東西の結節点・河内長野

 

 錦織一里塚を過ぎ、近鉄線や国道170号線にほぼ沿った道を歩くこと2キロ余り、右から南海高野線も近づいてくる。

菊水町交差点で右折し南海線を超え暫く進むと、銀行やオフイス飲食店が取り巻く賑やかな駅前広場に入って来た。

南海電鉄の河内長野の駅前で有る。

高野街道合流の石碑が立ち、「この付近、東と西の高野街道合流地点 高野山 女人堂へ 南約35km」とある。

 

河内長野

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河内長野

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河内長野

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京都府の石清水八幡宮から56km程の「東高野街道」と、堺市の大小路から20Km程の「西高野街道」は、この地点で合流し、ここからは「高野街道」として一本の道となり、高野山不動坂口を目指すことになる。

奥河内と言われるここ長野は、昔から東・西高野街道や「岩湧街道」(ここから九重峠を越え、高野口に至る街道)、「大沢街道」(和泉から大和五条の間、河内長野を東西に貫く街道)が走り大そう賑わったと言う。

 


 

酒蔵通り

 

 左手に駅を見て、駅前の商店街を背に、車の往来の多い賑やかな交差点を渡る。

街道はすぐに閑静な古道らしい趣のある通りへと様変わりする。

駅から5分ほどの入口付近に、弥生時代の「銅鐸」と寺院の「梵鐘」をイメージして作られ道標が立っている。

地元の商工会が立てたものだ。

 

その奥のひと際目立つ古民家が「吉年邸」で、江戸時代の豪商で河内鋳物師(かわちいもじ)の流れをくむ屋敷だ。

「袖蔵」の建つ塀から聳え立つのが楠の木で、樹齢は500年を超し、樹高約20mと言い、その枝張りは30mを超す見事なもので、市の天然記念物に指定されている。

 

酒蔵通り

酒蔵通り

酒蔵通り

 

酒蔵通り

酒蔵通り

酒蔵通り

 

酒蔵通り

酒蔵通り

酒蔵通り

 

 ここら辺りからは町並み再生プランにより再開発された「高野街道 酒蔵通り」が、150メートル程続いている。

古い家屋の残る通りから電柱をなくし、石畳やカラーで街道を舗装し、家々の門前には燈籠風の道標置いて演出した。

軒から吊るされた酒林が風情を誘うが、夜には燈籠に灯が入り、路面に埋められた照明と共に雰囲気を高めるという。

どこも統一感を持たせた造りに苦労の後が忍ばれる街道である。

 

酒蔵通り

酒蔵通り

酒蔵通り

 

酒蔵通り

酒蔵通り

酒蔵通り

 

酒蔵通り

酒蔵通り

酒蔵通り

 

 そんな通りにあって一際目を引くのが、市内で唯一の造り酒屋、「西条合資会社旧店舗主屋」の遺構である。

間口が11間と言う二階建て瓦葺の堂々たる建物で、表には荒格子がはめられている。

低い造りの二階には白壁に虫籠窓が設けられていて、幕末から明治初め頃の建物らしい。

一時は銀行として使われていたそうで、国の登録文化財に指定されている。

 

向かい側の現店舗では、戦国時代の文献をもとに再現した僧房酒や、全国新酒鑑評会金賞に輝く銘酒が揃っている。

店内には休憩スペースが設けられていて、珍しい甘酒サイダーや酒粕アイスクリームなどが店先で頂ける。

酒粕の仄かな香りとさっぱりとした甘さが爽やかな酒粕アイスは、少し値段は高いが一度は味わってみたい逸品だ。

 


 

旧三日市宿へ

 

 酒蔵通りを抜け、西条橋を渡り別久坂(べっくざか)と呼ばれる急坂を上る。

標高182メートルの烏帽子形山の東麓に沿って進む高野街道への登り道だが、大して上ることもなくやがて国道371号線を横断し坂を登り切ると緩やかな道に転じる。

途中右手に「烏帽子形八幡神社」と言う古社があった。

 

 かつてこの山の頂上には河内七城の一つと言われる「烏帽子形城」が有った。

楠正成が築いた城の一つと言われ、高低差のある堀や土塁を幾重にも廻らした堅牢な構えの城跡が今に残されている。

安土桃山時代には、南河内におけるキリシタン文化の拠点ともなっていたらしく、キリシタンの城主がおよそ300人のキリシタン領民を治めていたと言う歴史を秘めている。

 

旧三日市宿

旧三日市宿

旧三日市宿

 

旧三日市宿

旧三日市宿

旧三日市宿

 

旧三日市宿

旧三日市宿

旧三日市宿

 

旧三日市宿

旧三日市宿

旧三日市宿

 

旧三日市宿

旧三日市宿

旧三日市宿

 

神社は城の北側にあり、その鎮護として創建された。

神域として伐採の禁じられた鬱蒼とした森に石段が延びていて、緑に守られ建つ本殿は重要文化財に指定されている。

 

 その先に増福寺があり境内に真新し高札が建てられていて、丁度この辺りが旧三日市宿の北側入り口に当ると言う。

この宿場に隣接する上田の地には、古くから河内鋳物を生業とする技術者の集団が住んでいたと言うから、旅篭などと相まって賑やかな町並が形成されていたのであろう。

当時の宿場に20軒余りの旅籠が有り、問屋場や本陣代わりの屋敷等が軒を連ねていたらしいが今その面影は何もない。

 


 

美加の台から橋本へ

 

 烏帽子形山の坂を下り、南海高野線の三日市町の駅前を過ぎ、天見川に沿って国道371号線を進む。

道は高野山に向けて、いよいよ緩やかながら登り道になってきた。

周辺は丘陵地帯で、美加の台辺りには大きな住宅団地も見受けられるが、千早口を過ぎ、天見を過ぎる辺りの街道はもはや山の中である。

南海線の天見駅前にある、大正・昭和初期の建築様式を偲ばせる一軒宿「南天苑本館」は良く知られているという。

 

美加の台

美加の台

美加の台

 

美加の台

美加の台

美加の台

 

美加の台

美加の台

美加の台

 

美加の台

美加の台

美加の台

 

美加の台

美加の台

美加の台

 

 国道371号線と旧道を出入りし南下すると、高野線の御幸辻駅を過ぎる辺りからようやく周りが開けてくる。

橋本川の流れに沿って進み、国道24号線の高架橋を越えると街道は既に橋本の町に入り込んでいる。

やがて前方に南海高野線のガードが見えてくると、橋本の中心市街地だ。

 

美加の台

美加の台

美加の台

 

美加の台

美加の台

美加の台

 



 

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