由岐坂峠越え
国道55号線の鉦打(かねうち)トンネルを抜けると、福井のダム湖が右手に見えてくる。
その先の道路脇にあるヘンロ小屋では、例の東京から来たと言う夫婦が食事中だった。
ここで暫く一緒に休憩させて頂き、弥谷観音に立ち寄るという夫婦と別れ、再び国道を歩き出す。
阿南小野で国道55号と別れ、左の県道25号に入り田井ノ浜を目指す。
道はやや上り坂で、この先の由岐坂峠を目指している。
ここら辺りまで来ると由岐・田井ノ浜近辺の旅館や民宿の、大きなイセエビの踊る看板が目に付くようになる。
「晩飯にイセエビが出るかも・・・?」などと、期待も俄に膨らんでくる。
由岐坂峠のサミットを越え、トンネルを抜けると、田井ノ浜までは3キロ余り、いよいよ海が近くなる。
道路脇には、「アカテガニの横断に注意」の道路標識が目に付く。
アカテガニは、この地の山林に住むカニで、夏の月夜に産卵のため海や河口に移動するそうだ。
走行中の車から気が付くのかとも思うが、スピードを落とし、カニの横断に注意をせよと言う事であろう。
田井ノ浜
由岐町に入り、県道の急坂を下ると左手にJRの由岐駅が見えたので、休憩がてら立ち寄って見る。
駅に併設された由岐町の特産品の展示即売コーナーを覗いて、再び県道に戻る途中で東京からの夫婦に会う。
この先に宿を取っていると言うので、「イセエビ出ますよ」等と言って、ここで別れを惜しむ。
駅を過ぎ遍路道に戻り、最後の坂を越えると田井ノ浜の海岸が目に飛び込んで来た。
その手前、森の中にB&G海洋センターと赤い屋根の建物が見えている。赤い屋根の建物が今晩の宿だ。
その時、道端に佇んでいた老婦人が寄ってきて、「お接待です」と手に持ったものを差し出してきた。
何だろうと見ると、それは布の端切れで作った巾着だ。「好きなのをどうぞ」と勧めてくれる。
気に入った柄を手に取ると、ポケットから飴玉を二粒取り出し、巾着にいれ渡してくれた。
小物入れとして使わせて頂くと、お礼を言って宿に向う。
「いろんな接待が有るなあ」「今日は色々貰ったなあ」、などと話をしているうちにも宿に着いた。
チョット奮発、明山荘
坂を下れば予約した今晩の宿「明山荘」は、直ぐそこだ。
場所柄、観光客や海水浴客を相手にした宿のようで、料金的にはごく普通の旅館並みと言った所だ。
所謂遍路宿は、大体が一泊二食付いて数千円と言うのが相場で、中には素泊まりの宿もある。
また、ルートに近い観光旅館などは、遍路と申告すると特別料金を設定しているところも少なくはない。
こう言った宿では、通常料金に比べると二三千円ほど安く泊まらせてくれるが、これもお接待の一形態である。
明日薬王寺を終えれば、取り敢えずの区切り「発心の道場・阿波23ケ寺」は終わる。
今日はその前祝いと言う訳で、夕食時に特別料理の刺身の盛合わせをお願いしていた。
6時からの夕食には、大桶が用意されていたが、残念ながらイセエビは無く、あわびの刺身が盛られている。
取敢えずキリンビールを注文し、ここまで無事来られたことに乾杯する。
途中から、北九州からと言う一人歩きの男性とも合流、話が弾み遅くまで飲みながら話し込んでしまった。
終わって見ると何時もの倍の数の空瓶がテーブルに並んでいた。
山座峠越え
夜中に雨が降っていたらしいが朝には何とか上がっていた。
寝起きに部屋のカーテンを開けると、目の前の木々はしっとり濡れ、道路には水溜りが出来ていた。
予定より少し早めに宿を発つ。
ここから薬王寺までは、県道25号を15キロほど歩く事になる。
