門前町と結願の宿

 

 大窪寺の門前は、さすがに賑やかである。

土産や飲食の店に混じって、掛け軸などの表装を請け負う店も多い。

結願のこの日は、87番からの行程を組んでいたので、余裕をもって昼前には着いてしまった。

そんな訳で門前の店を冷やかし、覗いたり、昼食に長々と時間をかけて潰していた。

 

大窪寺の門前

大窪寺の門前

大窪寺の門前

 

大窪寺の門前

大窪寺の門前

大窪寺の門前

 

大窪寺の門前

大窪寺の門前

大窪寺の門前

 

大窪寺の門前

大窪寺の門前

大窪寺の門前

 

 結願のこの日の宿は門前通りにある遍路宿「民宿八十八窪」に予約を入れてある。

「すぐ近くに来ているけど・・」と電話を入れる。

「うちは12時過ぎたら良いんよ、いつでもきて」とありがたい返事だ。

そんなわけで2時前には早々と宿に入り、風呂に入り、洗濯を済ませ、ゆっくりと疲れを取った後で夕食を迎えた。

 

二食付き6,500円と言うのに、さすがに評判の良い宿だ、食事も素晴らしい。

さしみにてんぷら、煮物に酢の物、さらに四国らしく吸い物代わりのうどんもついてくる。

誰かが「赤飯はあるの?」と聞くと、「いっぱいあるから、いっぱい食べて」と女将が答えた。

遍路の間では、結願を祝う赤飯が夕食に供されると評判の宿で、この日も期待通り食卓には栗の入った赤飯が、大きな御櫃一杯に用意してあった。

 

民宿八十八窪

民宿八十八窪

民宿八十八窪

 

民宿八十八窪

民宿八十八窪

民宿八十八窪

 

民宿八十八窪

民宿八十八窪

民宿八十八窪

 

 同席の三人はベテランらしく、区切り打ちでのんびりと歩いてきた我々とはいささか話がかみ合わない。

どうしても話の矛先が80歳をとうに過ぎていると言う名物女将に向いてしまう。

25歳で初めて遍路に出た折、当時は四角い箱に荷物を入れ、帯で結んで担いでいたと言う。

そんな苦労話に始まり、今でも暇を見つけてはお参りを重ねていると言うおかみは、元気で矍鑠としている。

 

 「小泉さんは時間を取って一人ずつ」

「福田さんは、ホレみんなまとめてこの一枚」

と窓際のテーブルに飾られた記念写真とサイン入りの絵皿の前で、語る笑顔がとても輝いて誇らしげだ。

アテネと北京のオリンピックに、ソフトボールの日本代表捕手として参加したお孫さん、乾絵美さんの自慢話ともなると饒舌がなかなかとまらない。

 

 

そして一番へ、

 

 多くの歩き遍路は、ここから1番に戻り、更に結びの地高野山奥の院を目指すがそのルートは幾つかある。

一つ目は、国道377号を引田方面に向かい、そこからほぼJR高徳線に沿って3番辺りに出るルート。

二つ目は、国道377号から途中右折して国道378号には入り、土成に向かい、7番から逆に辿るルート。

三つ目は、国道377号から途中右折して県道2号に入り、10番を目指し、そこからは高野山お礼参りの道中として、1番霊山寺に向けて逆打ちする風習もあるらしい。

 

その他にも途中温泉に浸かる、山道を歩く、海を見ながら歩くなど、札所に立ち寄る必要が無いので、それぞれの体力や好みに合わせた色々な選択肢が有る。

どこを行ってもその距離は概ね40q前後あり、健脚なら丸一日、一般的には余裕を見て一泊二日の行程である。

 

そして一番へ

そして一番へ

そして一番へ

 

そして一番へ

そして一番へ

そして一番へ

 

 歩き遍路の朝は早く、同宿の遍路は、この日のうちに1番まで行くと言って早々と宿を発ち出て行った。

そんな遍路に引かれるように、お願いしていた昼食用のおにぎりを持って7時前には宿を出る。

門前通りを行き、国道377号に出て東進、途中右折して県道2号に入り、懐かしい切幡寺を目指しそこから逆に辿り、途中土成で一泊の後、1番に向かう42キロほどのルートを選択した。

