県境の松尾峠を越える
松尾峠に辿り着いた。
宿毛の町を出て5キロ余りの道程を、2時間余り掛けてようやく峠にやって来た。
「従是東土佐國」「従是西伊豫國宇和島藩支配地」
県境の峠には、貞享年間に建てられたと言う、二本の国境の碑が少し離れて建っている。
峠を越えると、ここからは愛媛県の最南端に位置する愛南町に入って行く。
この峠は香川県境の川之江市まで、県内465キロに及ぶ「四国のみち」愛媛県ルートの起点であり、これより「菩提の道場・伊予路」の始まりでもある。
峠を下る愛媛県側の道路は、良く整備されている。
高知側の荒廃とした厳しい登り道が何だったのか、広々とした開墾道で、勾配も緩く崖側には手摺も整備され、ハイキングコースの遊歩道のような道が延々と下っている。
30分ほどで山を下り小山農道に合流し、更にその先で県道299号に出て、道なりに旧一本松町を目指す。
今晩の宿までは、まだ1.5キロほど残している。
民宿・大盛屋
旧一本松町の中心部を通る旧国道に面した、民宿「大盛屋」に宿を取った。
ご主人には別に本業があるらしく、女将さんが一人で切り盛りする家庭的な小さな民宿で、遍路達の口コミでは評判の良い宿である。
翌日黒く重そうな雲が低く覆っている空は、何時雨が降り出してもおかしくない程に雲行きが怪しい。
しかし朝のテレビの天気予報は、「夕方までは降らない、明日少しまとまった雨に成るだろう」と告げていた。
宿から第40番に向かうルートは、二通りある。一つは、札掛・豊田を抜ける県道299号を行くルート。
もう一つは国道56号を行くルートで、距離的にはこちらの方が2キロほど短く成る。
出発時女将さんに「どっちがお勧め?」と聞いたら、「うん〜」と首をひねりながら、「どっちも・・・」と言うので、特段の理由も無く県道を行くルートを選択する。
旧赤坂街道
新しく出来た国道56号線を横切る。
国道ルートならここを左折するのだが、このまま直進で県道299号を進む。
角に四国ではこれまでに余り見ることも無かったコンビニ・ローソンの新しい店舗があった。
目指す第40番札所・観自在寺までは、残り11キロ余りの道程だ。
30分ほどで、札掛の集落に到着する。
この札掛けの地名は、40番の奥の院、観世音寺の前札所で、篠山権現の一の鳥居があり、権現様にお参り出来ない人びとが、ここで買った札を掛け、篠山神社への参拝に変えたことから起こったとされている。
県道を行く遍路道は小さな集落を結びながら、所々で旧赤坂街道と呼ばれる多少のアップダウンのある古い遍路道に分け入る。
この旧道は、地元のボランティアにより復活整備されたものらしく、歩きやすく道標も充実していて迷うことも無い。
上大道地区の大宮神社脇に、築間も無いトイレを併設した立派な休憩所が設けられていた。
飲料水が引かれ、綺麗に掃き清められ、花の活けられた施設は、地域の皆さんが日々管理されている賜物だ。
どこか懐かしい香りのする、小さな集落を抜けると僧都川に行き当たる。
宿からは7キロ余り、5月中旬には蛍が乱舞すると言うこの川の土手道を暫くは歩く。
土手道から見る街並みにビルや人家が増え、路上に賑わいが見える城辺町を抜ける。
その先で門前町らしい雰囲気を残す御荘町に入り、古い商店や旅館が目に付くように成る。
裏の関所・観自在寺
僧都川に架かる橋を渡り、北に向かうと細い参道が山門に向かって延びている。
第40番札所・観自在寺のある御荘の町は、愛媛県の最南端に位置し、西は豊後水道に面している。
鎌倉時代には延暦寺の荘園が置かれていたと言い、門前町の佇まいの残る、歴史ある町のようだ。
道路が突き当り、その前の15段ほどの石段を上がり山門を抜けると開放的な境内が広がっている。
正面に本堂、右手に大師堂、左手には宿坊を持つ書院が建っている。
庭も手入れが良く行き届き、堂々とした中にも落ち着いた雰囲気を醸し出している。
かつて寺は日本四か所の鎮守寺の一つとされ、七堂伽藍を構え、末寺四十八坊を持って栄えていたらしい。
しかし火災により全てを灰燼に帰し、その後銅板葺きの大屋根を持つ本堂等が再建されたと言う。
この寺は一番の霊山寺からは一番遠く離れた「裏の関所」と言われている。
遍路にとっては、ようやく折り返し点に来たかと感慨深く感じさせられる札所でもある。
境内の一角、植え込みの中にカエルの像と並んで、芭蕉の句碑が建っている。
「春の夜の とねり人ゆかし 堂のすみ」、苔むした背丈ほどの自然石で、愛媛県下では、最も古い句碑らしい。
室手海岸へ
次の札所、第41番・龍光寺までは48キロ余りあり、所要時間は13時間余りの長丁場で有る。
主に国道56号線を歩くことに成るが、その途中には難所として知られる柏坂越えの厳しい山道が控えている。
寺を出て再び門前町を抜け右折、僧都川の土手を歩くと、再び国道に合流する。
暫くは左手に御荘湾を見ながらオレンジロードを道なりに歩くことに成る。
御荘の港を過ぎた辺りで、御荘湾を離れ、八百坂に向かう。
周りは人家もまばらになり、左手に菊川の小さな流れが近づいてくると国道は登り道となる。
見た目は緩やかな坂のようだが、だらだら坂の上りは意外にきつく、峠まで1時間近くを要してしまった。
峠から一旦下った道は、右手に菊川小学校を見る辺りから再び登りとなり、上り切って、緩やかに左に曲がりながら降りて行くと、目の前が開け遠くに宇和の海が見えてくる。
曇り空ながら所々雲の切れ目からは、青空も顔を覗かせているので、海は明るく穏やかにキラキラと輝いて見える。
室手海岸と言うからてっきり海縁の道かと思ったが、この国道は海面からは遥かに高いところを通っている。
海岸に出るには道を外れ、左手にとって急坂を降りることに成る。
海では真珠の養殖や、ヒオウギ貝の養殖が盛んらしい。
沿道にはその看板を掲げた店が有り、店の脇には鮮やかな緋色をした貝殻も捨てられていた。
室手海岸を過ぎると道は次第に下りになり、旧内海町に入る頃には静かな入り江の向こう岸に集落が見え隠れする。
大きくカーブする道を下ると町中に入って行き、その先に今晩の宿「民宿 旭屋」が見えてきた。
地元では老舗の活魚料理店とし有名らしく、夕食の期待も自ずと高まって来る。
しかし安く泊まるお遍路パックでは、さほど期待は・・・などと思いながら、三時過ぎ早々と宿に到着した。
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