遍路道は、シーズンだけオープンするJRの田井ノ浜臨時駅を見て、海を見ながら南下することになる。
木岐の平入りの低い町並みを抜け、木岐漁港を経て、その先のヘンロ小屋に到着し、ここで暫く休む。
案内板を見ると、薬王寺まで7.7キロと有る。
「アレッ?もうそんなに歩いたかな?」「そんなには歩いていないはずだが・・」
等と話す内に、不可解な疑問は直ぐに解けた。
海岸伝いにうねうねと曲がりくねって進む県道とは別に、遍路道の多くは山に分け入りショートカットしている。
その分距離が随分と短くなっているが、当然のことながらその分高低差のある道が多くなる。
これからその短絡ルート、鬱蒼とした森の中の道、山座峠越えに挑む。
峠道で雨が降ってきたが、大した降りではないので、幸い木立に遮られ濡れる心配は無い。
心配したほどの山道ではなく、峠を降りると雨も止んでいた。
やがて視界が開け恵比寿浜に出ると、薬王寺までは残り4キロほどだ。
左手には太平洋の大海原が近づいてきて、舗装された道を緩く上り下りをくり返しながら進むことになる。
緩やかに登る峠道を登り切ると、カーブの先に見事な景観が見えてきた。
荒波に浸食されて出来た大小の海食洞が、道路上からも見下ろせる景勝の地だ。
中でも恵比寿洞は標高が52mある岩山に、幅32m高さ31mもの半円状の貫通が出来ていて、県下最大級だという。
眼下には、白い波の打ち寄せる大浜海岸が広がっている。
目をその先に転じると、遥か小高い山の上に日和佐城を望むことが出来る。
その視界の右端には日和佐の町並が広がり、薬王寺の赤い瑜祇塔が見え、阿波最後の札所が漸く近づいてきた。
田井ノ浜で同宿の男性とは、ここまで後先になりながらやって来たが、先に寺に向かうと言うのでここでお別れだ。
途中恋人岬を見て、昔から海がめの産卵地として名高い大浜海岸に降りてみる。
海岸は延長が500m程有り、前面が開け岩礁などの障害物のない砂浜で、アカウミガメの産卵地として知られている。
毎年5月〜8月にかけて産卵のための上陸が見られるという。
薬王寺
大浜海岸を離れ、再び県道25号に戻り札所を目指す。
日和佐の町に入り、厄除け橋を渡る。欄干にはアカウミガメの大きな石像が飾られている。
橋を渡って右折すると、昔ながらの門前町然とした町並の残る通に入ってきた。
正面には薬王寺の伽藍や、赤い瑜祇塔(ゆぎとう)が間近にはっきりと見えている。
第23番札所・薬王寺は、「発心の道場・阿波23ケ寺」最後の寺である。
平等寺からは、約21qの長丁場で、途中小さな峠、数ケ所を越えながらやって来た。
門前通りを突き当たると、国道55号線が南北に通り、それを越えた道路脇に仁王門を構えている。
背後の山の斜面を巧に利用して、四段に伽藍が配置されている立派なお寺だ。
仁王門を入ると左手の三十三段女厄坂が始まる。更に四十二段の男厄坂を登ると、本堂がある。
本堂の左に大師堂があり、そこから続く62段の還暦厄坂を登ると寺のシンボル、赤い瑜祇塔(ゆぎとう)がある。
上方は四角、下方が円筒形の一重の塔で、天と地の和合を説くと言う高さ29mの楼閣だ。
高野山真言宗の別格本山である寺は、流石に観光地・日和佐にあるだけに参拝者も多く門前は賑わっていた。
ここから遍路道は、山門を出て右に折れ、ほぼ国道55号線を辿りながら室戸岬を目指す。
その先端に建つ最御崎寺まで、およそ84q、時間にして20時間に余る過酷な道程が待っている。
| ホーム | 遍路歩き旅 | このページの先頭 |
(c)2010
Sudare-M, All Rights Reserved.
|