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瀬戸大橋を越えて、

 

 朝7時過ぎに岡山を発つ「特急・しおかぜ」に乗り一路松山を目指す。

列車は高架で岡山の市街地を抜けると、20分ほどで最初の停車駅・児島に停まり、その後その先の鷲羽山トンネルを抜け、下津井瀬戸大橋(1436m・吊り橋)を渡り、橋のほぼ中央部で岡山県から香川県に入る。

 

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 続いて櫃石島大橋(792m・斜張橋)、岩黒島橋(792m・斜張橋)を渡り、眼下に瀬戸中央道のパーキングエリアを望む与島に架かる与島橋(875m・トラス橋)、更に橋脚の島・三つ子島を挟む北備讃瀬戸大橋(1611m・吊り橋)、南備讃瀬戸大橋(1723m・吊り橋)を超え、番の州高架橋で四国香川県に入る。

 

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 明治22523日、時の香川県議・大久保ェ之丞は「塩飽諸島ヲ橋台トシテ、山陽鉄道ニ架橋連絡セシメナバ、常ニ波風ノ憂ヒナシ・・」と本四架橋を初めて提唱した。当時は夢のような話とされていた。

それから凡そ一世紀、穏やかな瀬戸内の海、そこに浮かぶ大小さまざまな三角形の島影を見ながらの列車旅が、夢の懸け橋ではなく現実にできるようになった。

 

瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の5つの島に架けられた6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋で構成される延長13.1Kmの「瀬戸大橋」を渡る瀬戸大橋線(愛称)は、昭和634月の開通以来、平成24731日に延べ利用者数が22千万人に達した。いま特急は多くの人々を乗せ、僅か10分余りでこの大橋を駆け抜けていく。

 

 

松山の市街地を抜けて

 

51番・石手寺から次の52番札所へはおよそ13キロ、道後温泉を見て、松山城下を通り、愛媛県の県都人口51.6万人の松山の市街地を抜けて行く。駅を出てすぐに左折、伊予鉄の軌道敷に沿って県道19号を歩く。

朝のラッシュが一段落する時間帯とは言え、さすがに中心地の交通量は多く、街は活気に溢れている。

 

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 歩き始める前に、駅前で休憩中のタクシードライバーに道を尋ねると、わざわざ自車まで戻り、取ってきてくれた観光用のパンフレットを広げ、幾つかの目印を教えてくれた。そして、「ここからだと、かすり会館前の県道を直進して、53番に行ってから52番に向かう方が歩く距離は短い筈だ」とアドバイスをくれた。

 

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 その最初の目印、ボーリング場の角を左折し国道437号に入り直進する。次の目印は「伊予かすり会館」の大きな煙突で右斜め前方に見える筈だ。40分ほど歩くと、左前方に三島神社の森が見えてくる。その角を右折し県道に入り進むと、すぐに大きな煙突を従えた「かすり会館」が右手に見えてきた。

 

そこから更に30分ほど歩くとようやく札所に向かう道標が現れる。

真っ直ぐ進めば53番・円明寺、左に向かえば52番・太山寺。「さあ、どうしたものか」とここで一思案である。

 

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 地元のドライバーだけに間違いはないだろうが、これまでに再三道を間違えて辛い思いをしているだけにここは無難な選択をし、左に進路を取り、順番通り52番を目指すことにする。

 

 道はやがて住宅街を離れ、丘陵地に入り左に池を見ながらミカン畑に沿って山裾を巻くように延びていく。

歩くこと20分ほど、やがて前方に太山寺の一ノ門が見えてくる。

 

 

深山の趣、太山寺

 

 参道の先には一ノ門が建っている。

その背後には標高100mほどの瀧雲山が控えていて、その中腹に第52番札所・太山寺はある。

 

 ずいぶんと構えの大きなお寺である。

一ノ門から山門に至る参道脇には沢山の民家が建っている。昔はさぞ賑やかな門前の通りであったと思わせる雰囲気がある。

それが途切れると二十数段の石段が現れ、その上に簡素な作りの仁王門が建っている。

これは鎌倉時代の創建で、重要文化財、そこに掛かる扁額は弘法大師の直筆と言う。

 

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仁王門を潜ると杉などの大樹の茂る急な上り坂の参道が数百メートルほど続いている。

途中右手に真新しい本坊があり、納経はここで受けることに成る。

更に進むと左には昔の遍路宿を彷彿させる建物も残されていて参道も中々面白い。

 

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急な坂を一気に上り詰めると右手に石段が伸び、三ノ門(仁王門)が見える。そこを登り門を潜れば境内が広がり、国宝の本堂が目に飛び込んでくる。この寺の本堂は桁行7間、染間9間、奥行きの深い単層入母屋造りで、堂々とした大屋根を構えている。簡素ながら豪壮な作りは鎌倉時代のものだ。

 

地図を見るとこの寺のある瀧雲山を越えるとすぐ下に瀬戸内海が広がり松山観光港が立地している。

海に随分と近いにも関わらず海は全く見ることは出来ないし、それどころか寺域一帯は、鬱蒼とした深山の趣すら感じられる。

 

 

学生さんのお接待

 

「お遍路さ〜ん、休んでいきませんか?」

 

 寺を出て県道183号を歩いていると、突然道路の向こう側から白いシャツの男性と、二三人の学生さんに呼び止められた。

誘われるまま横断歩道を渡ると、公民館の玄関の前に何人かの人がいて、幾つかテーブルを並べ、ここで遍路のためのお接待をしていると言う。

 

「食事は済みました?」、「甘酒はどうですか?」、「コーヒーはいりませんか?」

 

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学生たちが、覚束ない手つきで先ほどお願いした甘酒と冷たいコーヒーを運んでくれる。

お遍路の話が聞きたいと言う学生達だが、恥ずかしいのか些か口が重いようではある。

それでもぼそぼそと、僅かばかりの会話が何とも初々しくて楽しい。

 

 「アッ、お遍路さン」、一人の学生が突然叫び、指さした先の停留所に停まったバスの中にお遍路の姿があったが、こちらに気付くはずもなくバスは無情にも行ってしまった。「今日はまだこれで4人・・・」と言うスタッフに、「逆打ちに出会えば勧めてみますよ」と返し、一頻、遍路談義や地域の話題に花が咲く。

 

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 聞けば近くの学校の生徒さんが作業実習の一環で、地域の皆さんと触れ合いながら、お接待を体験するために、毎月1日2日、この和気公民館で開いていると言う。

「愛媛県立みなら特別支援学校松山城北分校」の四人の学生さん、若い教官のMさん、それに地域ボランティアの皆さん達の親身で暖かなお接待にすっかり気を良くし長居をし寛がせて頂いた。(この項掲載記事は、愛媛県立みなら特別支援学校松山城北分校の了承を得ています

 



 

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