“名物おやじ”の民宿・岡田
一日中歩き続ける遍路の楽しみと言えば、辿り着いた宿での風呂と夕食と、柔らかい布団で寝られることだ。
中でも大テーブルを囲んで、お互い見ず知らずの者同士がワイワイガヤガヤ賑やかに箸を動かす食事は楽しい。
料理の内容もさることながら、こんな時の話題と言えば、やはり道中の難儀話と宿の良し悪しが中心となる。
この宿では80も半ばが近いと言う“名物おやじ”が、本当にいい味を出している。
夕食が一段落した頃合いを見計らい、手書きの地図を配り、翌日の雲辺寺登山の道案内が始まる。
手作りの資料を手に、まるで紙芝居でもするような流暢な説明は、たちまちその場を一つにしてしまう。
そうしている間にもご飯や、汁物、ビールの世話をして、周りへの気配りも忘れない。
「菅前総理がSPを連れて泊まった折、満室で泊まれなかった秘書を別の民宿に案内したら大そう喜んでいた」
そんなエピソードも面白おかしく聞かせてくれる。
「今までにここに泊まった一番の有名人は?」との質問には、「あんたが一番の有名人じゃ、他に誰がおろう」と見事に切り替えし満座の爆笑を誘う。
数年前、長年民宿の世話を焼いて来た奥様が突然亡くなった。
屋台骨を失い一時存続が危ぶまれた時期も有ったらしいが、今では博多から戻られた息子夫婦が継いでいる。
そして嘗ての肝っ玉母さんの補佐役は、今“名物おやじ”として主役の舞台に躍り出て宿を取り仕切っている。
部屋数7室、定員も10名、風呂も一人しか入れない狭いものだが、6,000円(二食付き)は安い。
決してきれいとは言えない小さな宿だが、ここ「民宿・岡田」は紛れもない遍路にとっての名宿である。
壁一面に張られたお礼のはがきや写真が、その人気を無言のうちに物語っている。
県道8号線は思惑違い
翌朝早く“名物おやじ”の宿を発った。
出発まで玄関先の靴には、脱臭用の活性炭が入れられていて、これも「民宿・岡田」の細やかな心遣いだ。
お接待のお握りを持たされ、若女将の見送りを受け送り出され、旧道をしばらく歩く。
県道8号線に出たところで左折、ここからはひたすらこの道を行くことに成る。
道は広々としたアスファルト道、通行車両も少なく、道の両側からは鳥たちの元気なさえずりも聞こえてくる。
途中の曼陀トンネルまで約3キロ、標高差200mをだらだらと登っていく。
トンネルを抜けると道は下りに転じ、どこまで下るのかと思うほどの長い下りが続く。
周りは山また山で、途中建物らしきものは見当たらない。
その深い山の道を歩くこと6キロほどで棒賀神社が有り、その先右手に五郷ダム湖が見え始めた。
この辺りまで来て、周辺にようやく人家が認められるようになる。
更に2キロほど下った落合の集落で8号線と別れ右折、ここで残り3キロ程となるが道は再び急な上り道に成る。
一寸した峠を超え、残り1キロほどの地点までやっと来たら、その先の道が災害で通行止めだ。
仕方なく、指示看板に従い迂回路を歩くがなかなか目指す場所に行きつかない。
実は、昨夜”名物おやじ”の雲辺寺登山の道案内を聞きながら、別のルートを考えていた。
いきなり始まる厳しい6キロの山登りを避けて、出来るだけ平坦道で稼ぎ、楽をしようと企んでいたのだ。
しかし、辿り着いてみれば結局は、17キロほどを四時間もかけて歩く羽目になってしまった。
これだけ時間を掛ければ、宿から直接山登りに挑んでも十分に時間的には間に合っていたようだ。
雲辺寺ロープウエー
迂回路表示に従い結局、ロープウェイ乗り場にやって来た。
一度は乗ってみたいと思っていただけに、丁度良い機会なのでこれで上がることにした。
標高259mの山麓駅から、916mの山頂駅までの全長は凡そ2、600m、高低差660mを僅か7分でかけ上がる。
「連休中は込み合った」と言うロープウエーも、広い駐車場に止められた車は数えるほどである。
10分ほど待って乗り込んだゴンドラはずいぶん大きくて、聞けばスイス製で101人乗れると言う。
