阿波踊り会館

 

 第18番札所・恩山寺までは、約19q、4時間以上を要する長丁場である。

昨日まで下ってきた鮎喰川を渡り、蔵元で再び国道192号に出て徳島市街地に入り、眉山の裾を巻くように行く。

徳島の市街地に入ると、定まった遍路道が無いせいか、どこを行っても歩き遍路に出会う事が無い。

 

阿波踊り会館

阿波踊り会館

阿波踊り会館

 

阿波踊り会館

阿波踊り会館

阿波踊り会館

 

阿波踊り会館

阿波踊り会館

阿波踊り会館

 

阿波踊り会館

阿波踊り会館

阿波踊り会館

 

途中市内のお寿司屋さんを見付け休憩がてら昼食をとり、折角なので阿波踊り会館にも立ち寄って見る。

眉山に登るロープウェイの麓駅を兼ねた施設で、1階は県の観光や名産品を紹介販売する店などがある。

2階には阿波踊ホールがあり、いつでも阿波踊りが楽しめる有料施設と成っている。

 

 

大師孝養の寺・恩山寺

 

徳島の市街地を抜け、国道55号線を南下して、南小松島を過ぎたあたりで右に折れ、山側に向う。

やがて義経ドリームロード」の看板があり、山裾に「源義経上陸之地」と書かれた立派な石碑が立っている。

その昔屋島を攻める義経一行は、暴風雨をついて摂津の国渡辺の浦より船を出し、ここに上陸したらしい。

その頃は、ここまで海が入り込んでいたようだ。

 

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

 

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

 

この先に大きなわらじの掛かった古い山門がある。

今はすぐ脇に舗装道路が出来ているが、昔はここを潜って山道を行ったのであろう、その先に古道が残っている。

ここから約500m上がった山の中腹に第18番札所・恩山寺が有る。

寺は小松島市郊外の緑豊かの自然に囲まれたところに在り、近隣では桜の名所としても知られているそうだ。

 

大師孝養の寺・恩山寺

第18番札所・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

 

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

 

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

 

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

大師孝養の寺・恩山寺

 

境内には、修行中の弘法大師の大きな像が見下ろしていて、そこから40段ほどの石段を上がると本堂が有る。

かつては女人禁制の寺であったが、大師は女人解禁の祈願をし、見事成就し母君をこの地に迎えた。

開禁の秘修は、山門近くの滝に7日間打たれる行をしたとの言い伝えが残されている。

「母養山宝樹院恩山寺」という山号も、それに因んだものだという。

 

 

四国の総関所・立江寺

 

 次の札所19番立江寺までの間は、およそ4q、1時間ほどの行程である。

JRの立江駅で「立江寺へはあの道でいいですか」とたまたま居合わせた男性に聞いてみる。

男は飲みかけの缶コーヒーをベンチに置き、駅舎を出て広くも無い駅前広場を横切り、その先を指差しながら言う。

「ほらあそこ屋根が見えるだろ。あれが寺」「この道を突き当って右に曲がったら直ぐだ」と親切に教えてくれた。

 

住宅地の間の細い道を直進すると、やがて少し広い通りに突き当たり、教えられた通り右に曲がる。

少し行くとその先に仁王門が見えてくる。

それを背景に記念写真を撮る人達が、狭い車道にもはみ出しているのが見える。

そんな人達に混じり、我々も混みあう門前で写真を撮る。

「すみません、シャッター押してくれませんか」「自分の写真がまだ一枚も無いので・・・」

と、真っ黒に日焼けした青年がカメラを差し出してきた。

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

写真を撮り合った後、参拝を終えた人々と行違いに仁王門を潜る。そのとき数人のグループとすれ違った。

「アレッ!」と思い後ろを振り返ると、グループも足を止めこちらを見ている。

「確か・・・焼山寺で・・・」

前回春の折に、「へんろころがし」や焼山寺で出会ったグループだ。

 

やっとの思いで焼山寺に着いた時、「これから奥の院へ行く」と言って元気に石段を降りてくるところで再開した。

男女数人のグループで、その内の何人かは、何回も歩き遍路を経験しているらしい。

そのグループとこんなところで偶然にも再会した。聞けば、「今日から続きを廻り始めた」と言う。

一期一会とは言うが、こんな不思議な偶然のめぐり合わせも有るものかと思わずにはいられなかった。

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

 高野山真言宗の別格本山と言う立江寺は、四国八十八カ所の根本道場で「四国の総関所」と呼ばれている。

嘗ては今の地よりも西寄りに広大に寺領を占め、七堂伽藍を構えていたという。

天正の兵火で壊滅的な被害を受け、その後蜂巣公の篤い帰依を受け現在の地に再興された。

 

