天皇寺を出ると、次の国分寺迄は、7q弱、およそ2時間の行程である。
再び旧道に出て左手にJR予讃線を見ながら、城山(482m)の山裾を抜け、住宅地の中の道をのんびりと歩く。
JR鴨川駅の手前で線路を渡り、綾川に架かる橋を渡り右折、土手道に出る。
暫く行くと、離れていた国道11号線が、再び左手に近づいてくる。
道中でオープン間もないと言う、昔懐かしい「ポンかし」の店を見つける。
店先に立っていた「北海道牧場直送・ソフトクリーム」の幟旗が少々気にかかるが、ここは我慢で先に進む。
さらにその先には遍路のための休憩施設、「おもてなしステーション」があった。
地元では有名らしい讃岐うどんの店は、昼食時まではまだ間があるというのに、既に多くの客を集めている。
いずれも気になり、立ち寄ってみたいところではあるが、ここは我慢で先を急ぐ。
「約30mのトンネルを通って出た所で、右にある石段を上ってバイパス国道に出て左の道を・・・」
土手道を外れ用水路の脇まで来ると、手書きのやけに詳しい遍路道案内が掲げられている。
文言に従い、その短いトンネルで国道11号線の下を潜り、その先で側道から石段を国道に上がる。
緩く上って小さな峠を越えると、目の前に旧国分寺町の町並みが見えてくる。
府中高架橋の手前で、陸橋は渡らず道なりに側道に降りたところで左折して旧道に入り込む。
旧道を通り、JR国分駅前から300mほど行くと、左側に広大な広場が見えてくる。
「讃岐の国分寺跡」だ。
奈良時代、聖武天皇により国家安全を祈り、全国60余りの国に一国一寺として造られたのが国分寺である。
創建当時は東西220m、南北240mと大きな敷地に伽藍を構えていたらしい。
それは当時の奈良の大寺院と比べても決した見劣りしない見事なものであったと言う。
門前に地元のシルバー人材センターの有志によるボランティアが運営するお接待所が開いていた。
呼び掛けられるままに立ち寄ると、同年配と思われる男女が何人かいて、交替で詰めているのだという。
女性がコーヒー入れてくれ、頻りにテーブルの上の飴を勧めてくれる。
会員の作った「根付け」が置かれて居て、どれでも好きなのを持って帰れと言う。
その少し先には「おへんろの駅 こくぶ」がある。
「安心して過ごし働ける場所を」と障害者と地域の方が共同で開いているお店だ。
この日はお遍路さんに限り、限定150食のうどんが無料でお接待されていた。
第80番札所・国分寺は、「讃岐の国分寺跡」付近に位置している。
旧道からすぐの山門には、枝ぶりの良い松が被り、堂々とした風格で門前を飾っている。
山門を潜るとさすが国分寺跡に建つ寺らしく境内は広い。
参道の両側は黒松の巨木が林立し、その間を長く伸びる石敷きの参道が正面の本堂目指し延びている。
その参道の左手には88ケ寺の石像ご本尊が建ち並んでいる。
本堂は九間四面の本瓦葺入母屋造りで、鎌倉中期の建造と言われる風格ある建物だ。
戦火を免れた鐘楼の梵鐘と共に、重要文化財に指定されている。
境内には七重の塔跡があり、そこには15個の礎石が、金堂跡には33個の礎石が残されている。
奈良時代の創建当時の遺構をよく残していると言われ、大寺を彷彿させる遺跡が当時を物語っている。
又々「遍路ころがし」
国分寺のある駅前の通りを外れ左折、から次の札所までは凡そ7q、約2時間の行程である。
目の前に立ち塞がる、国分台と呼ばれる標高400m程の山に向かうことに成る。
畑や住宅が密集する狭い道を抜け、溜池の土手を通り、山に向かうと右手に墓地が広がり、そこから道は登りに転じて行く。所謂「遍路ころがし」と言われる急坂道の始まりである。
「もう一息」「あと少し」
登山道を覆う木々に下げられた札に励まされ、時折見下ろす国分寺町の絶景に心は洗われるものの、山登りがしんどいのには変わりが無い。
息を荒げ、やっとの思いで標高380m地点の一本松に到着した。
道路を隔てた向こう側から、十九丁坂を下って来たのであろうか、研修中の中学生の一団と遭遇した。
正式な昔ながらの遍路道は、自動車道を横切り、白峰山への十九丁坂を上る。
しかしここに至る途中で知り合ったハイカーは、県道に出たら左折した方が楽だと教えてくれていた。
迷わず左折、左手に陸上自衛隊の演習地を見ながら、アップダウンを繰り返す舗装道をひたすら歩くことになる。
白峰寺までは、4.7qほどで、後1時間の行程である。
車もめったに通らない県道は、所々でカーブ道の先などから見える瀬戸内の青い海が美しい。
やがて右手に「かんぽの宿・坂出」が見えてくる。
「お遍路の駅・白峰パークセンター」の建物を左に見て、その先で県道を右に曲がると札所は近い。
ここは五色台の西に位置する白峰山(標高336.9m)にあり、一の門を潜ると道は札所に向け下って行く。
閑静な山寺・白峯寺
第81番・白峯寺の門前駐車場の横に、古い石造りの十三重の塔が二基建っている。
源頼朝が崇徳天皇の菩提のため建立したと伝えられる塔で、鎌倉の中期と末期に建立されたものだ。
「頼朝塚」とも言われ、国の重要文化財に指定されている。
小さな石橋を渡り山門(塀重門)を潜る。
二棟の塀を連ねた珍しい形で、棟が合わせて七棟ある事から「七棟門」と言われる高麗形式の門である。
門を潜れば正面は護摩堂で、その右が本坊である。
その前を進むと正面に勅額門があり、ここを入れば崇徳天皇の廟所・頓証寺殿、その裏山には御陵もある。
勅額門の手前右手には、樹木に覆われた石段が延びている。
登るとそこには入母屋造りの本堂があり、右手の一番奥まった場所にはお大師堂が建っている。
石段の途中に左右に向かう道があり、そこには鐘楼、薬師堂や、行者堂、廻向堂、境内で一番古い建物と言われる阿弥陀堂などの諸堂が建ち並んでいる。
寺は杉や檜の古木、老松に覆われた山中に広大な寺域を構えている。
境内のこの辺りには、カエデなどの紅葉樹の大木も多く、気の早い木が既に赤く色づき初めている。
紅葉の頃はさぞ美しく、鮮やかに彩られるであろう。そんな風情を感じる、閑静な札所である。
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