■ ■ みちのくの湯治場に息づく伝統美 ■ ■
江戸時代は文化文政の頃、東北地方の各地には、湯治の習慣が定着した。
一年間の労働で疲れた身心をいやすため、鍋や釜、時には食料までも背負って近くの温泉に出かける。
それに目を付けた近在に住む木地師たちは、近くの山々にある豊富な木材を利用して木地玩具をつくり始めた。
お土産として湯治客相手に売り捌くためだ。
こうして東北の各地で作り続けられたのが“木地玩具・こけし”である。
やがてその形や模様などは、その地に住む木地師の間で師弟相伝の形で伝えられて行く。
その特徴と共に、主にその地域内で引き継がれて来たのだ。
大正の頃に成って「こけし」 は、大人の趣味、鑑賞の対象となった。
また「こけし」に素朴な美を見出した一部の人たちの蒐集の対象として、もてはやされるようになっていく。
一方戦後多くの観光地などでは、お土産品としての「こけし」が大量に出回り始めるようになる。
すると、それらと区別するために東北各地で作られるものは「伝統こけし」と称するようになった。
そして昭和40年代爆発的なブームを巻き起こすも、その人気は長続きせず、いつしか沈静化し、熱は冷めてしまった。
しかし今日首都圏などでは静かに、ブームになっているらしい。
それを支えるのが聞きなれない「こけ女」と呼ばれる若い女性たちだと言う。
デザイン性に着目し、美しさ、可愛らしさ、面白さを味わおうと、その切り口が新鮮で、そこに共感を覚えるらしい。
素朴で飾らない造形に心を癒し、その愛らしい表情に慰められる。
そんな魅力を感じてのことではなかろうか。
■写真・旅行記はこちら
|