爽やか女子大生

 

水床トンネルで県境を抜けると、いよいよ高知県東洋町に入り「修行の道場・土佐十六ケ寺」が始まる。

23番からその最初の札所、最御崎寺までは凡そ84q有り、平均的な行程は20時間とされている。

それは室戸岬に向かう長い、長い、海岸線を辿り、唯淡々と歩くだけの修行の遍路道である。

健脚なら途中一泊で踏破する事が出来るかも知れないが、一般的には道中で二泊する遍路が多いようだ。

 

爽やか女子大生

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爽やか女子大生

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爽やか女子大生

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爽やか女子大生

 

 旧道は甲浦の町並の中を、何度も折れ曲がりながら抜けていくが、ここでも迷わず新道の甲浦大橋を渡る。

渡り終えると左が白浜海岸でその前に、道の駅・東洋町がある。

折しも県東部には強風注意報が発令されていて、強い風が時折吹き抜け、海には大きな白波が立っている。

甲浦坂、相間トンネルなど短いトンネルを抜け、相間の海岸堤防に腰を下ろし休憩をする。

 

そこで一人の女子大生遍路に出会う。

聞けば逆打ちというが、足取りはとても軽く、残りが阿波一国のみとは到底思えない元気さである。

華奢な身体はすっかり陽に焼けて、精悍でたくましくも見えるが、はじけるような笑顔が素敵で可愛いい人だ。

今日は内妻で泊る予定と言う彼女に、那佐のお接待所を紹介し、爽やかな元気を貰って別れる。

 

爽やか女子大生

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爽やか女子大生

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爽やか女子大生

爽やか女子大生

爽やか女子大生

 

野根の町並みを過ぎると国道55号は、より海に近づき、山も迫ってくる。

間近に急峻な山が押出し、切り開いた僅かな隙間にうねうねと延びる国道は、荒波を被りそうなぐらい海に近い。

国道が整備されていなかった頃、歩き遍路はこの波に怯えながら、砂浜道をひたすら歩いたと言う。

切り通しの小さな峠道に差し掛かると、海から物凄い風が吹きつけ、行く手を阻み、風の強いところでもある。

沿線には、コンビニどころか、商う店すらなく、民家も滅多に見ない本当に何も無いところだ。

 

 

淀ケ磯の海岸

 

淀ケ磯と呼ばれる海岸線にやって来た。

鯖大師を出て歩き始め、すでに9時間が過ぎ、これまでに35キロ余りを歩いている。

凄いところで、今でも国道脇には野猿が金網を越えてやってくると言う。

 

時計の針が1620分を指す頃、痛い足を引きずりながら、小さな集落、佐喜浜の入木にある「佛海庵」に着いた。

昔の遍路の難渋を救うために、巡礼の聖人・佛海によって築かれたのがこの庵だと言う。

ここで今晩の宿に連絡電話を入れると「まだ6〜7キロはありますから・・・がんばって」とのことだ。

 

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

 

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

 

海岸線の先に集落が見えた。

「あの先に見えるのが尾崎の集落ですか?」と、通りかかったジョギング中の男性に希望を持って訪ねてみた。

「いやあれは違う、あの先に見える岬を廻って、もう少し先に進んだところが尾崎だ。

集落の中の道が近いから、左の道を行くといい」と教えてくれる。

随分歩いたような気がしていたが、後で地図を見ると佛海庵からはまだ1キロほどしか歩いていない。

僅か1キロが、遠く、遠く感じられるようになって来た。

 

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

 

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

淀ケ磯の海岸

 

軒先で佇んでいたお婆ちゃんが、南を指さして「後2キロほどだ」と励ましてくれる。

ここら辺りでは泊まれる宿も限られているので、想像が付いている様子だ。

佐喜浜の港に臨む町中の道から、都呂の旧道を抜け、その先で再び国道55号に合流する少し前の出来事である。

 

国道に出て暫く歩いたので、ここまで来れば遠くに集落が見えてくる、との期待は虚しく飛んだ。

どこまで行っても右側は相変わらず青い海に迫る山肌で、その下には一本の南下する国道しか見えていない。

民家の姿は全くと言って良い程何も見えてはこない。

 

 

ロッジ・尾崎にて

 

海に帳が下り始める頃、はるか先に数軒の建物が見通せるようになった。

今度こそ間違いなく尾崎の集落で、今日の歩行距離42キロのゴールが近づいてきたようだ。

6時半過ぎ尾崎のバス停が見え、その近くにある今晩の宿、ロッジ・尾崎に漸くのこと、到着した。

先客の何人かは既にテーブルに付いて食事中だ。

 