 

そして一番へ

そして一番へ

そして一番へ

 

そして一番へ

そして一番へ

そして一番へ

 

そして一番へ

そして一番へ

そして一番へ

 

 国道の五明トンネルを抜けた辺りで、県道2号線に入り込み、ほぼ日開谷川に沿って南下する。

札所に立ち寄る事も無い歩き旅は開放感に包まれ、気ままで、途中の昼食や休憩にもたっぷり時間を掛け、何回でも心置きなく立ち寄れる。

徳島自動車道を潜り、阿波町に入ったところで、左折して県道12号には入り今晩の宿を目指す。

 

アクセス阿波

アクセス阿波

アクセス阿波

 

アクセス阿波

アクセス阿波

アクセス阿波

 

 この日の宿は、土成町のビジネスホテル「アクセス阿波」で、一泊朝食サービス付きで5,650円である。

夕食が無いので近くのコンビニで弁当を仕入れ持ち帰り、館内の食堂で食事をとる。

その最中食堂の片隅では、オランダから来たという二人の女性遍路が、英語のガイドブックを広げて何か調べものをしている様子である。

 

 片言で声を掛け、二三道順のアドバイスをすると、納得をしてくれたのかどうか解らないが笑顔になった。

シャツ姿の彼女に、洗濯を済ませたばかりの自身の白衣を、もう使わないからとプレゼントすると、大そう喜んで早速それを着込んでカメラに収まってくれた。

「一期一会」の出会いは、最後にはこんな国際親善まで加わった。

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

 最後の朝は少しゆっくりとして、8時前にオランダ女性とは手を振って分かれ、宿を発つ。

ここからは、見慣れた風景を横目に、只ひたすら霊山寺を目指すのみである。

この日の昼食は、ようやくにしてここまでやって来たご褒美に「ウナギ丼」を奮発する。

 

そして12時を少し過ぎた頃、ようやくにして第1番札所・霊山寺の大きな山門が目に飛び込んできた。

境内に入り、本堂とお大師堂にお参りする。

納経帳に「御朱印」を頂くと、そこには「平成二十六年十月四日」日付が、墨痕も鮮やかに記されていた。

思えば足かけ六年の満願である。

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

 思い返せば歩き遍路を始めた頃は、ただがむしゃらに一日40キロ以上を歩いたことも有った。

しかし焼山寺道の遍路ころがしで、「山はうごかない。ゆっくり進めばいい」と教えてくれた先達に出会ってからは、「無理はしないで、自分たちのペースで歩きを楽しもう」と考えも変わった。

 

しかし歩く事が楽しいことばかりではない。

これまで日常生活の中で、日がな一日を歩き続けると言う事は滅多に無く、まず最初に足の裏が悲鳴を上げた。

肉刺が出来、腫れ上がり、水疱が破れ、血が滲み、テープでぐるぐる巻きにしながらも、歩くより仕方が無かった。

もともと心肺能力に乏しく貧血気味の身は、山道の登りはからっきしダメで、直ぐに息が上がってしまう。

おまけに静脈血栓症を患った左足は、未だに血行が悪いのか、直ぐにこむら返りを引き起こす。

それでも休み休み、上に、前に、向かうより仕方が無い。

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

一期一会

一期一会

一期一会

 

 『歩くと言う事は無心になること。静かに己の心を調え、物事をありのままに捉える。心が静まれば自分と他人を区別して利益を求めることは無意味になり、得失や若いこと老いること、汚れや清らかであることに拘らなくなる』

先達は、歩き遍路の効用をこのように説いている。

 

 そして歩くことは何より人を素直にさせる。素直になれば邪心も無く、他者を容易に受け入れることが出来る。

そのことが行った先々で、多くの人々との出会いをもたらしてくれた。

お接待に甘え、出会いを楽しみ、道中や門前の美味いもの、名物に舌鼓を打ち、宿での遍路談義も楽しかった。

思えば四国を一周する歩き遍路の旅は、「一期一会」、見知らぬ人と出会い、交流の旅でもあった。

 



 

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