スケールのでかい泰山寺
南光坊から次の札所までは、今治の中心地を外れ3q、1時間弱ほどの道程である。
再び予讃線の高架を潜り町中の賑わいを背に進むと、道筋は文教地帯なのか今治明徳高校、今治精華高校、今治西高校などの学び舎が連なって建っている。
国道196号バイパスの広い道を横切ると、道幅は少し狭くなり田畑の中に住宅の建つ長閑な道に変わる。
そのまましばらく道なりに進むと右手前方、田圃の向こうに大きな甍が見えてくる。
第56番札所・泰山寺は、道路左側に広い駐車場を構えているが、門前の道は余り広くはない。
参拝を終え道一杯に広がって戻ってくる団体に、参道のお土産屋さんが盛んにミカンの試食を進めている。
賑やかな光景を横目に進むと、大小の石を組み上げた見事な石垣の先に、15段ほどの石段が見える。
それを上ると山裾を平らに切り開いたような広々とした境内に入る。
すぐ右手に大師堂が建ち、その先の一際目を引く大きな建物が本坊で、そこには宿坊も併設されている。
本堂はその左に建っていて、全体が圧倒されるようなスケールの大きなお寺である。
団体の参拝客が引くと広々とした境内は静けさを取り戻し、心地良い風だけが吹き抜けていた。
四国遍路無縁墓地
元の通りに戻り、お寺の少し先で左折、実りの秋を迎えた田圃の中の道を進む。
20分ほど歩くと遍路小屋プロジェクト第41号の小屋が有り、その横に「四国遍路無縁墓地」の石碑が建っていた。
小石を積み上げた上に花に囲まれて何基かの古びた墓標が集められている。
昔の遍路は旅先で行き倒れればその地に葬られた。
遍路の白装束は死に装束であり、金剛杖は卒塔婆であったのだ。
その先で少し坂を上ると蒼社川の土手に行き当たる。
水の少ない時期の遍路道は、川の中をそのまま通っていたようだ。
今は土手に上がり右折、暫くは県道になっている土手の道を歩き、その先で左折して山手橋を渡る。
橋を渡りその坂を下り100mほど先で右折、川幅の狭い谷山川の土手道を歩く。
桜並木の根元には彼岸花が今は盛りと真紅の花を広げ、黄金色に実った稲田とのコントラストが何とも秋らしい。
やがて前方にお寺の山号にもなっている府頭山が近くなる。寺はその麓にある。
「八幡さん」と隣り合わせ・栄福寺
「伊予一国一社石清水八幡宮」の石柱を左折する。
急なアスファルトの参道が八幡宮に向け伸びていて、その坂の途中で右折すると寺は目の前だ。
修行大師像、お願い地蔵の建つ参道があり、それを進むと第57番札所・栄福寺の境内が有る。
寺は神仏混合の歴史が有り、隣接地には「伊予の石清水八幡宮」とも言われる「八幡宮」が鎮座している。
正面に売店を併設した客殿・納経所があり、そこの前に何段かの石段が有り上がった正面に本堂が建っている。
そこは丁度八幡宮への参道を背にした辺りとなる。
本堂右手に回廊、大師堂、薬師堂などの諸堂がコの字型に並んでいる。
整然と配置された伽藍の背後を、豊かに茂った緑の木々が取り囲んでいる。
本堂の回廊にはイザリ車と松葉杖が置かれている。
巡拝中この地に来て歩けるようになった信者が、感謝をこめて昭和8年に奉納したものだと言う。
聞きしに勝る難所・仙遊寺
「八幡さん」の参道を下り、入口の茶店で名物「アイスクリン」で一休みする。
次の札所までは4q弱の道程ながら、後半は殆ど山登りだと言う。
茶店から20分ほど上ると犬塚池と言う、悲しい犬の伝説が伝わる少し大きな池がある。
『昔、栄福寺か仙遊寺で飼われていた犬がいた。悧巧な犬は、お寺の鐘が鳴るとそのお寺に駆け込んで用を受け、他方の寺に駆け込んでお互いの寺の、言わば飛脚の役目を果たしていた。ある日どうした手違いか二つのお寺の鐘が同時に鳴った。どっちに駆け付けようか迷った犬は、散々右往左往した挙句、池に落ちて死んでしまった。』
厳しい山道は途中から車道に合流する。
振り返ると、豆粒のような屋並みの今治の市街地が一望だ。