まずは風呂に入る。

右足のマメは完全に潰れ、下の皮膚は赤く腫上がり、ところどころが裂けて血が滲んでいる。

湯の中は気持ちが良いが、この足を湯につけるとピリピリと痛い。

仕方なくそこだけを湯から出しているのだが、こんな姿勢では長湯も出来ず、早々に上がるより仕方ない。

 

淀ケ磯の海岸

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

 

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

 

その後食事に向うが、先客は既に食事を終え、各自がお茶を飲みながら話し込んでいる。

そんな話の輪に加わりながら食事を始めるが、話の中心はどうやらこの長い室戸路と足の肉刺のようだ。

聞けば誰もが一度や二度は、肉刺に悩まされてきたと言い、各々で工夫をこらしたアドバイスを色々くれる。

 

40年前に宿を始めたという、女将のお母さんも話の輪に加わった。

長いこと歩いてきた遍路さんが、「夕食でビールを飲みすぎたのか、そこのトイレで倒れてしまって・・・」

「体調を崩し、大騒ぎになったことがあった」と昔を振り返っている。

今日はことさら汗をかき、ビールも美味く、もう一本欲しかったところだが話を聞いて自重した。

 

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

 

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

 

女将は「まだ一人、歩き遍路が到着しない」と、気を揉んでいる。

外はすっかり暗くなっているので、「女性だから・・・」と、痛く心配の様子だ。

国道には街灯は無く、民家や商店も殆ど無いが、唯一の救いは一本道で、道を間違えることはまず無いことだ。

それにしても相棒が風呂から上がってこない。

 

心配していると相棒が、「意識が無くなって・・・」と言いながら、青い顔をして風呂から上がってきた。

「寒いから・・」と言い、部屋に戻り、布団に潜り込み少し寝るという。

心配した女将が何くれとなく世話を焼き、水を飲ませ、血圧を計り、部屋に夕食を運んでくれる。

暫く休むと顔色も戻り、多少の食欲も出て食べる事ができ、先ずは一安心だ。

 

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

 

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

ロッジ・尾崎

 

翌日の朝食時、昨夜到着が遅くなった一人歩きの女性と一緒になった。

「真っ暗な道で怖かったが、途中でジョギング中の婦人が励ましてくれて嬉しかった」と、昨夜の体験を語る。

足の裏の肉刺の話をすると「今日で終わるから使ってください」とテーピングテープをくれた。

部屋に戻りしっかりと巻き上げると、多少足に痛みはあるものの、何とか歩けそうだ。

 

しかし昨夜の相棒の事もあり、自身のこの足も有って、岬の近くまでバスを利用することにした。

バスは早くて快適だ。10キロほどの道のりを、僅か20分ほどで駆け抜けていく。

車窓から“青年大師像”が見えてきたところでバスを降りる。

 

 

青年大師修行の地

 

バス停から岬に向けて、5分ほど歩くと明星来影寺がある。

真言宗豊山派の新しいお寺ではあるが、それよりも「室戸青年大師」の寺としてより良く知られている。

青年大師は基壇を含めた高さ21メートルもある巨像で、昭和591984)年に建立された。

若き日の弘法大師は室戸岬で修行に励み、悟りを開いたと伝わる事から、その御心を伝えようとするものだ。

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

室戸岬

   室戸岬

   室戸岬

 

 参道入口には巨大な仁王像が建っていて、そこから階段が延び、上れば基壇の上に聳える大師がある。

鉄骨造りで表面は、塩害に強いニューセラミックでコーティングされた白亜の像だと言う。

緑の山を背景に屹立するお姿は、地上から浮き上がるかの様に、遠くからもよく目立つ。

これからの最御崎寺への行程や、足の具合を考えると、とても参道の階段を上る元気はない。

ここで、遙拝し先を急ぐことにする。

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

室戸岬

岩の崖

自動的に生成された説明

室戸岬

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

 室戸岬の突端に近づいた性か、海岸は特異な景観を見せている。

地層に水平に入り込んだマグマが、その後の地殻変動で垂直に突出したという「ビシャコ碆」は荒々しい。

「アコウ」と言う木は、大小三つの岩に気根を絡ませ、幹を延ばしている。

奇岩怪石、亜熱帯植物の茂る室戸はユネスコ世界ジオパークの指定を受け、まさに大地誕生を知る最前線である。

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

室戸岬

室戸岬

室戸岬

 

大師が修行したとされる御蔵洞(みくろど)に立ち寄ってみる。

この洞窟は二つから成り、当時19歳の弘法大師は、一つを住居とし、他を修行の場として使われたそうだ。

夜が明けて毎日目にするものは「空」と「海」、日が暮れると無限の闇、何も見えない無の世界での日常。

そんな日々を過ごすうちに悟りを得、自らを「空海」と名乗ったとされる場所である。

近くには大師が修行中に行水されたという、「行水の池」もある。

 



 

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