謎の白い塔

 

 古市を後に、東高野街道を更に南下する。

大和川を越え道明寺の前からこの辺りに到る街道筋は、歴史ある町らしく至る所に古い道標が有り飽きさせない道だ。

街道は近鉄南大阪線の線路を越え、更に国道166号線(南阪奈道路)をも越え、やがて富田林市へと向かう。

 

謎の白い塔

謎の白い塔

謎の白い塔

 

謎の白い塔

謎の白い塔

謎の白い塔

 

謎の白い塔

謎の白い塔

謎の白い塔

 

貴志町辺りで国道170号線に合流すると、暫くはこの国道を歩くことになる。

丁度この辺りから遙か右手前方に、何か異様な形をした白い塔が見え隠れしてくる。

その先の県道32号線と分岐する中野町の交差点で再び左の旧道に入り、富田林の中心街を目指して進むことになるが、そんな道程からも白い塔は時々顔を覗かせる。それが大きく鮮明に成るほどに、形が何とも奇妙に見えてくる。

 

謎の白い塔

謎の白い塔

謎の白い塔

 

謎の白い塔

謎の白い塔

謎の白い塔

 

謎の白い塔を調べてみると、「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」と言うものらしい。

別名「PLタワー」とも言われ、高さが180mも有り、昭和451970)年に建てられたものだ。

本部を富田林市に置く宗教団体・PL教団のシンボル的な建物で、宗教・宗派に拘る事も無く、全世界・全時代の戦没者の霊を慰める為に建てられた塔だという。

 

 

富田林の寺内町

 

街道が富田林の「寺内町」に入って来ると町並の雰囲気が一変した。

規則的に割られた道筋に、堂々とした大屋根を持つ重厚な造りの低い家並みが続いている。

多くの屋敷は、下部が焦げ茶色の板張り、上部は漆喰塗りの白い壁と成っているのが印象的で、千本格子を嵌めた出窓や表戸がアクセントとなり、シックで落ち着いた佇まいを見せている。

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

「寺内町」とは寺を中心に畑・屋敷、町割り等を整備し、周囲に土居を廻らした自治的都市特権を得た町のことだ。

町内は領主が無税と定めるため、商人が集まり自由市場が形成され、豪商が集まる商業都市として成長した。

高野街道と富田林街道が交わり交通の要衝であった地には、興正寺別院を中心として永禄年間の初頭に造られた。

残された町屋で代表的なものが旧杉山家、仲村家などで、文化財的な価値が高い最古級の町屋建築と言われている。

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

富田林の寺内町

富田林の寺内町

富田林の寺内町

 

「寺内町」の外れに古い道標が有り、「町中 くわえきせる ひなわ火 無用」と刻まれている。

近くを流れる石川の段丘上に築かれた町は、高台ゆえ、水利が悪く、昔から町ぐるみで火災予防に努めてきた。

結果今でも30棟余りの江戸時代の建築が残され、古い町並を形成している。

 

 近世以降、南河内の一大商業地として発展したこの地には、酒屋、米屋、紺屋、鍛冶屋など江戸時代の町屋が、当時の六筋七町の町割りに残されていて、この辺り一帯が国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。

こう言った町は他にもあるらしいが、当時の面影を最もよく残しているのがここ富田林だと言われている。

 

 

滝谷不動

 

 富田林の「寺内町」を抜け、川西駅を左に見ながら近鉄線の高架線を潜り、左折し坂を上りながら旧道に入り込む。

街道は石川の河岸段丘上に有り、左に河内平野の広がり、その遥かに金剛山地を望みながら近鉄長野線に沿って進む。

その先で街道は国道309号線に遮られ消滅している。

暫く国道を歩き直ぐに左折、道なりに進むと近鉄長野線の滝谷不動駅だ。

 

滝谷不動駅

滝谷不動駅

滝谷不動駅

 

滝谷不動駅

滝谷不動駅

滝谷不動駅

 

滝谷不動駅

滝谷不動駅

滝谷不動駅

 

滝谷不動駅

滝谷不動駅

滝谷不動駅

 

滝谷不動駅は明治351902)年3月、当時柏原と富田林間で営業をしていた河南鉄道がここまで延伸された折開業した駅である。

終点の長野まで延び、今日の近鉄長野線の原型が出来るのは、その9ヶ月後の事だ。

新線・新駅の誕生により日本三大不動の一つ、目の神様として信仰を集める滝谷不動尊への最寄り駅となった。

これまでの高野線の滝谷駅からの山越え参拝が解消され、毎月28日の例祭には大勢の参拝客で賑わうと言う。

 

 

錦織一里塚

 

 駅前から旧道を暫く歩き、錦部小学校の先で国道170号に合流する。

暫く進むと、左手前方に大きな温泉マークの看板を掲げた建物の丁度前あたりの道路沿いに、一辺が9メートル四方の台地状にこんもりと盛り上がった土地が有る。

 

説明板には「錦織一里塚」と書かれている。

数本の木が植わり、石碑が建てられていて、その奥に古い宝篋印塔も残されている。元々街道の両側に各一基築かれていたもので、頂には一本松が植えられていたと言う。不完全ながら、一里塚が一対で残っているのは府下ではここだけのことらしい。

 

錦織一里塚

錦織一里塚

錦織一里塚

 

錦織一里塚

錦織一里塚

錦織一里塚

 

更に道なりに国道170号行くとこの先には近鉄の汐ノ宮駅が有り、街道は富田林から河内長野に入って来た。

しかしこの道は正式な旧街道ではない事に途中で気付いたが、今更引き返す事も出来ないのでそのまま進んできた。

どうやら一里塚を過ぎた辺りで右に入る旧道があったようだ。国道はそのまま河内長野の駅前を目指している。

 



 

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