の行程は4泊程度を基本と決めた「区切り打ち歩き遍路」の第2回目は、午後四時過ぎ降り立ったJ R徳島線鴨島駅から始まりで、ここから第11番札所・藤井寺までは3qほどである。
岡山を昼過ぎに発つ特急・南風に乗り、途中阿波池田で徳島線の徳島行きに乗換えてここまでやって来た。
納経所の閉まる5時までには微妙な時間では有るが、少し急げば歩いても何とか行けそうだ。
実は藤井寺前の宿を予約するとき「納経所は5時で閉まるから、乗ったほうが良い」と女将が勧めてくれていた。
そんなタクシーが数台、整然と並んで客待ちをしている鴨島駅前は、思ったより賑わっていた。
1番札所の時とは随分と駅前の雰囲気が違い、人通りこそ少ないものの、立派な商店街が駅前から真直ぐに山の方に伸びている。
しかし地方都市にありがちなシャツターの閉まった店も結構目に付く。
フジの花咲く藤井寺
歩き始める前、駅前で道を尋ねると「あの山に突き当たるまで真直ぐ。そこを右に回り少し登ったら寺が有る」と言う。
しかしあれから随分と歩いている筈なのになかなか山裾に行き着かない。
途中、信号待ちをしていると自転車で通りかかったおじさんが「後30分くらいかな」と聞きもしないのに親切に教えてくれた。
時計はすでに4時半を廻っている。
「えっ、まだ半分も来ていないのか?」少し急がねば。
商店がまばらになりやがて途絶えると民家が増え、その民家の間に畑が目立つようになると、道はやっと突き当たる。
教えられたとおり右折し、団地の横を通り抜けると道は緩やかな上りとなり、山懐に入り込む。
暮れはじめた周りに、山の冷気を感じながら進むとその先に第11番札所・藤井寺の山門がやっと見えてきた。
年代を感じる仁王門をくぐると右手に藤棚が有り、寺名に由来するふじの花が満開で迎えてくれ、疲れを癒してくれる。
悪疫退散の祈願のあとに、大師がお手植えしたと伝わる古木である。
石段を上がると鬱蒼とした山を背景に本堂が建ち、右手に大師堂がある。
どうやら間に合ったようで、境内にはまだ多くの人々が思い思いに休み、本堂やお大師堂の前では遍路の読経の声が響いていた。
御宿 ふじや
お参りを済ませ早々と山門のすぐ前の宿「御宿 ふじや」に入った。
部屋に入り寛いでいると、夕食が5時半過ぎから始まるからと、追い立てられるように風呂を勧められる。
風呂を上がれば、休む間もなく夕食の準備が出来ていると女将が呼びに来る。
時計を見るとまだ6時には間が有るのに、遍路の夕暮れはバタバタと足早に過ぎて行く。
こんなに早く夕食を・・・と思いながら広間に行けば先客は既に食事中だ。
明日の第12番札所・焼山寺に向かう道は、有名な“へんろころがし”と言われる難路で、食事中はその話題で持ちっきりだ。
多くの人が早立ちを考えているらしく、その為にこの遍路宿では夕食を早く済ませるのだそうだ。
食事が終わり、部屋に戻るともう何もする事が無い。時刻はまだ7時を廻ったばかりだが、ここはもう寝るしかない。
| ホーム | 遍路歩き旅 | このページの先頭 |
(c)2010
Sudare-M, All Rights Reserved.
|