山間の難所・岩屋寺
直瀬川に架かる赤い橋が見えてきた。
背後に深い森が迫っていて、ここからは山寺への登り道が待っている。
橋を渡るとそこはすでに境内で、広い駐車場があり、バスや自動車でのお参りもここから先は歩くより術がない。
すでにこの先には山に向かう急な坂道が見えているが、看板には境内まで「700m、歩きで20分」とある。
茶店の並ぶ細い道が終わると、参道は鬱蒼と茂る木立の中に、坂道や石段が続く本格的な山登りの様相だ。
道端の手すりが山道上りの厳しさを暗示しているようにも見える。
「海岸山」の扁額の掛かる山門を潜り、さらに続くその数は260段を超える石段を上る。
聞きしに勝る厳しい上り道が続いている。
参道の途中には、お大師像、石仏群や、お百度参り場などが点在し、深山の霊場の雰囲気を醸し出している。
やがて最後の石段を上がると、頭上に覆いかぶさるような巨大な岩山が見えてくる。
その下に、まるで巨岩をくり抜いて、そこに包み込まれるように立つ小さな本堂が現れる。
凝灰岩でできた大岩には、金剛界峰、胎蔵界峰などの名前が付けられ、その数は50余りあると言う。
山全体が本尊と言われていて、その聳え立つ山容は異様で奇怪な感さえし、典型的な山岳道場を形作っている。
第45番札所は、海岸山岩屋寺という。
標高700mの地で、奇岩が天を突き刺す山中にあり、巨岩に埋め込まれるように堂宇が立っている。
古くからここでは、背後の洞窟などに籠もるして祈願修行が行われていたという。
典型的な山岳道場の寺号が「海岸山」と言うのが不思議である。
三坂峠を下る
「三坂越えすりゃ雪ふりかかり、戻りゃつま子が泣きかかる」
「むごいもんぞや久万山馬子はヨー 三坂夜出て夜もどるヨー」 (三坂馬子唄)
岩屋寺を下り、再び久万高原に戻り、更に国道33号線に出て三坂峠に向けて歩く。
この辺り周辺のの田んぼには水が張られ、すでに田植えも終わっている。
その田を渡る風はヒンヤリと冷たく、汗ばんだ体には心地良い。
国道は710mの三坂峠に向け上り坂の連続ではあるが、その傾きは車道とあって緩やかだ。
途中で入った国道440号のサミットで右に外れ旧道に分け入ると、ここから名うての三坂峠の下り道が始まる。
かつては久万街道と呼ばれ、松山と高知を結ぶ主要な街道として多くの旅人で賑わった道であった。
明治25年に国道33号線が開通するとその座を国道に譲り、今では松山方面への下り道(高知に向けては上り道)だけが、遍路が利用する旧道として残されている。
赤土の湿った道は歩きにくい。
木の根が剥き出しになった道もあれば、石ころだらけの荒れ地もあり、深くえぐれた道もある。
中には浮いた岩や、苔で滑りやすくなったところもある。
ところどころで切り石や丸石を丁寧に敷き詰めた石畳の道も残り、往時の街道の様子が窺える。
そんな地道をよくよく眺めてみると、心なしか轍の跡が残っているようにも見えるところがある。
往時は難所と謳われた峠道を、遍路や旅人に交じり、馬を連れた馬子や、荷を積んだ大八車も通ったのであろう。
愛媛と高知の間の最大の難所と言われる峠越えは、その往復には一昼夜を要したと言われている。
道は際限なく下っていく。
なにせ8.7キロほどの道のりの下りは、標高700mを超えるところから、100m以下の場所に位置する第46番札所・浄瑠璃寺まで一気に下っていくから、その下り道の厳しさは半端ではない。
旧遍路道は峠を越え、はや松山市へと入り込んでいる。
旧遍路宿・坂本屋
三坂峠から御坂川に沿って木立の中を、1時間ほど下ってきた。
ここらあたりまで来ると、時折前方の木立の切れ目から先程までは見られなかった青い空の広がりも見えてくる。
峠から2キロ半ほど下り、ようやく山道が途切れ、アスファルト道を桜の集落に下りてきた。
途中、少し古めかしいが立派な二階建ての建物があった。
表に「坂本屋」と書かれた風格のある木札が掛けられ、しめ縄も飾られている。
説明書きによると、明治から大正にかけて賑わった旧遍路宿だそうだ。
建物としても価値の有るもので、平成に入ってNPO法人などが中心になり修復したと言う。
その昔にはかの正岡子規もここを旅して泊まり、句を残している。
日曜日には自主運営の有志により、お接待も行われているらしいが、生憎とこの日は雨戸がきつく締められていた。
坂本屋から浄瑠璃寺までは、残り6.5キロ、典型的な山里の風景の中をまだまだ道は下って行く。
途中弘法大師伝説の残る網掛大師を経て、久谷集落の出口橋を渡る。
この辺りも出来て、ようやく道は平坦になり、細い旧道を寺に向かって進むことになる。
商店街らしきところに小さなお店が有ったので、アイスクリームを買い求め、休憩がてら店先で休ませて貰う。
目の前をどこからともなく現れた自転車の遍路が、「お先でーす」と言って軽やかに追い越して行った。
浄瑠璃寺
街道を進むと左手に丸石を乱積みした石垣の上から、鮮やかな緑の木々が生い茂る小さな森が見えてくる。
岩屋寺からは18q、5時間近くかけて第46番札所・浄瑠璃寺に到着した。
この寺の山号は医王山と言うが、これは四国四州の各一国に一ケ寺だけ置かれた山号らしい。
その森の切れ目に、門前の通りからいきなり境内へ続く20段余りの石段が伸びている。
それを上がると大きな木立の緑に包まれた落ち着いた雰囲気の境内が広がっていた。
正面には緑に囲まれるように本堂があり、右手に大師堂、左手に納経所や、佛足石などと言うものもある。
境内の中央には “伊吹ビャクシン”と言う巨木が聳え立っている。
延命、豊作に御利益があらたかだと信仰を集めている。
この樹齢およそ千年の巨木は、日本には珍しい木で、数も少なく天然記念物に指定されていると言う。
御宿 長珍屋
この日、お寺の前に建つ「長珍屋」と言う一風変わった名の宿に泊まった。
昔からの遍路宿で、新築された玄関ホールには「御宿長珍屋」と書かれた、古い看板が飾られている。
増改築して間の無い綺麗な宿で、遍路の間では昔から良く知られた評判の宿だ。
新館は遍路宿としては少々高くはなるが、全室バストイレ付の部屋で、個室もありビジネスホテル並だ。
随分と広い駐車場も備えていて、大型バスで訪れる遍路も収容できるらしい。
館内には男女別の大浴場があり、広々とした洗面所や、コインランドリーの台数も多くて充実している。
また、遍路用品やお土産物を扱う売店も備えている。
床に仏壇を据えた広い食堂には、今日は団体が入っているらしく、沢山の食事が用意され遍路を待っていた。
見も知らない多くの遍路達が一堂に会して摂る夕食風景は壮観だ。
この日も多くの遍路と、一期一会の遍路談義に花が咲き、賑やかな夕食の時が過ぎて行った。
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