この半端な数字は、お客が切りの良い百人で、ガイドが一人と言う事であろうか?などと想像を巡らしてみる。
この日は「強風の影響で、減速運転しているので10分かかります」という。
それでも中間地点で下りとすれ違うと、結構なスピードで駆け上がっていることを実感する。
高度が上げるほどに眼下に視界が開け、三豊平野が箱庭のように広がっている。
観音寺市の町並みの向こうに、碧い瀬戸内の海、燧灘も見えて来る。
その海に沿うように座る一際大きな山塊は七宝山か。それに従うように左手に小さな山が二つ見えている。
恐らく左の一番小さい山が琴弾山であろう。今晩の宿はその麓にとっている。
雲上の観光寺・雲辺寺
山頂の視界は良好で、気温は14度であった。
四国霊場の中でも最も高い場所にある第66番札所・雲辺寺は、行政上は徳島県に含まれている。
しかし順路の都合で霊場としては、讃岐路(香川県)の打ち初め寺とされている。
佐野の集落から登山道を登れば徳島県側を、ロープウエーなら香川県側を来ることとなり、寺域に入ると境内で徳島県と香川県の県境をまたぐことに成る。
寺は既に鎌倉時代には七堂伽藍が整備され、盛時には十二坊末寺八ケ寺を有する大寺で有ったという。
その後「四国の高野」と言われ、学問道場として隆盛を見たが、一時衰退した時期も有ったようだ。
その後伽藍は整備され、山の地勢を巧みに利用し、本堂、護摩堂、本坊、茶堂などが整えられた。
中には再建されて、新しく立派な建物も多い。
納経所の前に水堂が有る。大師が自ら掘られた井戸の水らしい。
入口には人を感知するセンサーが仕込まれていて、お堂の中に入ると龍の口から水が流れ出てくる仕組みで、中々にハイテクで、モダンな省エネを配慮した水場である。
明るい境内に「おたのみなす」のこしかけが有る。
説明によるとナスの花は一つの無駄もなく実となり、「成す」との語呂が同じで努力が報われ願いがかなう縁起物ということらしい。
千メートルの高所にある札所にしては、境内は広く明るく高所を感じさせないほどだ。
それは誰もが簡単にロープウエーで参拝に訪れることが出来るので、古刹と言うよりは現代的な雰囲気だ。
お正月の初詣のCMなどは、県内のみならず対岸の岡山県エリアのテレビにも頻りに流され、この近辺では知名度も高く、馴染み深い観光寺である。
嘗ての悪路・難所の山下り
次の札所までは9.2q、長い山下り道が待っている。
尾根上の舗装道の脇に据えられた五百羅漢の石像を見ながら、暫く緩やかに下っていく。
NHKがマイクロウエーブ設置の為設けた電波塔の先で地道に入り、ここからは本格的な山道下り、その距離凡そ3.6q、標高差700mを下ることに成る。
少し前までは、巡拝路の中では随一の険しい悪路・難所として、迷いやすいので敬遠されていた下り道だ。
今では道も固められ、標識も整備され、歩きやすくなったと言う。
それでもさすがに千メートル近い所から下る道は、勾配はきつく、生易しくは無い。
枯葉の降り積もった道も有り、そこは柔らかく、膝の負担を軽減してくれそうで歩きやすい。
途中、ツツジが満開の所もあり、その美しさと、むせ返るような若葉の香りが、しばし疲れを癒してくれる。
時折木立の切れ目から望む遠望も素晴らしい。
しかし、中には岩が露出し、小さな石で覆われたゴロ道など滑りやすい個所も多い。
隆起した木の根が露出し、谷底のように深く抉られ道では、どこに足を運べばと、思わず考えてしまうほどだ。
下り道とは言え、中々にタフで、登り時間と同じくらい要すると言われる理由が良く解る。
凡そ2時間ほどで山道が尽き、ミカン畑の脇を通り抜けると、標高が170mほどの地点まで下りてくる。
ここからは下りの車道をゆっくり歩き始めるとすぐに民宿・青空屋が見えて来る。
ここも歩き遍路の間では中々食事が良いと評判の宿であるが、泊まる予定はない。
予約した宿は、まだまだ先で、ここに来てアドバイスを無視した雲辺寺への遠回りが響いてきた。
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