向こうに、碧い瀬戸内の海が広がり、「しまなみ海道」の橋脚が対岸の島に延びているのが遠望できる。
15分ほど車道を登ると真新しい山門に到着する。地図で確認するとこの辺りの標高は210mある。
ここまでの上り道に50分ほど要したが、聞いていたほどには厳しい上り道ではなかった。
近くの男性に話を聞くと、本堂はここから石段を登ったところにあって、これが本来の遍路道だと言う。
見れば山門を潜った先に手すりの付いた、急な石段が鬱蒼とした森の中に延びている。
石段の途中には大師が錫杖で掘ったとされる「御加持水」が有る。
この登り坂は評判通りの急坂で、曲りくねって上る不揃いの石段は、結構足に来るし、何よりも勾配がきつい。
息を荒げながら石段を登ること10分余り、石段の先に石垣が見えてきた。
第58番札所・仙遊寺は「おされさん」で知られる海抜300mの作礼山の山頂近く、標高260m付近にある。
創建は天智天皇の頃といい、弘法大師も修行で籠もった古刹であるが、江戸時代には荒廃した。
再興されたのは、明治の初め頃になってのことだという。
境内は山肌を切り開いたような場所にあり、大師像の前に大師堂と空海像が並び、その右手に本堂が建つ。
本堂の奥に前庭を従えたガラス張りの真新しい客殿(宿坊)がある。
ここは多目的ホールを備えた100名ほど泊まれる宿にもなっていて、天然温泉(低張性アルカリ性冷鉱泉)を引いた大浴場が有り、料理も精進料理が楽しめるらしい。
その建物の前は舞台造りになっている。
そこからは今治の市街と、そこを流れる一筋の蒼社川、その向こうに広がる瀬戸内海と島々、さらには「しまなみ海道」が展望でき、素晴らしい眺望が楽しめる。
自動車道が本堂裏まで上っているので、ここを下るのも可能だが、納経所で「歩きの方は石段を下ってください」と言われたので、それに従い再び今来た石段を今晩の宿に向けて降りる。
山門を出て自動車道を少し歩いた後、標識に従い山に入り地道を下る。
次の札所までは6.2q余りだが、今日はその少し手前で、遍路道からは外れたところに宿を取っている。
その宿まではあと5qほど、歩くことに成る。
山道は木立の中に続いていて、途中「五郎兵衛坂」と言うお間白い名前の坂がある。
『昔、仙遊寺には伊予守から奉納された大きな音の出る大太鼓が有った。桜井の海岸の漁師・五郎兵衛は「大きな音で魚が逃げる」とその音に激高、仙遊寺に上り太鼓を破ってしまう。その帰り道五郎兵衛はこの坂で転び腰を打ちその怪我がもとでなくなってしまった。』
そんな急坂で死んでしまっては元も子もない。
足元に注意し、慎重に転ばないように、ゆっくりと時間をかけて山を下り再び今治の市街地に戻ってきた。
今晩の宿は「コスモオサム」と言う、国道196号線の脇に建つビジネスホテルだ。
長期滞在、連続使用者向きの宿らしいが、遍路の利用も少なくはないと聞いた。
ここはサウナと大浴場があり、料金が二食付きで6,000円と安いのに、食事の評判も悪くない。
シングルの部屋は広くはないが、寝るだけなら何ら問題はない。
レストランには漫画コーナーも設けられていて、泊り客なら夜12時まで利用することも出来る。
ランドリーコーナーも有り、遍路にはありがたい。
唯一の難を言えば、風呂の脱衣所、レストラン、ランドリールームなど館内が分煙されていないので、至るところに喫煙者がいて辺りがタバコ臭いことだ。
無料サービスのコーヒーが飲めるフロント脇のコーナーだけが禁煙となっているのが救いだ。
予約時「禁煙ルームを・・」とお願いしたら、「設定がないので、禁煙仕様にします」との事であった。
当日、部屋には空気清浄機と消臭剤が置かれていた。
(2012年10月の状況・現在はアパホテルグループの「ホテルバリ・イン」として営業中)
ラウンジからは、今お参りを済ませた仙遊寺を正面に臨むことが出来る。
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