立見峠から鬼籠野
しだれ桜で、町おこしでもしているのであろうか、国道438号沿いのいたるところにしだれ桜が植えられている。
そんな風景を見遣りながら歩くと、温泉から3.3キロで鬼籠野(おろの)地区に入り込む。
ここで国道438号を離れ、県道21号に入ると道は緩やかに登り始め、立見峠への上りとなる。
峠を降り2qほど進むと道は工事中で、迂回路の表示が有るが、地図で見る目限り指す方向は目的地とは逆方向だ。
どっちを行くべきか迷いながら、たまたま近くにいたご婦人に聞いてみる。
「どっちに行っても大丈夫だが、右に行ったほうが2qほど短いはず」と言う。
ところがこの道が以外にも曲者で、この先で民家が途絶えると、道は次第に山に入り込みゆっくりと登り始める。
大日寺を示す道標もすつかり見なくなり、遍路と行き交う事も全く無くなってしまった。
やがて道は「大桜トンネル」で峠を迎え、トンネルの先で道は下りへと転じている。
ここまでは、先の迂回路の分岐から4キロの道のりだが、歩けど、歩けど、人家は出てこない。
さすがに不安になり、休憩を兼ね橋の欄干に腰を下ろしていると通りがかりの黒い車が停まり声を掛けてくれた。
地図を見せ「自分の居場所が解らない」と訴えると、「この地図には出てないね」と絶望的な答えが返ってきた。
「これは207号だから間違ってはいない。このまま進めば、一の宮の小学校に出る。その手前を左に曲がれ」と言う。
しかしここからが更に遠かった。
時折車が猛スピードで走り抜ける以外、遍路はおろか、全くと言って良いほど人と出会わない。
当然人家も無く、随分と歩いている筈なのに鬼籠野(おろの)の地から抜け出せない。
しあわせ観音・大日寺
やがて道が緩やかになると、一の宮町の道路標識が現れるようになる。
峠のトンネルから約5キロあたりでようやく人家も増え、畑仕事の人と出会うようになる。
訪ねれば目印の学校も直ぐ先で、寺まではもう残りは1キロほどだと言う。
やがて狭いが交通量の多い道路に出ると、眼前に大きな一の宮神社の森が広がり、その前が第13番札所・大日寺だ。
10段にも満たない石段を上がり山門を潜ると境内で、正面に合掌する手の中に「幸せ観音」が祀られている。
それを挟んで左手に本堂が、右手に大師堂が向き合うように建っている。
この日は焼山寺を後に、山を下り神山温泉に浸かったまでは良かったが、途中の迂回路から道がおかしくなった。
本来は龍王山の北を鮎喰川に沿って進むので、工事箇所で素直に左に取っていけば良かった。
しかしここで右に取ったことで、龍王山の南を巻き込んで抜ける県道207号に入り込んでしまったのだ。
これでも間違いではなかったが、本来なら21qほどの工程を、6キロ余りもオーバーしてしまった。
温泉後の歩きと言うことも有り、お陰で足の裏には沢山の肉刺をつくってしまい、歩くのに難儀してここまで来た。
幸い今宵の宿は、お寺と隣り合わせに建ち、昔からの遍路宿だと言う旅館「かどや」を予約している。
流水岩の庭・常楽寺
大日寺前の遍路宿を7時過ぎに発っと、次の第14番札所・常楽寺迄は、2.5q、およそ40分の行程である。
鮎食川を一宮橋で渡り、北に進路を変えて長閑な田園の道を進む。
やがて門前に出て、岩肌がごつごつとむき出た石段を、50段ほど登ると不思議な境内が広がっている。
大きな自然の大岩盤の断層が、むき出しになって広がる「流水岩の庭」と名づけられた庭だ。
その向こう側に四国霊場の中では唯一と言う御本尊、弥勒菩薩が祀られた本堂が見える。
大きな団体が付いたところらしく、お大師堂の前には読経が流れていた。
14番から次の第15番札所国分寺迄は、800mほどでほんの目と鼻の先だ。
石段を下りたところで大きな荷物を引いている逆うちの遍路と行違ったが、聞けば野宿の通し打ちだと言う。
阿波の国分寺・国分寺
第15番札所・国分寺は、阿波の国の国分寺として行基により開創された。
兵火により焼失するまでは、二キロ四方と言う広大な寺域に金堂や七重の塔などの伽藍を構えていたと言う。
境内からは塔の礎石なども発掘されているらしいが、今は古の面影を窺い知ることは出来ない。
多くの札所が真言宗であるのに、この寺は珍しく曹洞宗のお寺である。
四国霊場開創時は真言宗の寺に改められたが、その後兵火により灰燼に帰し、伽藍再建後に再び禅宗の寺となった。
本堂の横には国の名勝に指定された、枯池式・築山式枯山水の石組み庭園が有り、有料で公開されている。
天皇の勅願道場・観音寺
更に1.7キロほど行くと、第16番札所・観音寺が有る。
ここら辺りは平坦な道沿いの、さ程遠くもないところに札所が固まっているから有難い。
国府町の商店や民家が建ち並ぶ賑やかな通りに面し、和洋重層の堂々たる楼門が遍路を向かい入れてくれる。
聖武天皇が行基菩薩に命じて、勅願道場として創建されたお寺である。
門をくぐると境内は狭く、突き当りの正面に本堂が、その右手に大師堂が、左に庫裏と納経所が建っている。
香川県にある69番札所・観音寺と同名の寺である。
大師面影の井戸・井戸寺
ここから第17番札所・井戸寺までは3キロほどだ。
その途中JR徳島線の府中駅近くで、国道192号と踏切を越えて北に向けて進む。
そんな道中の民家の庭先に、白猫が10匹余りたむろしている面白い光景に出会い思わずカメラを向ける。
第17番札所・井戸寺には、中華風の装飾をあしらった朱塗りの長屋門造り仁王門が建っていた。
阿波国第10代藩主・蜂須賀重喜公が、大谷の別邸の門を移築寄進したものだ。
どう言う謂れがあるのか知らないが、正面右側に草鞋がたくさん吊り下げられていた。
広場の先の本堂は、火災で焼失し、近年再建されたコンクリート造りらしい。その向こうに大師堂が建っている。
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