文化財の宝庫・石手寺
繁多寺から次の札所までは、その距離2.5q、時間にして40分ほどの道程である。
遍路道は、松山市の郊外にある高台から、中心部に向け一気に下っていく。
コンクリートで固められた溜池を右に見て坂道を下り、住宅街の道を再び県道40号線に出る。
2キロほど歩いて広い通りを横切ると周りの雰囲気が観光地らしく一変する。
行きかう車も多く、遠くには温泉旅館か、郊外型のマンションであろうか、高層ビルも目立つようになる。
沿道にもしゃれた店や、土産物屋、飲食店が多くなる。
石手川に架かる橋を渡ると、正面に緑も鮮やかな第51番札所・石手寺の森が見えてきた。
さすがに松山を代表する観光地の一つ、道後温泉に近いだけあって、大勢の観光客で賑わっている。
遍路だけではなく、地元の信者や、観光で訪れる人も多いようで、これまで見てきた札所とはやや雰囲気が違う。
正面に幅2メートルにも満たない川(用水)が流れている。
そこに架かる小さな橋は「渡らずの橋」と言って、弘法大師がお渡りになった橋で、一般の方は渡れないとある。
境内に入ると参道が回廊になり絵馬堂に向かって伸びていて、両側には仲見世が続く。
国宝の仁王門を潜り境内に入ると三重塔が建ち、一段と高いところに本堂があり、右奥が大師堂だ。
それらの建造物は何れも由緒あるもので、重要文化財に指定されている。
歴史有る古刹で、境内から出土した古瓦から白鳳時代には、寺の前身施設がこの地にあった事が知られている。
寺の縁起によると、国家鎮護の道場が築かれたのは神亀5(728)年で、当時は「安養寺」と称していた。
「石手寺」と改称されるのは、寛平4(892)年の事だそうだ。
境内には、お寺の投げ米を粉に挽いて焼いたのが始まりと言う「石手名物・やきもち」がある。
境内の茶店で買い求め、アツアツを食べながら、宿の有る道後温泉までの1キロ余りを歩く。
この日は遍路をいったん中断して、この後道後の観光と、昼食、そして道後の湯を楽しみに早々に宿に入る。
いで湯と城と文学の町
愛媛県の県庁所在地松山は、「いで湯と城と文学のまち」と言われるだけに、市内には見所も多い。
石手寺から道後温泉に向かう道筋、用水の流れる通りの植え込みの中には、子規や漱石、山頭火などの句が立派な石に刻まれ、紹介されていて如何にも俳句の町らしい。
その先中心部には、正岡子規を記念した博物館も建っている。
道後温泉に隣接した道後公園に、14世紀前半この地の守護河野氏によって築かれた湯築城跡がある。
平山城の跡であり、武家屋敷が残され、資料館などもあり、現存する当時の堀や堤などが国の史跡に指定されている。
濃い緑の中に遊歩道が整備された公園で、市街地にあってはオアシスのようにほっと安らげる空間になっている。
にぎたつ会館
今晩の宿は道後温泉に近い公共の宿「にぎたつ会館」である。
公立学校共済組合の運営する宿ではあるが、組合員でない一般も宿泊できる。
少し安い設定の遍路パックも用意されているので、遍路の間ではよく知られた宿である。
多くの着替えを持ち歩かない歩き遍路にとっては、宿のコインランドリーは必須だ。
宿を選択する条件の一つであるが、この観光旅館はその条件も満たしている。
道後温泉は、万葉人の旅の疲れを癒やしてきた歴史有る名湯と言われている。
館内の温泉は男女別の大浴場が有り、男湯が「坊ちゃんの湯」で、女湯は「マドンナの湯」である。
道後温泉源泉から引き湯する、正真正銘の道後の湯だ。
一般的な観光旅館の朝食時間は、8時前後であることが多い。
しかしこの館の朝食の和洋バイキングの開場は、朝6時半から開場する。
遍路の多くは、早立ちをすることが多いので、早い時間から提供があるのはありがたく、好評である。
《松山市内観光編に続く》
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