 

優しい町

 

納経を終え、門を出て右に取ると、角にお菓子屋さんが有った。

「一つでも良い」と店主が言うので一つずつ求め、齧りながら20番札所を目指す。

食事は済ませてはいるが、小腹の空く時刻である。これまで何も腹には入れていなかっただけにありがたい。

そんな道道では、少し盛りを過ぎた彼岸花が、赤い帯となってアクセントを添えている。

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

 四国はどこに行っても遍路に優しい町である。

先ほども、「真直ぐ行くと角にコンビニが有る。そこを左に曲がれ」と聞きもしないのに声をかけ、教えてくれる。

訪ねて問いかければ、誰もが手を休め、懇切で丁寧に教えてくれる。

こうした町の人々の何気ない心遣いや思いやりは、もはや素晴らしい文化となって根付いている。

案内標識が整備されている事もあるが、遍路が知らない町を安心して歩く事が出来るのは、これがあってこそだ。

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

9月とは言え気温は26度、日差しは結構キツく、アスファルト道の照り返しも多少有り、汗が出る。

加えて、時折吹き付ける北よりの風に行く手を阻まれる。強風は、遥か南の海上を台風が通過している影響らしい。

それにしてもあれから随分歩いているのになかなかコンビニが見えてこない。

 

県道22号を2キロ半ほど歩くと勝浦川と並行する16号に突き当たる。

その角に件のコンビニがようやく現われた。

結局立江寺を出てから約6.5キロも来て、ここから暫くは勝浦川に沿って歩く事になる。

 

 

「旅館金子や」

 

「間に合いますかねぇ〜」

突然の声に振り返ると、立江寺の門前で写真を撮り合ったあの青年が、息を切らせてそこに居た。

ここまで走ってきたらしく、20番札所・鶴林寺に間に合うかと聞いているのだが時計を見ると1545分を過ぎている。

ここからだとまだ6qは有るし、鶴林寺への道は、焼山寺道と並び称される厳しい登り道の難所として知られている。

納経所は5時には閉まるので、とても1時間余りで登る事は無理だ。

 

今晩の宿を決めていないので、泊るところが有るらしい鶴林寺までどうしても行きたいと言う。

「我々はこの先の金子やで泊る。そこで泊まったら」と勧めてみるが、「とにかく行ってみます」と元気が良い。

会話中も小走りの青年は、「無理だよ・・」という声を振り切って再び走り出した。

「気をつけて〜」と背中に声をかけると、青年はザックを大きく揺らしながら、軽く手を挙げてそのまま走り去った。

 

札所19番立江寺

札所19番立江寺

札所19番立江寺

 

旅館金子や

旅館金子や

旅館金子や

 

県道を離れ、旧道を20分ほど歩くと生名の集落だ。

そこに今晩の宿「旅館 金子や」が有る。昔からの遍路宿らしい。

立江寺からは11キロ弱、2時間半で陽の有るうちに到着することが出来た。

 

食事までの時間を利用して、汗に濡れた白衣やシャツを洗濯し、ハンガーに吊るし長押に掛けた。

幸いと言うか、遥か南の海上を行く台風の影響で、この地にも強風が吹いていた。

部屋の窓と言う窓全部を開け放つと、ハンガーが真横になるほどのすごい勢いで風が吹き抜けていく。

これなら充分に乾くだろうと、日が暮れるまで窓を全開にしておいた。

 

旅館金子や

旅館金子や

旅館金子や

 

屋内, テーブル, 皿, 食品 が含まれている画像

自動的に生成された説明

旅館金子や

旅館金子や

 

ゆっくり時間をかけて風呂に浸かったあと、6時から夕食が始まった。

余り広くは無い食堂だが、20名分ほどの食事が準備されていて、どうやら今日は満室らしい。

既に多くの人が食事を摂っていたが、そこに件の青年の姿は無かった。

 

青年はあの後、山を駆け上がったのだろうか?

この近くには他に宿もないので、やはり駆け上がったようだ。

山の日暮れは早いので、暗闇の中の山登りを強いられているのでは・・、などと心配をしながらも、無事を祈る。

そんな青年を話題にしつつも、一日中歩き疲れたあとのビールは本当に美味しくて、グラスを何杯も重ねてしまう。

 

 


 

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